まず今号の発行が遅れたことをお詫びします。 実は、カクマ難民キャンプのフリープレスの存在そのものを危うくするような難問や争いが起き、出版が妨げられていました。 カクマと世界中のKANEREコミュニティが断固たる努力をしなかったら、ここまでたどり着けなかったかもしれません。 . . . 本文を読む
1951年の協定では、難民に保障される固有の経済的・社会的権利として、十分な収入が得られるだけの雇用と教育を挙げている。また難民は、配給制度、公的な救済や支援措置の点で、国民と同等の扱いを受けなければならないとも定められている(第20条および23条)――1951年のジュネーブ協定/「報酬引き上げで進む職員解雇」より . . . 本文を読む
「国際社会が過去に大量虐殺を止められなかったことは広く知られていることだ」。その再来? 過去の虐殺は「深刻な政治的誤り」によるものだと言う人がいる。21世紀には何か変わるのか。「変わる」と言う人もいる。世界の一部で起きる変化が地球の他の場所にも広がるだろうか。 . . . 本文を読む
今年のテーマは、「希望を持たない難民は望ましくない」である。KANEREは、今年の難民の日のテーマを全面的に支持する。難民としての境遇が長期化する中で、希望はとりわけ適切なテーマだ。この日は、何百万人もの難民と入植地やキャンプに強制的に移住させられた人たちに、捧げられた。 . . . 本文を読む
「旅するアート」はデンマーク文化・発展センターの支援による企画である。3月21日から4月6日、デンマークの芸術家たちがカクマにやって来た。滞在中、「旅するアート」チームは自らの経験を語り、難民たちは深い関心、喜びをもって彼(女)らを迎えた。デンマークの芸術家たちはKANERE記者、芸術家、難民、支援団体代表と会った。 . . . 本文を読む
国連が派遣した若者の代弁者、モニク・コールマンさんが2011年5月5日の木曜日にカクマ難民キャンプを訪れた。コールマンさんは、ハイスクール1や2の映画の主演女優として良く知られている。 . . . 本文を読む
〈初めに:ありのままの意見〉 デイビッド・エガーズが著書 「What is the what?」 の中で、バレンチノ・アチャク・デング氏について触れている。それによれば、バレンチノ・アチャク・デング氏は、故郷マリアルバイの暴動を逃れ、南スーダンからエチオピアやケニアの避難所を目指す若者の徒歩集団に加わり、ついには米国に第三国定住した。その半ば小説化された回想録には、米国での新生活への期待や、逃亡、野営、ハラハラドキドキの冒険が散りばめられ、西欧の読者を、はるか遠い馴染みのない場所に誘ってくれる。デング氏は、成長期のほとんどをキャンプで過ごした。最初はエチオピアのギロ川に沿った一時しのぎのピニュードキャンプで、その後は彼が難民として正式に登録されたUNHCR管轄下のカクマキャンプで。 . . . 本文を読む
強烈な日射による干ばつは今年の初めから続いている。いつもなら2月から3月にかけて短い雨季となるが、今年は晴れ渡った空のもと、一滴の雨も降ることなく過ぎていった。気温は驚くほど高く、この地域に住む住民や家畜には見るからに負担だった。トゥルカナの遊牧民の暮らしは、主として家畜に頼っている。 . . . 本文を読む