実は鹿児島を離れる前日に、沖先生にお会いしてきました。
カレの中学時代の図画の先生です。 ある個人病院で長期
療養中でいらっしゃるということをカレから聞いておりました。
その病院の住所を見たら、実家から車で10分位の場所だと
いうことが分かったのです。
60年前の新聞記事も見つかったし、カレの絵の才能を見つけて
自信をつけてくださった恩師の沖先生にぜひお会いして、お礼を
申し上げたかったのです。 明日は鹿児島を離れなければなら
ないし、この機会を逃してはお目にかかることはないのでは?
度々、後で後悔することの多い私は「後悔、後を立たず」
と笑ってきましたが、今回だけはそう思いたくはなかったのです。
「後悔、先に立たず」で実行に移しました。
その病院の受付を訪ねました。
「実は沖先生を訪ねてきたのですが、お会いできるでしょうか?」
「ええ、大丈夫だと思いますよ。 先生のお部屋は・・・・」
若くて感じの良い女性が、部屋を教えてくださいました。
「ちょうどお昼過ぎですが、大丈夫でしょうか」
「ドアを叩いてみてください。返事があったら大丈夫ですよ」
部屋は一階の離れの部分に特別に用意されているようでした。
恐る恐るドアを叩いたら、「ハイ・・・」という返事が直ぐありました。
病室とは思われないほどの広い部屋の入り口にベッドがあり、
そこに、とても上品なお年寄りが横になっておられました。
突然見知らぬ私が入っていったので、先生は本当にビックリ
なさったことでしょう。
連絡もしないで厚かましくも突然来訪したこと、それにカレの件の
絵のことで、度々電話でご迷惑をおかけしたことなどを詫びました。
そして、例の新聞のコピーを渡して説明をしたら、先生は少し
頭を持ち上げて、その絵をしばらくじっと見つめておられました。
「この桜島の絵のことを覚えていらっしゃるでしょうか?」
どうしても思い出せないご様子で、軽く頭を振られます。
カレのことについても何も思い出せないご様子に、これ以上
お邪魔をしては申し訳ないという気持ちになりました。
「これまでに沢山の生徒さんたちを育てていらしたのですから
無理もありませんね。 しかし、先生の優しい指導のお陰で、
60年経った今、絵を描くことが益々好きになり老後を楽しんで
いる生徒がいるということをお伝えしたかったのです。先生の
お陰です」
先生に対するお礼の気持ちを、私なりに率直に述べた積もりなの
ですが、それがどのように先生に伝わったか、全く自信はありません。
なにしろ、話下手だと言うことを自分でもよく分かっていますから。
たぶん10分くらいの対面だったのでしょうが、先生はかなり
お疲れのご様子で、言葉もほとんど聞き取れないくらいの
弱々しさでした。 一週間前になくなった私の母と同じ年令で、
体調が良くないために入院していらっしゃるのですから・・・。
お別れするとき、「先生にお会いすることが出来てとても幸せです。
主人も喜んでくれることでしょう」といって握手をしてもらいました。
先生の手の温もりと優しく潤んだ目を今でも忘れることが出来ません。
若い頃から静かで温厚な先生だったとカレもいっています。
ベッドに横になっておられても、往時の姿が目に浮かぶような
素晴らしい紳士の沖先生でした。
カレの中学時代の図画の先生です。 ある個人病院で長期
療養中でいらっしゃるということをカレから聞いておりました。
その病院の住所を見たら、実家から車で10分位の場所だと
いうことが分かったのです。
60年前の新聞記事も見つかったし、カレの絵の才能を見つけて
自信をつけてくださった恩師の沖先生にぜひお会いして、お礼を
申し上げたかったのです。 明日は鹿児島を離れなければなら
ないし、この機会を逃してはお目にかかることはないのでは?
度々、後で後悔することの多い私は「後悔、後を立たず」
と笑ってきましたが、今回だけはそう思いたくはなかったのです。
「後悔、先に立たず」で実行に移しました。
その病院の受付を訪ねました。
「実は沖先生を訪ねてきたのですが、お会いできるでしょうか?」
「ええ、大丈夫だと思いますよ。 先生のお部屋は・・・・」
若くて感じの良い女性が、部屋を教えてくださいました。
「ちょうどお昼過ぎですが、大丈夫でしょうか」
「ドアを叩いてみてください。返事があったら大丈夫ですよ」
部屋は一階の離れの部分に特別に用意されているようでした。
恐る恐るドアを叩いたら、「ハイ・・・」という返事が直ぐありました。
病室とは思われないほどの広い部屋の入り口にベッドがあり、
そこに、とても上品なお年寄りが横になっておられました。
突然見知らぬ私が入っていったので、先生は本当にビックリ
なさったことでしょう。
連絡もしないで厚かましくも突然来訪したこと、それにカレの件の
絵のことで、度々電話でご迷惑をおかけしたことなどを詫びました。
そして、例の新聞のコピーを渡して説明をしたら、先生は少し
頭を持ち上げて、その絵をしばらくじっと見つめておられました。
「この桜島の絵のことを覚えていらっしゃるでしょうか?」
どうしても思い出せないご様子で、軽く頭を振られます。
カレのことについても何も思い出せないご様子に、これ以上
お邪魔をしては申し訳ないという気持ちになりました。
「これまでに沢山の生徒さんたちを育てていらしたのですから
無理もありませんね。 しかし、先生の優しい指導のお陰で、
60年経った今、絵を描くことが益々好きになり老後を楽しんで
いる生徒がいるということをお伝えしたかったのです。先生の
お陰です」
先生に対するお礼の気持ちを、私なりに率直に述べた積もりなの
ですが、それがどのように先生に伝わったか、全く自信はありません。
なにしろ、話下手だと言うことを自分でもよく分かっていますから。
たぶん10分くらいの対面だったのでしょうが、先生はかなり
お疲れのご様子で、言葉もほとんど聞き取れないくらいの
弱々しさでした。 一週間前になくなった私の母と同じ年令で、
体調が良くないために入院していらっしゃるのですから・・・。
お別れするとき、「先生にお会いすることが出来てとても幸せです。
主人も喜んでくれることでしょう」といって握手をしてもらいました。
先生の手の温もりと優しく潤んだ目を今でも忘れることが出来ません。
若い頃から静かで温厚な先生だったとカレもいっています。
ベッドに横になっておられても、往時の姿が目に浮かぶような
素晴らしい紳士の沖先生でした。