ぬあー眠いぜよー
最近疲れが取れにくい・・・これって老化?
そんなのいや!おいらはまだピチピチ(死語)のはずよ!(´д`)
ちょいと遅れましたが、「SPORTS2.0」のキム・チェファ(金彩華)選手の訳です
また長くて蹴られたので半分に分けます
よかったらどぞ
※紫色の字はおいらが書いてるだけで記事本文ではないです
※黒太字は記者、普通の黒字は金
金彩華 「五輪出場は私の夢」
去年の1月全国フィギュア総合選手権が開かれたオウルリムヌリ氷上競技場で、ある母娘と会った。
大きなかばんを持って階段を下りる中年女性とトレーニングウェアを着た少女は
無人島にでも降り立ったかのように周囲を控えめに眺めていた。
なんだか母娘の姿が寂しく見えた。
横にいた韓国スケート連盟関係者に少女が誰なのか訊ねた。
帰ってきた答えは「在日韓国人選手の金彩華です」だった。
聞けば、大会のジュニアのシングル部門に出場した金彩華はキム・ナヤンとともに優勝候補に数えられていた。
金彩華が競技をしている間、観客席で苛立たしげにその演技を見守っていたお母さんに声をかけた。
「金彩華のお母さんですか?」返事はなかった。
お母さんは娘の競技が終わるまで堅く口をつぐんでいた。
競技が終わった後またお母さんを呼んだ。
やっと呼び声が聞こえたのかお母さんは涙で一杯の氷上で激しく口を切った。
お母さんの言葉はこうだった。
「ああ、私たちの彩華。さぁ、うまくいったでしょうか?」
金彩華はこの大会でシニア部門で優勝を果たした。
金彩華はお母さんのようには韓国語が上手くない。
(もしくは「お母さんと同じように韓国語が上手くない」・・・かな?)
四大陸選手権で会った時も、韓国語よりは日本語が楽なようだった。
しかし、去年に比べて韓国に対する印象はよほど明るくなったようだった。
金彩華は良く知られているように、在日韓国人3世だ。
大阪で生まれて、8歳の時からスケートを始めた。
幼い頃、金彩華は日本でも指折り数えられるほど有望だった。
ジュニア時代にも目を引く存在だった。
2003年11月に京都で開かれた全日本ジュニアで金彩華は浅田真央、安藤美姫らと共に注目選手に選ばれたりもした。
この時は金彩華は「アヤカ」という日本名を使っていた。
いまだに長瀬彩華ちゃんのほうがしっくりくる感じも受けますが
キム・チェファって呼びやすくて覚えやすいし語感が好きだな
金彩華が日本での活動をやめて韓国に舞台を移したのは2004-2005シーズンからだ。
当時、金彩華の韓国大会出場に対して一部の選手の親とコーチらがすねた口ぶりで言った。
「韓国語もまともに話せない在日韓国人が韓国大会に出場して優勝して、
国際大会の出場権や、オリンピックの代表を勝ち取ったら
今まで熱心に練習してきた韓国の選手たちはどうなるというんだ」
彼らはこう主張したりもした。
「選手層が厚い日本を避けて比較的ライバルの少ない韓国に来たのだ」と。
ちょっと事情は違うけど、リード姉弟は日本語をまだ上手く喋れない。
もしも彼らがアイスダンスの選手ではなく、シングルの選手で
国内選手を脅かすくらいの実力を持っていたとしたら、どうだろうか?
その場合日本に来ることはありえないけど、もしもの話、それは複雑な気持ちだろうな・・・
実は、金彩華は日本であまり大きく成長することが出来なかった。
日本のフィギュア選手層が厚いのが明らかな理由だった。
何より、いくら一生懸命に練習したところで、日本に帰化しない限り
日本代表として五輪に出場することは出来なかった。
金彩華の国籍は韓国なのだから。
一部の選手の親が主張したように、金彩華は他の韓国選手たちの国際大会出場権を横取りしようとして韓国に場を移したのではなく、
日本に住む韓国人として自分の正当な権利を行使しただけなのだった。
それに、金彩華の登場は髪の毛一本よりなお薄い、韓国フィギュアの選手層の底辺を広げる絶好の機会だった。
結局そのようになったのだから。
キム・ユナしかいなかった韓国女子フィギュアで金彩華はキム・ナヤンと一緒に第二陣を成したのである。
四大陸選手権で会った金彩華は、他の選手にとっては平凡であるが、
彼女にとってはとても特別な夢を見ていた。
チェ・ジウンも思い出してあげてね・・・
最近はシン・ナフィという子も出てきてますね
-フィギュアスケートを初めてやったのはいつですか?
8歳の時です。お母さんの誘いで習うようになりました。
-小学校からジュニア時代まで大変よくフィギュアスケートを習ったようですね
小学校からずっと大阪の学校に通いました。
中学一年の時までは大阪で練習が出来たんです。
あの時は濱田コーチではなくて他のコーチに習っていました。
でも次の年から濱田コーチの指導を受けるために
学校が終わってから京都に行って練習をしなければならなかった。
練習しているリンクが京都にあったので。
大阪から京都までの距離が遠くて。
-韓国では体育特技者に限って授業を午前中だけにして、あとはトレーニングを受けたり出来ますね。
私が通った中学校にはスケート部がなかったんです。
選手という理由で授業を抜けることも出来なかったですし。
それで授業が終わったら大阪から京都まで電車で往復3時間くらいを通いました。
一日も欠かさずに遠い道のりを通ったあの時の記憶が今でも鮮やかに思い出されます。
今はなき醍醐リンクね
醍醐の子達は勉強もものすごく頑張っていたらしいし
ヤマト先生にもどんどん頑張ってもらって関西をさらに盛り上げて欲しい
-濱田コーチと長い間、呼吸を合わせて練習してきましたね。
スランプに陥ったりスケートが上手くできないと
コーチの指導法が自分に合わないからだと思ったりもしました。
でもそれはただの不満みたいなもので(笑)
長い目で見たらコーチの助言が正しいという気がします。
いろんな面で良い助言を言ってくださいます。
-初めて試みたトリプルジャンプは永遠に記憶に残るそうですね。
その感じを聞きたいです。
たぶん、トリプルサルコウだったと思います。
あの感じ、そうですね、あんまり思い出したくない記憶なんです(笑)
そーなのか(笑)
-去年の1月、全国選手権大会の時にお母さんにお会いしました。
ママは今大会には来ていません。
家族構成をちょっと説明しますと、両親と兄、私です。
-今シーズンはSP、FSともに音楽がリズミカルでエキゾチックなダンスミュージックですね。
あなたによく似合っているという評判ですが、選曲には関わりましたか?
SPは濱田コーチが何種類か音楽を聞かせてくれて、
どうかなと意見を聞いてくれた後に、コーチが決めました。
FSは私が曲を聴いて、この曲にしたいと思って直接選びました。
-フィギュアスケーターの中で好きな選手は誰ですか?
女子シングルの日本代表で活躍した伊藤みどり選手が好きです。
-2005年を基点として弛まず技術が進歩し続けていますね。
ジャンプもコンスタントに好ましくなってスピンやスパイラルもずっと向上している。
特別なトレーニング方法でもあるんですか?
どこかの時点をきっかけにして成長したとは思いません。
特別な練習方法があったとか、以前と比べて特に変わったこともあまりないです。
変わらず、毎日学校へ行って一生懸命練習して。
それ以外にはないです。
他の選手たちもそうですが、練習は毎日繰り返すのが重要だと思います。
私にはジャンプが足りない部分なので練習を繰り返して
3Loやフリップジャンプなどジャンプの種類を多くするのが大事です。
だよな~
大会前とかしかニュースでは流れないけど、
誰にも見られていないところで毎日選手たちは練習してんだよね
改めてリスペクトしてしまうね
-今までご自身のプログラムの中で一番気に入っているものがあったら教えて下さい。
結果と関係なくですか?
-結果と関係なく。
特に思い出すプログラムは・・・
(しばらく考えて)ああ、2年前のFSだった「死の舞踏」が好きです。
-それでは出場した大会の中で一番記憶に残る大会があったら教えてください。
この四大陸選手権です。多くの方々に激励と応援を貰ってすごく幸せだった。
永遠に忘れることの出来ない大会になると思います。
すごかったもんな、声援。
終わった直後の「怖かった~」がすごいかわいかった(・∀・)
-フィギュアをしていると幸せで嬉しい時が多そうですね。
個人的に、練習が楽しいと思う方なのでこれといっていつが幸せだというふうには思ったことがないですが。
あえて指折って数えるならばやっぱり、競技やガラに出て良い演技で終えた後に
観客から拍手をあびる時ではないかと思います。
-反対にフィギュアのために悩み苦しむこともありますか?
ジャンプの練習が上手くいかない時がそうですね。
ジャンプが苦手だからどうしてもジャンプを中心にたくさん練習をします。
一番念を入れています。
ジャンプに失敗すると、体力の消耗が激しくて
それがスピンやステップなど他の要素の練習に悪い影響を及ぼすことがあります。
でもリンクで倒れても不満ばかり持ってはいけないんだ、と思う。
そういう気持ちをしっかりと持てば、倒れてもまた起き上がる勇気がわきます。
-日本に住んでいると韓国選手と親しく過ごす時間も少ないでしょう。
そういう面はあります。
代わりに海外で競技が開かれる時、一緒に出場する選手とたくさん会話して親しくなれる。
韓国で大会が開かれるときは主に、シン・イェジン(ソウル女子大)と親しく過ごします。
-あなたの学校である関西大学には高橋大輔がいますが、
韓国にもファンが多い高橋はどんな選手ですか?
高橋先輩と一緒に練習したりしています。
高橋先輩は後輩である私の面倒を良く見てくれます。
尊敬する面がたくさんある選手です。
先輩がまじめに練習するのを見ることだけでも大きな勉強になります。
本当に先輩のジャンプを見るたびに感じるのですが、本当にすごいと思う。
-高橋のライバルである織田信成も関西大学に在学していますね。
織田先輩はほとんど会うことができないので、どんな先輩なのかよくわからないです。
あぅう(´Д`)
情報期待したのにw
続く