~経済ニュースの森の奥~ ・・マクロな視点から。

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No.15 米国型グローバル社会の中の、一日本庶民②

2005年10月31日 | グローバル経済
(①つづき)米ニューオリンズのハリケーン災害で逃げ遅れた多くの貧困層が報道的にクローズアップされたのは記憶に新しいところです。日本の多くのキャスターや解説者は「世界一の文明国だと思っていたのに、交通手段もない住民がこんなに沢山いるなんて・・」とコメントしていましたが、貧富の差が先進国一激しいアメリカの現実を映し出したものといえるでしょう。

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第二次世界大戦の勝利後、アメリカは娯楽(映画・TV・音楽)の供給を通じて衣服や食品や習慣などの文化・価値観を世界中へ輸出しました。いわゆる「世界のアメリカ化」と呼ばれているものです。

メイドインUSAブランドの対外直接投資チャンスは計り知れないほど拡大し、当然米国全体の利益に繋がりました。俗に言うアメリカンドリーム全盛です。日本もしっかりその影響を受け、米国文化のご常お得意になったわけです。

しかし黄金の50~60年代が終わり70年前後から、鉄鋼・電気・自動車・半導体など米国労働者の大きな糧であった産業の空洞化が進んでいった。市場自体が飽和して高い成長率が維持できなくなり、日本をはじめとした新興国の安くて質の高い製品の追い上げで失業率も増加、結果として80年代までの長いトンネルを経験しました。
(産業革命を起こし自由貿易の旗手だったイギリスも主導権を米国に握られて以来、主要産業が著しく空洞化していった)

そして前回書いたように、レーガン・サッチャーによる「小さな政府」的戦略がスタートしていく。
規制を撤廃し企業の論理を優先させる。高所得者の重税負担を減らし、政府の役割を減らす(高福祉政策をやめる)。自由世界のマーケット競争に勝った者がアメリカ(イギリス)国家に貢献する、といった一連の方針はグローバリズム=市場原理主義そのものというような考え方です。

特に共産主義との冷戦が終わってからのアメリカの新たな使命は「世界を巨大な自由市場に!フリーダム万歳」というかけ声にいつの間にか取って換わりました。

世界の資本主義保持のためにという名目で、アメリカは“自由社会”という一見魅力的なワードを強調してこれを正当化しました。口が腐っても<米国の復活の為に>とはもちろん言いません。
しかし世界中が“自由資本主義社会”を目指していくべきというわけで結果として他国にも規制撤廃・民営化による「市場放任主義」を強要するようになっていきます。

彼らが国際基軸通貨「ドル」という最大の武器を持ってすれば、世界経済がもっと自由に、ボーダーレスになることでアメリカが利益メリットを受けるチャンスをほぼ無限大に(黄金時代のように)拡大できる、と考えたとしても何の不思議もありません。

正確に言うと「ドル」ベースのアメリカ巨大多国籍企業・・・ウォール街やIT企業に代表される・・プラス、利害が結びついたアメリカ政府、この両者の主導によってグローバル化戦略を推進していきました。実質米国の手中にあるIMFや国連、WTOといった国際的“監視”機関もそれをバックアップしお墨付きを与える役割を果たします。

マーケットの自由化が進めば進むほど、メリットを一番享受できるのは彼らです。産業は低成長でも、ドル貨幣は一番強いので地球上を自由に、少しでも有利なところへ動かすことができます。しだいに世界中がドルに換金したがるようになります。地球上から集まってきたドルを利用してさらにマネーがマネーを呼ぶ・・というような構図です。

一方で大部分の一般労働者たちは憂き目にあってきました。労働者保護の規制がなくなったため企業は好きなように正社員をリストラしパートや低賃金部門を増やすことができる。小さな政府はもう彼らをフォローできません。失業率は表面上増えませんが、80年~00年までの20年間で実に4300万人が正社員から低賃金部門へ移動したというデータがあります。

一部のグローバル企業によって国富が大幅に増加したにもかかわらず、富の93%が上位20%に集中し上位1%がそれの40%近くを占めビルゲイツの資産が米全体の下位40%の所得合計より大きい・・なんていう笑えない国になってしまいました。当然ながら中位以下クラスの所得は減少し、中産階級は消滅しつつあります。
それでもアメリカに大暴動が少ないのは、世界で一番強い貨幣を使うグローバル世界の中心に住んでいるという自信と自負からでしょうか。

(次回へつづく)