ハリス副大統領はジャマイカ系の父とインド系の母が離婚後、母に育てられた
(5月、ペンシルベニア州フィラデルフィア)
11月の大統領選で米民主党の候補者指名が決まったカマラ・ハリス副大統領は、ライバルとなる共和党のトランプ前大統領と対極の人生を歩んできた。
女性、有色人種、元検事――。米国社会の多様性を体現するハリス氏が政治家を志す原点は、移民の両親を持つ生い立ちにある。
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「ガラスの天井を破ろうと思えば切り傷ができる。無傷ではなし得ない」。ハリス氏はカリフォルニア州司法長官、上院議員などを務めた過去をこう振り返る。
黒人でジャマイカ出身の父・ドナルドとインド系の母・シャマラの間に生まれた。両親とも留学で米国に渡り、カリフォルニア大で学んだ。父は元米スタンフォード大教授、母は乳がんの研究者。公民権運動で知り合った。
妹を含む4人の生活は長くは続かなかった。ハリス氏が幼年の時に両親は別居し、離婚。母に引き取られ、妹と労働者階級が住む地域のアパートに移った。強い影響を受けた母が愛情表現の際に口にするタミル語にも慣れ親しんだ。
寛容な移民政策を唱える根っこには母との原体験がある。デパート内を店員につけ回される差別的な扱いを受けた。「茶色い肌をした女性にドレスを買う金銭的余裕はない」と決めつけられた。
「よりよい生活を求めてやってくる移民は米国をつくり、社会を形成するのに多大な役割を果たしてきた。にもかかわらず、いけにえにされてきた」との思いがある。
デモ行進に参加する親族らに囲まれて育った。自身も公民権運動の指導者らと接して芽生えたのは、権力側に立つ意識だった。「意思決定する場にいる重要性にも気づいた。活動家がドアをたたいたら招き入れる側になりたかった」
全米屈指の名門黒人大学ハワード大に進んだ。黒人初の最高裁判事の出身校を選んだ。「天国だ」。数百人の新入生がひしめく講堂に入ると「誰もが自分と同じ肌の色をしていた」
その後、カリフォルニア大法科大学院に入った。1989年春に修了し、7月に司法試験を受けた。「未来は明るいと思った」矢先だった。結果は不合格――。
3カ月後の再受験へアラメダ郡地方検事局で働きながら勉強を続けた。同期の大半は合格した。局内で「すごく賢いのになぜ落ちたんだ」とささやかれた。「惨めだった。それでも背筋を伸ばして職場に通い続けた」。2度目の挑戦で合格した。
検事として子どもへの性暴力などの訴訟に関わった。次第に権限の大きいポストに引かれていった。「自分の力で物事を実現させられる」。2003年にサンフランシスコ地方検事の選挙に出た。
スーパーマーケットの前に設けたアイロン台に経歴と政策をまとめたチラシを置き、粘着テープで「カマラ・ハリス、正義の代弁者」と書いたのぼりを掲げた。決選投票で現職に勝利した。
「私のような肌の色、バックグラウンドを持つ地方検事は多くなかった」。15年時点で米国で選挙で当選した検察官の9割超が白人。8割が白人男性だった。
州司法長官に就くと、低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」問題への対処で米大手銀行と対峙した。銀行が住宅所有者に支払うことになった補償額が、カリフォルニア州は20億〜40億ドル。十分な補償にほど遠く、銀行の顧問弁護士との協議は膠着した。
打開したのが、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモン最高経営責任者(CEO)との直接交渉だった。電話をかけると、ダイモン氏が第一声で「株主のカネを奪い取る気か」と怒鳴った。「私の株主は州の住宅所有者だ」と怒鳴り返した。
興奮が落ち着き詳細を話すと、ダイモン氏は「どうするか検討する」と引き取った。2週間後、銀行側が折れた。救済額は200億ドルになった。
家を持つ重みを肌で感じていた。賃貸暮らしが長く、自宅購入という「母の夢」がかなったのはハリス氏が高校生の時だった。家を失う意味を自問して行動した。ハリス氏は言う。「今もウォール街は変わっていない」
上院議員時代は検事や州司法長官時代に重視した政策を国レベルに広げようと試みた。
不法移民の若者を強制送還せずに市民権を得られる道を開く法案や、家賃と光熱費に所得の3割を費やす賃貸契約者への税額控除を設ける家賃救済法案を提出。20年大統領選に出馬した際は現行21%の法人税率を35%に引き上げると提唱した。
過去に2回日本を訪れた。22年に暗殺された安倍晋三元首相の国葬で訪問した際は岸田文雄首相や半導体関連企業幹部と面会した。その前には家族と出向いた。
ハリス氏は「カリフォルニアには活気に満ちた日系人コミュニティーがあり、州のみならず国にも多大な貢献をしてきた」と語る。日系米国人が全米最多の同州出身で、経済交流も活発な日本への親しみを込める。
20年大統領選では挫折を味わった。候補者指名をめざしたものの、資金不足を理由に撤退した。事務所の内紛もあった。副大統領になっても側近が相次ぎ離職したハリス氏の組織を束ねる能力に疑義を唱える声は残る。
大統領選から撤退直後の19年12月の会合。「民主党候補が勝てば連邦政府の司法長官に有力だ」と言われると、ハリス氏は「もうやったから」。同席者は「狙いは副大統領」と受け止めた。8カ月後に射止めた。多様性が決め手になった。
それから4年。バイデン大統領のもとで野心を覆い、「伴走者」に徹した。課題とされた外交面では20カ国以上を歴訪し、150人以上の世界の指導者と会談するなど経験も積んだ。初の黒人女性、アジア系の米国大統領をめざし、ガラスの天井に挑む。
(ワシントン=坂口幸裕)
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・トランプがDSと戦っている? 冗談もほどほどに!
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・トランプ氏を「支持できない」 ペンス前副大統領
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