Still Creek のほとりで

Still Creek(静寂なる小川)は裏庭を流れる小川の名前。といっても Windows からは騒音もきこえてきます。

カナディアン・ロッキーの旅 (35)

2006-07-22 13:40:19 | 
ところで、大山巌元帥は私の郷里、鹿児島の出身ですが、この名前を
聞いたのは何十年ぶりでしょう。 カナダに住んでいても、日本語放送や
日本の新聞雑誌などで西郷隆盛の名を見ることは偶にありましたが、
大山巌の名は一度も見たことも聞いたこともありませんでした。

今回初めて気が付いたのですが、鹿児島では「せごどん」「せごどん」と
西郷隆盛を崇拝する人は多いのですが、大山巌の名はほとんど聞かなかった
ような気がします。

西郷隆盛は明治維新の立役者ですが、征韓論が容れられず明治新政府の
参議を辞職して鹿児島に帰ったあと、西南戦争で反乱軍の長となり、官軍
との戦いに敗れ自刃しています。

大山巌は西郷隆盛の従兄弟で、西郷の後押しもあって明治政府の中で昇進
しましたが、西南戦争では政府軍の一員として闘ったことが心の傷となり、
二度と鹿児島に帰ることはなかったということです。(ウィキペディアより)

鹿児島市の加治屋町に、大山巌生誕の記念碑がありましたが、カレによれば、
近所の子供たちの遊び場でしかなかったような気がすると云っています。

大山巌は、薩英戦争で欧米の軍事に興味を持ち、戊辰戦争で戦功をあげた後、
渡欧して西欧列強の軍事力を学んだのでした。 しかし語学力不足を実感して、
帰国後、高官の地位を辞し、再度日本人のいないジュネーブに4年間単独語学
留学をした行動派・実践派でした。 でもそれは、西南戦争で西郷と対峙する
前のことです。

二度にわたって西欧を視た大山の冷静な視点と、直情型の西郷の視点の違いが、
大山を政府軍に起たせたのでしょうか。

大山巌は、日露戦争の総司令官として世界に名を上げ、元帥・公爵に栄進しま
したが、恬淡で茫洋とした人柄で、政治的な野心がなく、元老になってからは、
皇室の信頼がもっとも厚かったそうです。 なお大山は、西郷の遺族とは
その後も心置きなく付き合ったということですが、大山が二度と鹿児島の地を
踏まなかったのは、鹿児島の人たちの気質を配慮してのことかも知れません。

今回、カナダのオーヤマ町を通して何よりも驚いたのは、大山巌が前妻に病死
されたあと、ある結婚披露宴で見初めて結婚した妻「捨松」(旧姓:山川) の
ことです。

会津藩の家老の娘・山川捨松は、八才で戊辰戦争を実体験していますが、12才
の時に、岩倉具視使節団の一行に加わった初の5人の女子留学生の一人として、
10年間米国で学び、名門大学を卒業後、市立病院で一級看護婦の資格を取り、
帰国した人だったのです。(この5人の少女の一人に津田梅子も居り、後日
津田を支援することになります。)

当然のこととして、会津藩の家族も周辺も猛反対しますが、米国で教育を
受けた捨松は、女性を大切にする大山の態度に結婚を決意したのでした。
外国人に、猿芝居と揶揄された鹿鳴館外交には、芸妓上がりの政治家夫人たちが
多かった中、大山捨松は、美貌と教養の面で際立った存在だったようです。

「捨松」の名の謂れや、留学の経緯、留学期、大山との日常、前妻の3人の娘、
海外誌への寄稿・主張、社会的活動等など、その生涯は一大ロマンと言えそうです。

また、徳富蘆花の不如帰のモデルは、大山巌の前妻の長女をモデルにしたようで、
意地悪な母親に仕立てられた捨松は、実際には娘達に慕われていたということ、
徳富蘆花も後日謝罪したことなども初めて知りました。

話が横道にそれましたが、他にも大山巌の名を冠した場所が世界中のどこかに
あるかも知れません。

カレによると、戦後外国の軍艦が鹿児島に立ち寄ると、必ずと言って良いくらい、
艦長や士官が衛兵を率いて東郷墓地に参り、ラッパを吹奏して花輪を捧げていると
見聞きしたそうです。 敗戦後のことでもあり意外だったそうですが、東郷元帥は
外国の海軍にとっても東洋のネルソン提督として、尊敬されていたのですね。

東郷元帥の名を「通り名」にしている国は、ヨーロッパに幾つかあると聞いた
ことがありますが、カナダでは如何でしょう。

調べたらありました。 マニトバ州境に近い、サスカチェワン州の村にありました。
その関連サイトに、東郷元帥の写真入りで以下のように記してあります。
ただし、鉄道を敷設したノーザン鉄道の命名です。

Togo was named for Heihachiro Togo, a Japanese admiral and Japan's
greatest naval hero, referred to as "the Nelson of the Orient" for
his wartime exploits.

海外では西郷隆盛よりも、東郷平八郎や大山巌の方が親しまれているのですね。

本当に話が脱線してしまいましたが、これは私の備忘録です。

06-07-21 (金)快晴 17~27度