Still Creek のほとりで

Still Creek(静寂なる小川)は裏庭を流れる小川の名前。といっても Windows からは騒音もきこえてきます。

カナディアン・ロッキーの旅 (40)

2006-07-27 11:47:46 | 
明けて6月14日、朝から小雨が降っています。 出発は9時です。

昨夜プロショップの売店で買っておいた辛ラーメンを、朝食にしました。
辛ラーメンを朝食べたのはもちろん初めてです。 これで目がパッチリ
覚めました。

出発の準備を済ませて、一人散歩に出ました。 少し小糠雨模様です。
ゴルフ場の芝生も周りの木々も雨に濡れて瑞々しく見えます。

昨日まで堪能してきたロッキーの青空やターコイズ色の湖に較べ、
今日のオカナガン湖の水の色は、極ありきたりの色です。
「ああ、昨日までは夢の中」と現実の世界に引き戻されました。

30分以上の散歩で出会ったのは、ゴルフ場の手入れをする二台の作業車と
数匹のリスだけです。 まさに、静かな朝の別荘地風景です。
予定の出発時間が近づいたので部屋へ戻り荷物をだします。

ロッジをチェックアウトした一行は、フローティング・ブリッジを渡り
再度ケローナ市に返ります。 向ったのは、街の北側にある小高い岡です。
車を降りると市内を一望に見下ろす展望台があります。 整然と区画された
街並みの右手、湖沿いに高層のホテルが見えます。 このホテルは
ナショナル・ホッケー・チームの夏季宿泊所になっており、各選手は家族と
共に滞在し、ゴルフやウォータースポーツでシーズン・オフを過ごすそうです。

見慣れない珍しい小鳥が飛んできますが、なかなかカメラで捉えることが
出来ません。 貸切のような展望台に別れを告げ、浮き橋のふもとにある
City Park に向います。

この市の公園には、ケローナ市のシンボルであるヨットの帆を形作った
セイルの記念塔があります。 これと同じものが姉妹都市である春日井市
にもあるそうです。

このセイル彫像の直ぐ傍に、竜踊りみたいなオカシナ怪物の像が横たわって
います。 これはオカナガン湖に生息している伝えられる怪物・オゴポゴを
再現したものだそうです。 毎年「たしかに見た」と誰かが言うようですが
いまだ未確認怪物のようです。 スコットランドのネス湖にいると云われる
ネッシーの二番煎じかも知れません。 一種のご愛嬌?

公園内に皆の好きなバラ園があったので、そっちの方へ誘われて行きました。
色とりどりのバラが見事に咲いていて、みんなの気持ちを和ませてくれます。

ケローナ市に別れを告ると、次の目的地はオカナガン地方に数多くある
ワイナリー見学です。


写真: 右奥の赤い屋根の建物群が、ナショナル・ホッケー・チームの夏季宿泊所
になっているホテルです。 その先に見える白い線のようなのが、湖の東西を
結ぶ、浮き橋構造のオカナガン・レイク・ブリッジです。

06-07-26 (水)晴れ 15~25度

カナディアン・ロッキーの旅 (39)

2006-07-26 15:37:13 | 
再びIさんご姉妹の部屋へ集まり、コーヒー、紅茶、スープにピザ各種、
その他いろいろと、女性軍5人であっという間に準備して、一行のツアー
最後の夕食を共に過ごしました。

皆さんとは、既に車中で珍しいおつまみなど分け合っていただき、親切に
して頂いて来たのですが、こうしてゆっくりお話するのは初めてです。

お話を伺うと、Aさんご一家も、Iさんご姉妹も、ヨーロッパを含め何回も
海外旅行の経験があることが分りました。 北米も西海岸の一部しか
知らない私たち夫婦には、羨ましい話です。

さらに今回カナダへ来られた理由も、Iさんは娘さんがバンクーバーに
嫁いでおられ、Aさんもお嬢さんがワーキング・ホリデイでバンクーバーに
滞在中だからです。どちらもカナダに縁のあるご家族です。

長野の自然の中で、お料理や花作りを楽しんでおられるIさんは、今回は
バンクーバーで英会話に挑戦されます。 そのため娘さん一家とは離れて、
カナダ人の家庭にホーム・ステイして通学されるのです。 何とIさんの海外
ホーム・ステイは二度目で、前回はニュージーランドで既に体験済み。
彼女のその心意気に頭が下がります。 穴があったら入りたい心境の私です。

バンクーバーに滞在するお嬢さんを訪ねて来られたAさんは 、定年退職後も
元の会社に随時出勤されながら、ガーデニングや山歩きなどをご夫婦で
楽しまれる物静かな紳士です。 A夫人は、明るい性格や容姿や話し振りまで、
宮崎に居る私の義姉にそっくりで、 私よりかなり年下の方なのですが、彼女の
優しい心配りにすっかり甘えてしまいました。

私たちは、旅行の経験も少ないしお話することもないので、カレがこちらに
移住することになった経緯などを話しました。

ユッタリしたリビングルームでの談笑は、中々尽きそうも有りませんでしたが、
翌日の最終行程を考えて11時半ごろお開きにしました。


06-07-25 (火)快晴 15~26度

カナディアン・ロッキーの旅 (38)

2006-07-25 12:09:41 | 
ややくたびれた旅装を気にしながら、でもご馳走も魅力に感じながら
私たち7人は、ダイニングルームのある建物に向いました。

途中、左手に見えるオカナガン湖との間にゴルフコースの緑の芝が
拡がっています。 ゴルファーの影はみえません。 小道に沿って
あちこちに置いてあるベンチの周りには花壇が設えてあります。
敷地の中には、個人所有になっている分譲別荘らしい一戸建も並んで
おり、どの家の庭もきれいに手入れされて花が飾ってあります。

ふと右手にある建物にゴルフ場の「プロショップ」の小さな看板が
下がっているのに気が付きました。 ひと気はありません。

ガラス・ドア越しに中を覗くと、ゴルフ用品の他、スェターなどの
洋品に雑誌なども売っている売り場があり、若い女性がカウンターの
向こうに独り雑誌を眺めています。客はいません。
中に入って尋ねてみました。

「カバナスという食堂はまだ開いていると思いますか?」
「残念。4時までですから、もう閉まっていますワ」
「ではダイニングルームに、こんな格好で入れるでしょうか?」
「大丈夫ですよ。 でも、どうしても気になるなら、ラウンジの方に
座って、食事を取り寄せて召し上がったら如何ですか」
と答えてくれました。

「ところで、こちらの水道の水は飲んでも大丈夫ですか?」
「問題ありませんヨ。で、どちらからお出でですか?」
「私たちはバンクーバーからです」
「私もそうですよ。夏休みのサマー・ジョッブで来ているのです」
とニッコリ笑います。

二言・三言、たあいもない話をしながら、ふと売り場の奥まった方を
見ると、5畳ほどのスペースに食料品が並んでいます。

「これはイイ。今夜は最後の夜だから、ここで手に入るものを買って、
皆で一緒に調理してパーティーを開きましょう」

よく見ると、アルコール類はありませんが、ポップ飲料、ピザ各種、
缶詰類、それにインスタント・ラーメン類まで売っていました。

ラーメン、それも激辛のキムチラーメンまで売っているところをみると、
やはり日本や韓国からの滞在客があるからに違いありません。

辺りには東洋系の人影はまったく見当たらないし、フォーマルな服も
着ずに高級ダイニングルームに行かなければならないというのは、少々
気が重いな・・・・と気になっていた私たちは、少しホットした気分です。

各自、翌朝の朝食分まで調達して外へ出ると、通りかかった年配の白人の
ご夫婦が、「日本からですか?」と話しかけてきます。
お二人ともポロシャツにベスト姿、恐らく夕食後の散歩でしょう。
この広い敷地内で、初めて見かけた宿泊客です。 今はオーストラリアに
住んでいる娘さんが、日本で英語を教えていたが、同時に日本語も学んで
とても上手に話すようになったと、嬉しそうに話してくれます。
奥さんが私たちの買った食料品を見て、「これからお食事よ」と囁かれた
みたいで、「おお、そうだね。 では良い滞在をお楽しみください」
とご主人が云って、立ち話は終わりました。

「滞在といっても、一晩寝るだけです」とはとても云えず、「サンキュウ」
とだけ云って別れました。 この初老のご夫妻はもう一週間ここで休暇を
過ごしているようです。 このご夫妻に較べると、カメラを持って駆け足
旅行の私共は人生のリフレッシュには程遠いものです。

06-07-24 (月)快晴 17~28度

ゴルフ・コース

2006-07-24 13:35:10 | 
ゴルフ場は、木立ちに囲まれた幾つかの宿泊所の建物の周りから、
オカナガン・レイクを見渡せる景色の良い場所へと拡がっています。

道を挟んだ私たちの部屋の向かい側は、ファースト・ティの所です。
写真には写っていませんが、鉄製のベンチが置かれ、花や緑のきれいな
落ち着いた雰囲気のゴルフ・コースです。

カナディアン・ロッキーの旅 (37)

2006-07-24 13:33:44 | 
思案を要しそうな問題とは夕食のことです。

Sさんが、ホテルのパンフレットを読んでみると、
「正規料金は二人部屋で275ドル。 泊り客の夕食は50ドルの割引」
と書いてあるそうです。 宿泊代は旅行社の方で支払済みなので心配は
要らないのですが 「50ドル割引の夕食ということは、恐らく一人
百ドルくらいするのではなかろうか?」という心配です。

普通の旅行業者は、ツアーグループを、土産物屋やレストランへ連れて
行って、リベートで経費の足しにして採算を取るそうですが、Sさんは
一切それをやりません。 今回の旅行中も、各自でとる食事なども
ファスト・フーヅやファミリー・レストランを勧めてくれて、日本食などは
バンクーバーの方が安くて美味しいと云われます。

成るほど、パンフレットで見ると、立派なクラブ・ハウスみたいな大きな建物
があって、そこにシャトウ・ダイニング・ルームがあるようです。
パンフレットの写真からみると、男性ならネクタイにジャケットが要るのでは
無かろうかと言う心配もでてきました。

でもパンフレットのほかのページを読むと、「カバナス」というカジュアル
・ルームもあるようです。 そこなら、幾らか安いかも知れません。
でもオフシーズン中は、午後4時までと書いてあります。 シーズン中なら
10時までのようです。 6月13日の今宵は、シーズンとオフ・シーズンの
丁度境い目で微妙な時期です。

まだ日没までは2時間近くありますが、すでに時刻は8時を回っています。
案じても仕方ないので、取りあえず荷物を部屋へ入れてから、我々だけで
相談しようということになりました。 案内役のSさんは、食事の時は何時も
別行動です。 というよりも、殆ど召し上がらないみたいで、一日中運転と
ガイド続きで大変です。 ベテランのSさんは、疲れを取り除く独自の健康
管理と生活のサイクルをお持ちのようです。

着いた建物は2階建てで、一階に四つドアがついています。 Sさんは別棟。
Aさん一家と、Iさん姉妹に私たち夫婦の3組はそれぞれのドアを開けて
中に入りました。

何時もは快晴続きで暑いはずのオカナガンですが、今日は珍しく曇りで
肌寒いくらいです。 木立のせいか、なんとなく薄暗く陰気な感じのドアを
開けると、正面右手壁際に厚い絨毯を敷いた幅広い階段があります。

そのまま階段横を通って奥へ行くと、暖炉のある広いリビングルームが
ありました。 手前にダイニング、左手前に台所。 入り口に引き返して
みると、ドアの横にフル・バスルームがあります。 リビングルームには
30インチほどの大きなテレビがキャビネットのなかに納まっており、
DVDプレーヤーまで付いています。 スライディング・ドアの外は
パテオになっていて、木立ちの向こうにゴルフ場を見下ろせます。

「ウワッ! 豪華!」

ベッドルームは2階にあるようです。 階段を上るとホールウェイの
飾りテーブルには、置物と花が生けてあります。 ホ-ルウェイの
回りにベッドルームが三部屋、バスルームが二つ付いていて、全部で
6人泊まれるようになっています。各室がテレビつきです。

部屋の家具調度も、今まで泊まったなかで一番立派です。 キッチンも
フルオーブン、皿洗い機、電子レンジ、大きな冷蔵庫、コーヒーメーカー
に食器類、フライパンなど調理器具全てに調味料まで揃っていました。
これで、家族向け長期滞在用のユニットだと判りました。

ここまで見定めたところでIさん姉妹の部屋へ行くと、Aさん一家はすでに
来ておられました。 皆、部屋の立派さに驚いていましたが、これだけ
調度が揃っていても、食材がなければどうにもなりません。 カジュアル・
ダイニングの「カバナス・ルーム」が開いていることを願いながら、軽装の
まま100メートルほど離れたメイン・ビルディングへと小道を向いました。

06-07-23 (日)快晴 17~29度

カナディアン・ロッキーの旅 (36)

2006-07-23 09:02:55 | 暮らし
つい、オーヤマの町のことで長くなりましたが、一行を乗せた車は、
幾つかの湖を左に見ながら、何時の間にかケローナ市に入りました。

ケローナは周辺まで入れると、16~17万人の人口を持つ市で、中心街
を行くと、馴染みのあるマクドナルド、ケンタッキー・チキンなどファスト
フーズの店やファミリー・レストランが軒並み並んでいます。 その一画
にある観光案内所に一寸立ち寄って地図を貰ってから、今夜宿泊のホテル
を目指します。

Sさんの話によると、ケローナには国際空港もありカナダで10番目に
離着陸の多い空港で、各種航空機のための質の良い整備・修理工場がある
ことでも有名だそうです。 ここで整備・点検を受けるため、外国の航空機も
飛来するそうです。

市内を通り抜け、オカナガン・レイク・ブリッジを西へ渡ります。この橋は
カナダで唯一の浮き橋構造で、12基の箱舟で繋がれた部分の全長は
630メートル、この種の橋としては北米で最大で、50年前に建造された
もの。 この橋も耐用年数が近いので、目下新しい橋への架け替え工事が
進んでいます。2008年中に完成の予定だそうです。

橋を渡り終わると、右折して湖沿いに北上します。 Sさんも初めて泊まる
ホテルで、探しながら運転をしていますが、なかなかそれらしき建物が
見えてきません。 道も曲がりくねっているので、正確には分りませんが、
5~6キロは行ったでしょうか。 スピードも落として、見失わないように
ユックリ走っているのですが、少し心細くなってきました。

ようやく50センチ四方くらいの看板が見つかりました。
「レイク・オカナガン・リゾート この先2キロ」

湖面を見下ろす右手の木立ちの中に、遠慮がちに立っていました。
チョット瞬きしているうちに見過ごしそうなくらいに小さな看板です。
日本に較べてカナダでは、ほんとうに本当に看板を見掛けません。
特に郊外ではそうです。 自然の美観を損なわないように、
最低限に保っているようです。

Sさんの話によると、バンクーバーの郊外に何ヶ所か大きな看板が並んで
いるところがあるそうですが、それは市条例の及ばない先住民の居留地で、
そのような人たちの収入源になっているそうです。

「アッ、あった」 もう少しで見落としそうな右下の急斜面の木立の中に
ロッジの入り口がありました。 さっきの小さなサインから丁度2キロの
地点でした。 ソロソロと坂道を下りて行くと、建物が点在しているのが
見えてきました。

最初に見えたのが道具小屋風の小さな建物です。 その横に矢印が幾つも
ついた杭が立っていました。 「オフィス」と書かれた矢印の方向に車を
動かしますが、ゴルフ場を見下ろす林間に調和した建物が点在するだけで、
オフイスはみつかりません。

仕方なく引き返して、先ほどの小屋の横に立つ矢印を良く見たら、
そこにある物置みたいな小屋がオフィスのようです。
遠くを指し示すような長い矢印でなく、
「ココ」と短く書いてくれれば良いのに・・・・・。

旅なれたSさんでさえ間違うほどです。 矢印のある杭の場所からは
見えない所に、入り口の小さなドアがありました。ドアを開けて入ると
6畳ほどの広さの普通の事務所風です。

Sさんが全て手続きをしてくださって、夫々が鍵をもらって駐車場へ
向かったら、そこに「オフィス」のサインが出ているのに気付きました。
何もかも目立たないように(見つけ難いように?)するのがカナダ方式?

それにしても、オフィスの入口は通路に面しているのではなく、引っ込んだ
建物の横に付いています。 でも、横のデッキから見える湖とゴルフ場の
景色は確かなものでした。 ここを見せるために入口を横に付けたのかしら?

ここで、ちょっと一思案を要しそうな問題が起こりました。

06-07-22 (土)薄曇りのち晴 16~29度

カナディアン・ロッキーの旅 (35)

2006-07-22 13:40:19 | 
ところで、大山巌元帥は私の郷里、鹿児島の出身ですが、この名前を
聞いたのは何十年ぶりでしょう。 カナダに住んでいても、日本語放送や
日本の新聞雑誌などで西郷隆盛の名を見ることは偶にありましたが、
大山巌の名は一度も見たことも聞いたこともありませんでした。

今回初めて気が付いたのですが、鹿児島では「せごどん」「せごどん」と
西郷隆盛を崇拝する人は多いのですが、大山巌の名はほとんど聞かなかった
ような気がします。

西郷隆盛は明治維新の立役者ですが、征韓論が容れられず明治新政府の
参議を辞職して鹿児島に帰ったあと、西南戦争で反乱軍の長となり、官軍
との戦いに敗れ自刃しています。

大山巌は西郷隆盛の従兄弟で、西郷の後押しもあって明治政府の中で昇進
しましたが、西南戦争では政府軍の一員として闘ったことが心の傷となり、
二度と鹿児島に帰ることはなかったということです。(ウィキペディアより)

鹿児島市の加治屋町に、大山巌生誕の記念碑がありましたが、カレによれば、
近所の子供たちの遊び場でしかなかったような気がすると云っています。

大山巌は、薩英戦争で欧米の軍事に興味を持ち、戊辰戦争で戦功をあげた後、
渡欧して西欧列強の軍事力を学んだのでした。 しかし語学力不足を実感して、
帰国後、高官の地位を辞し、再度日本人のいないジュネーブに4年間単独語学
留学をした行動派・実践派でした。 でもそれは、西南戦争で西郷と対峙する
前のことです。

二度にわたって西欧を視た大山の冷静な視点と、直情型の西郷の視点の違いが、
大山を政府軍に起たせたのでしょうか。

大山巌は、日露戦争の総司令官として世界に名を上げ、元帥・公爵に栄進しま
したが、恬淡で茫洋とした人柄で、政治的な野心がなく、元老になってからは、
皇室の信頼がもっとも厚かったそうです。 なお大山は、西郷の遺族とは
その後も心置きなく付き合ったということですが、大山が二度と鹿児島の地を
踏まなかったのは、鹿児島の人たちの気質を配慮してのことかも知れません。

今回、カナダのオーヤマ町を通して何よりも驚いたのは、大山巌が前妻に病死
されたあと、ある結婚披露宴で見初めて結婚した妻「捨松」(旧姓:山川) の
ことです。

会津藩の家老の娘・山川捨松は、八才で戊辰戦争を実体験していますが、12才
の時に、岩倉具視使節団の一行に加わった初の5人の女子留学生の一人として、
10年間米国で学び、名門大学を卒業後、市立病院で一級看護婦の資格を取り、
帰国した人だったのです。(この5人の少女の一人に津田梅子も居り、後日
津田を支援することになります。)

当然のこととして、会津藩の家族も周辺も猛反対しますが、米国で教育を
受けた捨松は、女性を大切にする大山の態度に結婚を決意したのでした。
外国人に、猿芝居と揶揄された鹿鳴館外交には、芸妓上がりの政治家夫人たちが
多かった中、大山捨松は、美貌と教養の面で際立った存在だったようです。

「捨松」の名の謂れや、留学の経緯、留学期、大山との日常、前妻の3人の娘、
海外誌への寄稿・主張、社会的活動等など、その生涯は一大ロマンと言えそうです。

また、徳富蘆花の不如帰のモデルは、大山巌の前妻の長女をモデルにしたようで、
意地悪な母親に仕立てられた捨松は、実際には娘達に慕われていたということ、
徳富蘆花も後日謝罪したことなども初めて知りました。

話が横道にそれましたが、他にも大山巌の名を冠した場所が世界中のどこかに
あるかも知れません。

カレによると、戦後外国の軍艦が鹿児島に立ち寄ると、必ずと言って良いくらい、
艦長や士官が衛兵を率いて東郷墓地に参り、ラッパを吹奏して花輪を捧げていると
見聞きしたそうです。 敗戦後のことでもあり意外だったそうですが、東郷元帥は
外国の海軍にとっても東洋のネルソン提督として、尊敬されていたのですね。

東郷元帥の名を「通り名」にしている国は、ヨーロッパに幾つかあると聞いた
ことがありますが、カナダでは如何でしょう。

調べたらありました。 マニトバ州境に近い、サスカチェワン州の村にありました。
その関連サイトに、東郷元帥の写真入りで以下のように記してあります。
ただし、鉄道を敷設したノーザン鉄道の命名です。

Togo was named for Heihachiro Togo, a Japanese admiral and Japan's
greatest naval hero, referred to as "the Nelson of the Orient" for
his wartime exploits.

海外では西郷隆盛よりも、東郷平八郎や大山巌の方が親しまれているのですね。

本当に話が脱線してしまいましたが、これは私の備忘録です。

06-07-21 (金)快晴 17~27度

チェリーニ種

2006-07-21 13:59:30 | 
オカナガン地方は、果物の産地です。
夏から秋にかけて、イチゴ、チェリー、ブドウ、ナシ、リンゴなど
果物が沢山採れるので、各地から沢山の人々が果物狩りに集まります。

今回の旅でこの地を通った時には、まだ時期的に早かった所為か、
道路上近くでは数ヶ所の小さな出店を見かけたくらいです。
あいにく小雨も降っていたし、時間の都合もあったので、結局、
地元では何も買わずに帰って来ました。

野菜屋さんやスーパーマーケットには、オカナガン地方で採れた
チェリーをはじめ沢山の果物が並んでいます。

もうソロソロ美味しいチェリーのシーズンは終わるころ、
旅のことを思い出しながら、美味しく頂いています。

カナディアン・ロッキーの旅 (34)

2006-07-21 13:56:45 | 
車はアームストロングを過ぎて、今夜の宿泊地ケローナ市に向って南下を
続けます。

右手・西側には、南北に延々と続く細長いオカナガン・レイクがある筈
ですが、山並みに遮られて見えません。 反対に、左手に湖がずっと
見えます。 私たちの車が走っているこのハイウェイ97号線は、南北に
細長い二つの湖の間を走っているのだそうです。 左手に見えるのは
カラマラカ湖とのこと。

この一帯はオカナガン・バレーと呼ばれ、盆地のため、夏は暑く冬は寒い
ところです。 果樹園・ぶどう園が多く、盆地と言う点では、山梨のような
イメージがしますが、いかがでしょうか?

不思議なのは、この暑くて寒いオカナガン・バレーはカナダの一大リゾート地
とされていることです。 夏はゴルフやハイキング、湖の砂浜や水上スキー、
カヌーなどを楽しむために、冬はパウダー・スノーのスキーやスケートを
楽しむ人たちが押し寄せるそうです。 バンクーバーのように、夏冬の寒暖の
差があまりないところの人たちには魅力なのですね。 また、カナダ各地
から、引退後の安住の地としても人気が高いようです。 夏暑いと言っても
乾燥しているので、過しやすいのでしょう。

この辺りには日系人も戦前から住み着いており、西海岸から離れていたため
戦時中の敵性国民の強制移動の対象外だったため、果樹園主などは、安定した
生活を送ることができたそうです。

Sさんが、湖の右手の山の向こうを指差しながら話してくださいます。

「あの辺り、オカナガン・レイクの西岸に、OYAMAという名の町が
あるのです。 皆さんはきっと、大山という名の日本人が住んでいたのだと
思うでしょう。 ところがそうではないのです」
と話してくださったのが次の話です。

美しい山々と湖をもつこの地に入植した白人たちは、果樹園や酪農を
営んでいましたが、人口も何百人かにふえたので、町の名前を付けよう
ということになったそうです。 その時世界を沸かしたニュースが、
「東洋の小国の英雄が、大ロシア帝国の軍隊を破った」でした。
その英雄の「大山巌」(元帥/公爵)の名を町の名前にしようとの案が
採択されたのだそうです。

オーヤマ町のホームページにも次の通り紹介してありました。
Oyama is named after a Japanese field marshal, Prince Iwao Oyama
(1842-1916), who fought in the Russo-Japanese war of 1904-1905.

私自身、オーヤマという町があることは、何処かで聞いた記憶がある
のですが、てっきり「大山」という日系人が住んでいたのだろうと
思っていました。というのも、バンクーバーに住んでみて、「ミノル」
とか「カドタ」とか、日系人の名を付けた通りが結構あったからです。

写真:インフォメーション・センターでもらった オカナガン地方の
パンフレットです。

06-07-20 (木)快晴 15~25度

黄色い花

2006-07-20 14:55:02 | 
少し肉厚の葉、金魚草の花のように脹らんだ花房が
いくつか付いていて、今まで見たことのないような花です。

苔むした岩肌のすき間から顔を出していました。

カナディアン・ ロッキーの旅 (33)

2006-07-20 14:50:04 | 
Sさんが教えてくださった逸話はこうです。

このアームストロングの町には、1950年ごろにロジャースさん一家が
始めた製粉工場があったそうです。 小さく始めた粉挽き所は、息子さんの
代になって大きく育ったのですが、何か経営上の問題が出てきたらしい
のです。

その話が日本の日清製粉に伝えられ、何とか助けてもらえないかという
ことになり、社長の正田英三郎さんが社員を調査に派遣したのです。
調査を終えて帰国した社員は、「工場は古いし、製品もマアマアです」
と気乗り薄の報告。

すると正田社長は、「今の工場や製品は如何でも構わない。働いている
人たちはどうか、もう一度調べてくるように」と言われました。再度
調査に赴いた社員が報告するには、
「機械は古いが、働いている人たちは、皆さん素晴らしい人たちです」
「そうだろう。そうだろう。 機械は最新式のモノを入れればいい。
その人たちに働いて貰おうじゃないか」
という訳で、1989年に日清製粉のロジャース・フーズ買収が実現した
のだそうです。

正田さんが「そうだろう。そうだろう」 と言われたのには、訳があった
のだそうです。 戦前よりもっと以前の話らしいのですが、社長が製粉業の
調査か会議かで訪米した時に、カナダから来ていた製粉業界の人たちが、
何の偏見もなく、正田氏に極めて紳士的な態度で親切に接し、カナダの
製粉所などを見せてくれたことに、非常に感銘した経験があったから
のようです。

その正田社長というのが、英三郎氏だったのか、それとも父で創業者の
貞一郎氏だったのか、聞き漏らしてしまいましたが、正田家では、カナダ
に対する特別な思いがあったから、何時の日か、何かカナダの役に立とうと
考えて居られたのかも知れません。 1900年に手探りで製粉所を
始めた父・貞一郎氏は、1913年に4ヶ月の洋行をして、新鋭の製粉術
を学んだようなのです。

買収しても、日清製粉から大勢の社員を派遣するでもなく、経営は前から
働いていたカナダ人に任せ、従業員も新鋭の設備で正田氏の期待通りの
最高の製品を作っているそうです。 英国皇室の「君臨すれども統治せず」
のようですね。

ロジャース・フーズは、ブリティシュ・コロンビア州の唯一の製粉工場で、
最近は工場も増設し雇用も増やし、州経済に大変貢献しているそうです。
また、従業員も正田氏をジェントルマンとみて心服したようです。

以上、Sさんに教えてもらうまでは知らなかった話です。

我が家では30年来、ロビンフッド印の粉を使ってきましたが、スーパー
で見たら、ロジャースの製品の方が用途別の種類も多く、値段も安い
ことに初めて気付きました。 それに、健康志向が社是だというのも
気に入りました。 次回からは、ロジャース製品に変えようと思いますが、
今の在庫を使い切るには、今年イッパイは掛りそうです。

写真は:記事には関係ありません。これらの話を聞きながら、走行中の車の
中から牧場にカメラを向けましたが・・・なかなか難しいですね。

06-07-19 (水) 薄曇り

白い花 (2)

2006-07-19 14:15:18 | 
針葉樹林の広がる木陰にたくさん咲いていました。
香りが良く、きれいな小さな花が連なっています。
茎は1メートル位あり、大き目の葉がとてもきれいです。

日本のユキザサ(ユリ科)に似ていますが、同じでしょうか?
こちらでは、「 False Solomon's Seal」と呼ばれています。