歴代司会者考、第6回目は、古舘伊知郎、柴俊夫コンビ時代について記事を書きます。
前回の記事で触れたように1988年2月、放送初回から司会を担当してきた「夜ヒットの大看板」芳村真理さんが放送第1000回を以て番組を勇退。
この芳村さん勇退時において、まだ後継司会者の人選については「未定」とされており、芳村さんの後任に誰が加入してくるのか、それがちょっとした話題となっていました。
芳村さんの雰囲気に類似した楠田枝里子さんや、女優部門では夜ヒット常連組の一人でもあった竹下景子さんなど色々と取り沙汰されていました。
他の方の話でもよく「芳村真理の後は多分この人だと思っていた」として名前が挙がっているのが、楠田枝里子さん。管理人自身もこの方が後継を勤めるんじゃないのかなあ?と当時思っていました。司会に徹するという姿勢や、ファッショナブルな雰囲気を持っているという点で、芳村さんからの引継ぎがスムーズにいくのはまず楠田さんぐらいしかいないだろう、なんて思っていました。
ところが1987年秋、新たにプロデューサーとして夜ヒットの製作中枢に関わるようになった渡邊光行氏は、兼ねてより「今は女性の時代と言われているけど(※当時は社会党委員長に土井たか子さんが就任し、史上初めての女性総理大臣誕生か?と話題となっていたりと、何かと女性の社会進出が目立った時代でした)が、あえてその中で男性中心の番組を作りたい」という思いを持っていたらしく、芳村さんの後継人選は男性タレントを軸に進められていたようです。当然に楠田さんなどの名前もそのスタッフ間での人選の中で有力候補として名前は出てきていたようですが、あくまでも男性タレント優先で事が運んでいきました。
「男性中心の路線で」という方針の裏返しにはやはり、20年・1000回にわたり司会を務め、「夜ヒット」という番組ともはやイコールされる存在になっていた芳村さんによって築かれてきた番組イメージに変革をもたらすためには、芳村さんとは全く真逆の司会者を抜擢する必要がある、という判断が働いたのは言うまでもないでしょう。
このような人選の中で白羽の矢が立ったのが俳優の柴俊夫さんでした。柴さんはもちろん、本格的な司会の仕事はこの夜ヒットが初めて。俳優としてのキャリアはすでにベテランといってぐらいのものでしたが、司会者としてのキャリアは全くの「新人」ともいえる状態で、まさに異例の抜擢でした。新たな夜ヒット像を築く上でのキーパーソン的存在としての抜擢であったわけで、スタッフたちの柴さんへの期待は並々ならぬものだったと思います。
第1001回の放送は観客を招待しての総集編企画で放送され、古舘さん一人で番組の進行にあたり、第1002回目より柴さんが司会に正式に参加することになります。
柴さんの夜ヒット司会初回は今でも記憶に残っています。
とにかく、緊張の極限にあったためか、オープニング、階段から降りて登場したところから柴さんはとにかく汗だく。そして「夜のヒット”パレード”」といきなりトチってしまい、相手方の古舘さんがなんとかミスを修正しようと躍起になっていた、という状態だったと記憶しています。そのドタバタぶりからかメドレーに参加する出演歌手の数組も柴さんの緊張が移ってしまったかのように歌詞を度忘れしてしまう状態になったりと、なんとなくバタバタした状態で本編に突入していったような記憶があります。
古舘さんは司会は未知数であった柴さんに配慮して、あえて話を振る形で柴さんを進行に関わらせ、アドリブでのコメントを引き出そうとしていました。しかし柴さんは、ほぼ台本通りの司会で精一杯の状態。若手の古舘さんに配慮して彼に最大限の裁量を与えながらサポートに回るという構図だった芳村・古舘時代に比べて、司会のコンビネーションが著しく劣ることは、一目瞭然でした。
また、男性司会コンビである以上当然といえば当然ですが、画面を見ても「華がない」というのは歌謡番組にとっては致命傷ともいえる部分でもありました。特に夜ヒットの場合は歌手の衣装にも大きく影響を与えていた芳村さんが司会を続けていたこともあり、それとの比較で大きな落差を感じた視聴者も多かったようです。
この男性司会コンビの欠点を補充するという意味合いからか、この時代になると、以前も申し上げたようにそれまでになく企画物が多用され、なんとか番組の勢いを留めようとするスタッフたちの苦心が続いていました。初めのうちはそれで何とか乗り越えられたものの、何回も何回もその状態が続くうちに、マンネリが生じ視聴者から飽きられてしまう、という負のスパイラルに番組全体がいつしか陥るようになっていました。DXリニューアル当初は、海外アーティストを毎回出演させることを目玉として掲げていたはずのものが、いつしか海外アーティストの出演する機会が減少し、出演する歌手も2時間の放送枠のはずなのに、月曜1時間時代と同じく8、9組程度しかいない、演歌歌手が誰一人出演していないなんていう状態も古舘・柴司会時代の終盤にはたびたびあったりしました。
このように男性司会コンビの欠点が究極的に番組全体の低迷をもたらす契機を作ってしまい、この古舘・柴コンビの司会は1989年秋、DX版終了と同時に、柴さんの降板を以て終焉を迎えます。
古舘・柴のコンビ司会については今も賛否両論があり、視聴者によっては、「よかったのに何ですぐに柴さんが降板しちゃったのか?」といった評価もあります。ただ、管理人の主観としてはこの男性司会コンビ体制を採ったことが結果として、「夜ヒットは悪い方向に行ってしまった」という印象のほうが強いです。
芳村真理さんの時代と比較するのは、司会者としては「新人」同然でもあった柴さんには酷な話であり、女性司会者と男性司会者という違いゆえ、その司会の手法が当然に大きく変わることも避けられないわけですが、「夜ヒット=芳村真理司会」のイメージが出来上がっている私、管理人はどうしてもその時代と比較しながら、この柴さん、古舘さんの司会ぶりを当時見ていて、「なんか物足りないなあ」といつも思いながら番組を見ていた記憶があります。
上述のような華やかがなくなったというのもあるんでしょうけど、それ以上に20年を超える王道の音楽番組としてのや「権威性」というのが無くなってしまったというのが「何が足りない」と思った最大の背景としてあります。この夜ヒットの「権威性」というのも芳村さんに依るところがかなり大きかったですし、この方がいない以上、「何が足りない」と思ってしまうのは当然の理ではあるわけですけど・・・。
あと、もう一つは「男性司会コンビ」というスタイル自体はその後の「Show byショーバイ」(NTV)の逸見政孝さんと渡辺正行さん、「どっちの料理ショー」(YTV)の関口宏さんと三宅裕司さんといった具合で多用されており、別に悪いとは思わないのですが、何故にそこに夜ヒットの場合は、「未知数」の柴さんを起用したのか、その部分が未だ不可解であるという点も、古舘・柴コンビの司会を快く思わなかった要因の一つでもあります。男性司会者を古舘さんのパートナーとして抜擢する必然性はわかっても、そこに柴さんを抜擢することの必然性というのが今ひとつわからなかったりします。「なんで芳村真理の後が柴俊夫だったの?」という意見も未だにちらほらブログや掲示板を見ると見受けられるので、私と同じように思ってる人は結構いるんじゃないでしょうか・・・。
1989年9月のDX版終了後、番組の本流を受け継ぐ番組として「SUPER」版が1時間番組に放送時間を短縮の上、リニューアルスタートします。そして同時に古舘さんの新パートナーとして女優の加賀まりこさんが新たに司会に抜擢されます。この番組最晩期の古舘・加賀司会については次回の記事で触れたいと思います。
前回の記事で触れたように1988年2月、放送初回から司会を担当してきた「夜ヒットの大看板」芳村真理さんが放送第1000回を以て番組を勇退。
この芳村さん勇退時において、まだ後継司会者の人選については「未定」とされており、芳村さんの後任に誰が加入してくるのか、それがちょっとした話題となっていました。
芳村さんの雰囲気に類似した楠田枝里子さんや、女優部門では夜ヒット常連組の一人でもあった竹下景子さんなど色々と取り沙汰されていました。
他の方の話でもよく「芳村真理の後は多分この人だと思っていた」として名前が挙がっているのが、楠田枝里子さん。管理人自身もこの方が後継を勤めるんじゃないのかなあ?と当時思っていました。司会に徹するという姿勢や、ファッショナブルな雰囲気を持っているという点で、芳村さんからの引継ぎがスムーズにいくのはまず楠田さんぐらいしかいないだろう、なんて思っていました。
ところが1987年秋、新たにプロデューサーとして夜ヒットの製作中枢に関わるようになった渡邊光行氏は、兼ねてより「今は女性の時代と言われているけど(※当時は社会党委員長に土井たか子さんが就任し、史上初めての女性総理大臣誕生か?と話題となっていたりと、何かと女性の社会進出が目立った時代でした)が、あえてその中で男性中心の番組を作りたい」という思いを持っていたらしく、芳村さんの後継人選は男性タレントを軸に進められていたようです。当然に楠田さんなどの名前もそのスタッフ間での人選の中で有力候補として名前は出てきていたようですが、あくまでも男性タレント優先で事が運んでいきました。
「男性中心の路線で」という方針の裏返しにはやはり、20年・1000回にわたり司会を務め、「夜ヒット」という番組ともはやイコールされる存在になっていた芳村さんによって築かれてきた番組イメージに変革をもたらすためには、芳村さんとは全く真逆の司会者を抜擢する必要がある、という判断が働いたのは言うまでもないでしょう。
このような人選の中で白羽の矢が立ったのが俳優の柴俊夫さんでした。柴さんはもちろん、本格的な司会の仕事はこの夜ヒットが初めて。俳優としてのキャリアはすでにベテランといってぐらいのものでしたが、司会者としてのキャリアは全くの「新人」ともいえる状態で、まさに異例の抜擢でした。新たな夜ヒット像を築く上でのキーパーソン的存在としての抜擢であったわけで、スタッフたちの柴さんへの期待は並々ならぬものだったと思います。
第1001回の放送は観客を招待しての総集編企画で放送され、古舘さん一人で番組の進行にあたり、第1002回目より柴さんが司会に正式に参加することになります。
柴さんの夜ヒット司会初回は今でも記憶に残っています。
とにかく、緊張の極限にあったためか、オープニング、階段から降りて登場したところから柴さんはとにかく汗だく。そして「夜のヒット”パレード”」といきなりトチってしまい、相手方の古舘さんがなんとかミスを修正しようと躍起になっていた、という状態だったと記憶しています。そのドタバタぶりからかメドレーに参加する出演歌手の数組も柴さんの緊張が移ってしまったかのように歌詞を度忘れしてしまう状態になったりと、なんとなくバタバタした状態で本編に突入していったような記憶があります。
古舘さんは司会は未知数であった柴さんに配慮して、あえて話を振る形で柴さんを進行に関わらせ、アドリブでのコメントを引き出そうとしていました。しかし柴さんは、ほぼ台本通りの司会で精一杯の状態。若手の古舘さんに配慮して彼に最大限の裁量を与えながらサポートに回るという構図だった芳村・古舘時代に比べて、司会のコンビネーションが著しく劣ることは、一目瞭然でした。
また、男性司会コンビである以上当然といえば当然ですが、画面を見ても「華がない」というのは歌謡番組にとっては致命傷ともいえる部分でもありました。特に夜ヒットの場合は歌手の衣装にも大きく影響を与えていた芳村さんが司会を続けていたこともあり、それとの比較で大きな落差を感じた視聴者も多かったようです。
この男性司会コンビの欠点を補充するという意味合いからか、この時代になると、以前も申し上げたようにそれまでになく企画物が多用され、なんとか番組の勢いを留めようとするスタッフたちの苦心が続いていました。初めのうちはそれで何とか乗り越えられたものの、何回も何回もその状態が続くうちに、マンネリが生じ視聴者から飽きられてしまう、という負のスパイラルに番組全体がいつしか陥るようになっていました。DXリニューアル当初は、海外アーティストを毎回出演させることを目玉として掲げていたはずのものが、いつしか海外アーティストの出演する機会が減少し、出演する歌手も2時間の放送枠のはずなのに、月曜1時間時代と同じく8、9組程度しかいない、演歌歌手が誰一人出演していないなんていう状態も古舘・柴司会時代の終盤にはたびたびあったりしました。
このように男性司会コンビの欠点が究極的に番組全体の低迷をもたらす契機を作ってしまい、この古舘・柴コンビの司会は1989年秋、DX版終了と同時に、柴さんの降板を以て終焉を迎えます。
古舘・柴のコンビ司会については今も賛否両論があり、視聴者によっては、「よかったのに何ですぐに柴さんが降板しちゃったのか?」といった評価もあります。ただ、管理人の主観としてはこの男性司会コンビ体制を採ったことが結果として、「夜ヒットは悪い方向に行ってしまった」という印象のほうが強いです。
芳村真理さんの時代と比較するのは、司会者としては「新人」同然でもあった柴さんには酷な話であり、女性司会者と男性司会者という違いゆえ、その司会の手法が当然に大きく変わることも避けられないわけですが、「夜ヒット=芳村真理司会」のイメージが出来上がっている私、管理人はどうしてもその時代と比較しながら、この柴さん、古舘さんの司会ぶりを当時見ていて、「なんか物足りないなあ」といつも思いながら番組を見ていた記憶があります。
上述のような華やかがなくなったというのもあるんでしょうけど、それ以上に20年を超える王道の音楽番組としてのや「権威性」というのが無くなってしまったというのが「何が足りない」と思った最大の背景としてあります。この夜ヒットの「権威性」というのも芳村さんに依るところがかなり大きかったですし、この方がいない以上、「何が足りない」と思ってしまうのは当然の理ではあるわけですけど・・・。
あと、もう一つは「男性司会コンビ」というスタイル自体はその後の「Show byショーバイ」(NTV)の逸見政孝さんと渡辺正行さん、「どっちの料理ショー」(YTV)の関口宏さんと三宅裕司さんといった具合で多用されており、別に悪いとは思わないのですが、何故にそこに夜ヒットの場合は、「未知数」の柴さんを起用したのか、その部分が未だ不可解であるという点も、古舘・柴コンビの司会を快く思わなかった要因の一つでもあります。男性司会者を古舘さんのパートナーとして抜擢する必然性はわかっても、そこに柴さんを抜擢することの必然性というのが今ひとつわからなかったりします。「なんで芳村真理の後が柴俊夫だったの?」という意見も未だにちらほらブログや掲示板を見ると見受けられるので、私と同じように思ってる人は結構いるんじゃないでしょうか・・・。
1989年9月のDX版終了後、番組の本流を受け継ぐ番組として「SUPER」版が1時間番組に放送時間を短縮の上、リニューアルスタートします。そして同時に古舘さんの新パートナーとして女優の加賀まりこさんが新たに司会に抜擢されます。この番組最晩期の古舘・加賀司会については次回の記事で触れたいと思います。