三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件当時のひばりが丘団地への道略図

2015-10-23 05:48:47 | 日記
中原商店会を南へ南へと、歩き、やっと、ひばりが丘団地へ、辿り着く。
実際、歩いてみて、判ったことは、以下のとおり。
ひばりヶ丘駅からひばりが丘団地までは、距離もあるし、道幅は狭いし、しかも、直通する道路はない。
また、現在も、三億円事件当時も、商店街が、ひばりヶ丘駅からひばりが丘団地まで、連続しているということはなく、特に、東西に伸びる通りには、商店はない。
直通する道路がなかったり、開けていない、というのは、もともと、工場の敷地だったから、ということが、考えられるが、そもそも、距離がありすぎる。
ひょっとすると、ひばりが丘団地で、もっとも、ひばりヶ丘駅に近い区域の場合、駅まで、歩いたかもしれないが、でも、それなら、自転車ぐらい、使うと思える。
このようにしてみると、一橋本で、「徒歩」と、書かれているのは、いかにも、不自然だと、感じるのだが。
では、なぜ、「徒歩」と記しているのだろう。
おそらく、三億円犯人が、ひばりが丘団地に、出没した理由として、交通の利便性を、想定したからだろう。
たしかに、一見すると、ひばりヶ丘駅、といえば、ひばりが丘団地、と考えてしまいそうだ。
でも、実際、最初から鉄道駅が組み込まれている場合を除いて、団地と駅は、無関係である場合が、ほとんどである。
団地は、広範囲の敷地を必要とするので、すでに、駅ができていて、周囲が造成されていれば、そもそも、団地を建設することは、不可能。
駅とは、無関係の、辺鄙な場所に、団地は、位置している場合が普通なのだ。
ひばりが丘団地も、当然、この場合に当てはまり、つまり、ひばりヶ丘駅とは、無関係な場所に位置している。
(2013年5月記)
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