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デュポン財-1  概要 そしてDuPont財閥当主との付き合い

2022-09-12 13:09:16 | 国際政治・財閥

誰もが知るアメリカの大手総合化学メーカーのデュポンですが、デュポン社の正式名称は「E・I・デュポン・ドウ・ヌムール・アンド・カンパニー」と長く、語感から分かるように、そのルーツはフランスにあります。


18世紀の後期、フランスに自然科学者でかつ重農主義者として鳴らしていたピエール・サミエル・っデュポン(1739-1817)という男がいました。

彼は時のルイ16世の財務総督テュルゴーに見いだされ、知己を得ると同時に財務補佐官の地位に就き、財務改革に精を出していました。



財政改革という仕事は、現代の日本もそうですが、外からあれこれと言うは易しですが、行うのは難しいものです。 彼もまた行き詰まり挫折しました。

失意のデュポンはその後、パリ郊外のヌムールという地に引きこもり、読書三昧の日々を送るようになります。 そうしたある日、国王から「アメリカ独立承認の方向でイギリスと交渉にあたれ」との命令を受けます。



宇余曲折を経て無事この仕事を果したデュポンは、国王から貴族の称号を与えられ、後にアメリカ大統領トーマス・ジェファーソンからも大いに感謝されました。

間もなく彼は国会議員に選ばれることになりますが、デュポンという同名の他の議員と区別するために出身地の名をとり、デュポン・ドウ・ヌムールと称したといいます。



ピエール・サミエル・デュポン・ドウ・ヌムールには二人の子供がいました。

そのうちのエリテール・イレネー(1771-1834)は王立火薬工場責任者であり友人でもあったラボアジェの下に奉職させ化学者にしましたが、しかし、ほどなくフランス革命の嵐が吹き荒れ、ラボアジェも断頭台送りとなってしまいます。

国王派であったデュポン家にも危機が及ぶこと必至という情勢で、一家は窮地に立たされます。



そこで一家は、1800年に新天地アメリカへと向かうことになりますが、アメリカの地も決して約束の地ではありませんでした。 アメリカに渡った当初、手がけた不動産事業に失敗してしまうのであります。






社業発展の礎 火薬事業

その後、イレネーは、当時アメリカでその質の悪さで不評だった狩りなどに使用する鉄砲の火薬に目をつけました。

そして1802年、東部デラウェア州ウィルミントンのブランディワイン川近くに火薬工場をつくりました。ここでつくられる良質なデュポン製黒色火薬は、やがて軍隊から大量注文を受けるようになります。

さらに、その後はアメリカ東部から西部への鉄道敷設や鉱山開発用の火薬などにも用途が広がり、デュポン社は火薬で大発展を遂げることになります。



現在のデュポン社が1802年を会社創業年とし、エルテール・イレネー・デュポンをファウンダー(創設者)としているのは、こうした経緯があるからであります。

デュポン社の歴史は、よくアメリカの産業経済史を体現するともいわれますが、まさにその通りです。 火薬製造で大成功し富も膨らんだデュポンおよびファミリーは、その利益を再投資し、さらに企業買収を重ねて事業の多角化に乗り出します。


こうして染料、合成樹脂、塗料を新たな事業に加え、19世紀の半ばにはアクリル繊維とポリエチレンを開発し、事業を生み出しています。 

20世紀に入ると自動車産業の成長性に着目し、1920年には世界最大手の自動車会社ゼネラル・モーターズ(GM)の株を約28%取得し、以降、1962年のアンチトラスト法による政府の持ち株売却命令が出されるまで、40年余りもデュポン・ファミリーはGM社を支配し続けました。 


現在もGM社はデュポン社と資材面などで取引関係が深く、併せて、USラバー社、ハーキュレス社、ベンディックス社など化学会社や機械関連企業の株式投資も意を注ぎ、巨大な企業集団化を維持してきました。




ナイロンなどで日本の絹製品を圧倒

一方で、デュポン社は、創業時から現代に至るまで研究開発に熱意を注いできました。 その結果、人々の暮らしを一変するような化学繊維など種々の商品を世に送り出し、総合化学会社として世界に君臨し続けました。

たとえば太平洋戦争後の物資不足のなかで、ナイロンやテフロン製品を目のあたりにした日本国民は、あらためてアメリカの進歩した技術文明に驚き、日本の非力さを痛感させられたものです。 実はこれらもデュポン社の製品です。



ちなみにナイロンは、1935年にデュポン社のカロザースという研究部長が発明したものですが、ナイロンは素材として実はポリアミド繊維のことですが、「古い日本の絹製品はダメNow you lousy old Nipponese」という英文の頭文字(Nylon)からつけられた名称だとされている説もあります。

ナイロンは工業化された最初の合成繊維です。



デュポン社と日本は、戦前の1927年に商社の長瀬産業と塗料などで代理店契約を結んで以来の関係です。 

その後、特に1950年代以降になると、デュポン社が海外重視の経営戦略をとったことも相まって、1951年には東洋レーヨン(現・東レ)にナイロンの製造技術を供与し、今日の東レの発展基盤がつくられ、1961年になると本格的進出に踏み切り、デュポン・ファーイースト・日本支社を開設しています。


以降は三井系企業ばかりでなく、旭化成などとの合弁事業も多くなっていきます。



近年、デュポンの世界戦略の特徴は、日本を含めたアジア重視と考えられており、すでに1992年には、在日会社のデュポン・ジャパン(現・デュポン)が三井物産と合弁で、デュポン・MBK・アライアンス社を設立し、アジアでの共同投資や原料・販売分野での協力、さらに技術・新素材の共同開発など、将来を見据えた包括提携をしています。

その後、両社はインドの他パール財閥と組み、現地でナイロン製造工場を設立しています。





隠然たるパワーを保持する一族300人のファミリー

二世紀にも及ぶデュポン・ファミリーの総勢ともなると300人近くになります。
 一族の中には、1988年当時、ポスト・レーガンを狙って共和党からアメリカ大統領候補に名乗りを上げようとした直系のピエール・デュポンの例もあります。

彼はハーバード大学ロースクール出身で、一時はデュポン社に勤務した後、「ステーツ・オブ・デュポン」と呼ばれるデラウェア州の議員を経て知事となり、ついに大統領を目指すところまできました。


しかし、絵に描いたようなエリートは一般的にアメリカでは人気が沸きません。結局、選挙キャンペーンも盛り上がらず途中でうちきりとなり、一族の夢はついえてしまいました。

一般論ではありますが、デュポン社は米民主党を応援しており、アメリカユダヤ人協会の会長もいます。 しかしながら財閥当主や経営者は共和党支持の人たちもいて、ねじれ現象がみられます。



私はデュポン社とは付き合いが古く、ウィルミントン本社やカリブ海に浮かぶプエルトリコの工場にも招待されたことがあります。 

プエルトリコで宿泊したホテルは、リゾート感満点の超豪華ホテルで、

夕食はホテル敷地内のビーチにある何本もの松明の光を照明としているオープンレストランで、まるでハリウッド映画のワンシーンの中に自分がいるような感じでした。 次の日はホテルのプライベートビーチで、カリブ海で泳ぐ貴重な経験をさせて頂きました。今でも良い思い出です。

 

デラウェア州ウィルミントンにあるデュポン本社に招待されたときは、多くの経営幹部の方々と知り合いになることができました。中に、米国ユダヤ人協会会長の Samuel Horowitz氏も紹介してくれました。 一見怖そうなユダヤ人協会ですが、全くそんなことはなく、気さくで、優しい紳士でした。

日本でインターネットやe-mailが流行ったのが、Microsoft社のWndows95が1995年に発売された以降ですが、その約10年前にデュポン社ではe-mailで仕事をしており、初めてみたe-mailに度肝を抜かれました。 聞くとと、HP社がデュポン用に構築したシステムだったようです。



また、デラウェア州はタックスヘイブンとしても有名で、法人所得税や個人資産税、また消費税もありません。  米国4大財閥と言えば、ロックフェラー、メロン、デュポン、モルガンですが、今はやりの言葉のDSなのかも知れません。


1980年代後半に、TLOが流行りました。 企業に眠る特許や技術を売り買いする機関・組織・会社ですが、ハーバード大学のヘンリー・チェスブロー教授が「Open Innovation」を打ち出したのは有名です。



しかし、実はこの先駆けはデュポンです。 会社で塩漬けになっている技術・特許などを外部にビジネスとして提供。 

さらにその技術で事業を始めるベンチャー企業への投資も提供する会社を立ち上げたのがデュポン財閥8代目当主に当たるBenjamin DuPont氏(1964-)で、通称Ben・DuPont。 会社名は、yet2で1999年のことでした。



私は、この会社とは付き合いが深く、本社がBostonにあるのですが、Ben・DuPont氏やキャノンの当時の生駒副社長(元東大教授、元TIジャパン社長)と1週間缶詰で議論したことがあります。

言うまでもなく、お金を払ってTLOのサービスを受けたこともあります。 そして京都で当主のDuPont氏を接待したこともあり、昼食のランチにサンドイッチと、コカ・コーラをだすべきか?それともペプシコーラをだすべきかを会社として悩んだこともあり、今となっては良い思い出です。 

ちなみにこの時、たべていただいたサンドイッチは言うまでもなく一流のレストランに作ってもらった特別のもので、ハンバーガーとサンドイッチがセットになったものです。



米民主党支持のDuPont社であれば、背後にいるのがユダヤ系ロスチャイルドなのでマックとコカ・コーラ。 米共和党支持ならばバックにいるのが、ロックフェラーなので、ピザハットとペプシコーラです。 

デュポン社は全体としては民主党を支持していますが、デュポン財閥8代目当主であるBen・DuPont氏は共和党支持。 しかし、そんなことどうでもよくてこだわらないと言ってくれたので楽になりました。  

実はビジネスの世界では結構厳しく、IBMに行くと共和党支持なのでペプシコーラです。 出張に行った時もペプシコーラを出してくれました。



ちなみに、マクドナルドとコカ・コーラはロスチャイルドGrなので、世界に約10万店ちかいマクドナルドのお店がありますが、ペプシコーラを置いている店は一店舗たりともありません。ペプシを置いてある店を見つけたら是非、連絡お願いします。



少し話が横道にそれたので戻します。 会社の発展段階としてよく言われることですが、まず創業者が生業として始め、それから家業→企業→多国籍企業というケースを経て巨大化し、その過程で。事業は家業から離れていくのが一般的です。

しかし、デュポン社の場合は、有力な多国籍企業でありながら、いまだに家業を残しているという点で極めて珍しいケースと言えます。



300人近くの一族は、現在でも個人や信託・財団・基金・証券会社など、さまざまなルートを通してデュポン社の株を大量に保有しています。 

一説には50年ほど前までの170年間は、会長・社長はデュポン一族から選ばれるのが不文律であったといわれています。



今日では一族以外の会長ですが、取締役の一人にはきっちりデュポン一族が名を連ね、監査委員会メンバーとして活動しています。 

これは君臨すれども統治せずということになりますが、フォード社(自動車)と並んで、デュポン社はいまだにファミリーの影響力を残している代表的アメリカ企業であります。



そのファミリーをみてみると、一人ひとりの個人資産は決して飛びぬけて多いというわけでもありませんが、一族の総資産はなんと、その額はロックフェラー族やメロン一族など、他の名門と呼ばれる財閥一族より多いとみられています。





遺伝子組み換え食品分野などにも進出

現在、企業としてのデュポンは、化成品を中心に2000種類もの製品を製造し、それをアメリカおよび世界150ケ国に輸出しています。 

その製品と技術は、エレクトロニクス、アパレル、自動車、航空宇宙、繊維、薬品などと幅広く、現代社会のさまざまな分野で使用されていますが、一方で、このところの産業社会の急速な変化にともない、事業の再構築にも常に注意を払っています。


目立ったところでは、2001年に同社の医薬品部門をブリストル・マイヤーズ・スクイブ社に売却しました。 また2003年末に伝統ある繊維部門を分社化しています。 

したがって、今後は、各種資材・コーティング部門、そしてエレクトロニクス、情報通信部門、さらに安全・防災部門と農業・食糧部門などの分野に傾注することになるでしょう。


このなかで農業分野をみてみると、1999年には、すでに、著名種子会社のパイオニア、ハイブリッド・インターナショナル社を77億ドルもの巨費を投じでf合併しています。 

これは遺伝子組み換え技術による新しいトウモロコシや大豆などの開発に進出するのが狙いとみられています。



この分野には、モンサント社をはじめとする他の化学会社が既に進出していますが、デュポン社はこの合併で、早くも一定の位置を確保したといえます。

遺伝子組み換え農作物は、今のところその安全性をめぐって、各方面で議論が交わされているところですが、一方では、将来の地球規模での食糧不足に対する切り札として期待されています。

デュポン社の戦略は、その対応を含めて研究するというところでしょう。 



こうしてデュポン社は、創業三世紀目に踏み込みましたが、「サイエンス・カンパニー」を標榜する同社は、今後も常に「新しいものを欲しがる」顧客に提供し続ける グローバル企業でありつづけるでしょう。




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