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神聖ローマ帝国ー6 ハプスブルグ帝国=神聖ローマ帝国の始まり

2024-03-21 10:15:30 | ヨーロッパ・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

神聖ローマ帝国ー5バチカン・ローマ教皇との関係-2
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/45e79d271ee5c39be79893793341ac3a

からの続き

 

欧米の白人たちは、古代ギリシアやローマ帝国への郷愁があるのと同時に、イエス・キリストが大好きです。

白人国家はどのような国家であるかという問いには、一言で言い表せるとすれば、キリスト教国家と答えるのが最も適切でしょう。

私がDirectorとして働いていた欧州のグローバル企業で、職場は11ケ国の人間がいましたが、部下は元ロシアの軍の技術者であるお爺ちゃんや若いロシア人後術者、そして欧州各国の技術者で、ほぼ全員Dr.です。 

だからみんな理性的ですが、それでもどっぷりと宗教(キリスト教)にはまっている印象を持ちました。 また、私の勤務していたグローバル企業は本社がドイツで、私はオーストリアに配属されましたが、毎朝会社からメールが全員に送られて来ますが、仕事以外で『今日はアッシュ・ウェンズデーの日です』とかキリスト教に関する特別な日であることが知らされました。

キリスト教に詳しくない私は、何じゃそれ? ですが、秘書が2名いて私はつたない月報をドイツ語で書き、それを添削修正してくれるなどサポートしてくれていたので彼女らや、部下を含め同僚たちがいろいろと教えてくれました。

ちなみに『アッシュ・ウェンズデー(Ash Wednesday )』とは『灰の水曜日』で、復活祭(日曜日)の46日前の水曜日であり、四旬節の初日です。

 

これはキリスト教における公的な儀式で、灰で額に十字架を書きます。 企業では、やりませんでしたが、なんでもマルディグラ(Mardi Gras)と呼ばれる『謝肉祭(カーニバル)』の期間の最終日(火曜日)の次の日が『アッシュ・ウェンズデー(Ash Wednesday )』です。

イエスキリストが40日の苦行をしたことにちなみ、は肉を食べない=贅沢をしない=懺悔、よってその前日の『マルディグラ(Mardi Gras)』は大気に肉料理を豪快に食べ贅沢するのだそうです。


キリスト教信者でない私には、何にでも興味を持つ私ですが彼らの行事は正直よくわかりません。 

 

まあ、とにかく社員食堂では、昼食に、毎日、スープ、サラダ、肉料理、デザート(アイスクリーム)などでて、2ユーロ(約300円)と格安でしたが、『アッシュ・ウェンズデー(Ash Wednesday )』には肉料理は全く出ませんでした。

 

まあ、欧州に留学、欧州企業で働きたいと思っている若者は、キリスト教の事を勉強しておくことをお勧めします。 

今日では、啓蒙思想のフランス革命以来、理性を大事にする欧米では、我々異教徒にキリスト教を押し付けるような事は彼らはやりませんので安心してよいと思いますが、彼らがアジア人・日本人が知らないであろうともっていたところに知っている事が分かれば、「なかなかやるじゃないか」と思われ、急速に仲良くなり、ビジネスでも有利に働きます。 ビジネス・Dinner(夕食)でも宗教や政治の話をしないというのは大嘘です。 相手を尊重しないような発言控えれば良いだけの話です。

 

どのくらい彼らがキリスト様が好きかというエピソードを一つ紹介します。 バチカン・サンピエトロ大聖堂には『ピエタ』と呼ばれるミケランジェロの彫刻作品が展示されています。 

これは、イエス・キリストが十字架十字架から降ろされ、母であるマリア様が亡くなったイエスを抱きかかえている彫刻作品です。

 

 

 

私は、これが大理石を彫刻してつくられた作品というのは素晴らしい芸術作品だと思いますが、欧州の人の多くは、私の部下や友人含めて涙を流すというのです。

そのくらい、キリストやマリアに思い入れがあるのですね。  この『ピエタ』の悪口を言わない方が欧州では身の安全のために良いと思います。

 

結局は欧米白人にとっては、イエス・キリスト好き、古代ギリシア・ローマ帝国好きというのは理屈ではないことが、どっぷり彼らの社会にはいって生活・仕事をすればよく分かります。

 

 

話をハプスブルグ家にもどします。

もともとハプスブルク家は10世紀にスイスで興り、1273年に『ルドルフ一世(Rudolf I.、Rudolf von Habsburg、1218年5月1日 - 1291年7月15日)』が同家で初めて神聖ローマ皇帝に即位し、後にヨーロッパの覇権を握る超巨大帝国へと変貌します。


ハプスブルク家」という名は、同家の祖がスイスのアールガウ地方に築いた城「鷹の城(ハービヒツブルク城)」と呼ばれたことに由来しています。

12世紀初めにオットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯と名乗りました。それから5代目が名前のように鷲鼻だったといわれる始祖ルドルフです。

当時の神聖ローマ帝国は、ドイツ王が存在しない「大空位時代」を経ていたので、ドイツの有力諸侯は、裏から帝国を操ろうと考え、当時はスイス地方の一諸侯に過ぎなかったハプスブルク家のルドルフ一世を大抜擢したと言われています。


1278年、ルドルフ一世は自分の神聖ローマ皇帝即位を認めなかった「オットカール二世(オタカル二世)」を『マルヒフェルトの戦い』で破り、オーストリアの地を得ました。

領邦国家である神聖ローマ帝国は一つの統一された国家では無く、○○公とか△△公とかの集合体で、アメリカ合衆国が50州にそれぞれ分かれて独立しているのと似ています。

 

このようにスイス出身で、イタリアや古代ローマ帝国にも関係ないハプスブルグ帝国=神聖ローマ帝国なのかは、欧州人のメンタリティである古代・ギリシアとその文明を引き継ぐ古代ローマ好き、そしてキリスト好きが合わさり、欧州の支配者に、『神聖とかローマ帝国』の冠をつけているのです。

 

政治権力でいえばハプスブルグ帝国は、その本拠地の『オーストリア帝国』なのです。

 

実は、これは『欧州を支配する権力者』の『キリスト教利用』、そしてロスチャイルドも真っ青の『バチカンの金銭・権力欲』に凝り固まった『強欲なローマ教皇側からの政治権力利用』の2つの側面があるのです。

またまた、長くなってしまったので、これについては別途説明します。

 

とにかく、『ゲーテ』も言うように、「『カール大帝』に関して私たちは、とてもこの世と思えなぬ、たくさんの話を聞かされてきた。 しかし私たちにとって歴史への興味は、『ルドルフ・フォン・ハプスブルグ』をもって、神聖ローマ帝国は始まるのだ」

 

その通りで、『ハプスブルグ帝国=神聖ローマ帝国』の歴史は、ルドルフ1世(Rudolf I.、Rudolf von Habsburg、1218年5月1日 - 1291年7月15日)は神聖ローマ帝国のローマ王(ドイツ王、在位:1273年 - 1291年)からはじまるのです。


vonはドイツ語で、英語でいうofです。すなわち、『ハプスブルグルドルフ一世』の意味。

 

 

 

古代ローマ帝国とバチカンの関係を簡単にまとめると次のようになります。


 ・313  コンスタンティヌス帝 キリスト教公認
      帝都移転 ローマ→コンスタンティノーブル(現イスタンブール)
     『コンスタンティヌス大帝の寄進状』帝国西半分をローマ教皇に寄進
      

 ・391 テオドシウス帝 キリスト教国教化
       キリスト教は飛躍的に発展、なかでも使徒の長であったペテロ殉教の地に建
       てられた『サン・ピエトロ大聖堂』が揺るぎない地位を築く


 ・395 古代ローマ帝国東西に分裂

 
・476 親衛隊司令官オドアケル(ゲルマン・スキリオ族)宮廷クーデター
     西ローマ帝国滅亡


 ・ 481   フランク人・サリ族のクローヴィス(メロヴィング家)がフランク人の各部族統一
    ガリア(後のフランス)北部にフランク王国を建国(メロヴィング朝の始まり


・751 ピピン(カロリング家)フランク国王に就任、メロリング朝→カロリング朝      

 

800 ピピンの息子カール大帝12月25日、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇レオ三世から皇帝戴冠式挙行。 事実上、バチカンによる西ローマ帝国の復活      

   『カール大帝は何人なのか? フランク王国内で、ドイツとフランスで出自争い』              
          ドイツは大帝をカール・デア・クローゼと呼び、フランスはシャルル
          マーニュと呼び、それぞれ自らを大帝の後継ぎと主張。


・1273 ルドルフ・フォン・ハプスブルグ
西ローマ皇帝カール大帝ゆかりの地アーヘン大聖堂でドイツ王としての戴冠式が行われる。


・1
763 ハプスブルグ家・ヨーゼフ二世のローマ王(神聖ローマ帝国継承者の称号)の戴冠式がフランクフルトで行われる。 彼はハプスブルグ生んだ14番目のローマ皇帝で、18番目のドイツ王。

 

多くの人が勘違いしているのですが、必ずしも神聖ローマ帝国=ハプスブルグ帝国ではありません。そもそも神聖ローマ帝国とは、962年から1806年まで844年間ドイツ王によって統治されていた諸地域の総称です。

ドイツ王がいかなる手続きもなしに、そのまま皇帝になるという習慣が出来上がったのは1508年から。」

ただ、このルドルフ一世が、同家ではじめて神聖ローマ皇帝選ばれ、後に中世ヨーロッパを支配する超巨大国家となるので、この期間は確かに神聖ローマ帝国=ハプスブルグ帝国といっても過言ではありません。

 

もともとハプスブルク家は10世紀にスイスで興り、1273年にルドルフ一世が同家で初めて神聖ローマ皇帝に即位し、後にヨーロッパの覇権を握る超巨大帝国へと変貌します。


ハプスブルク家」という名は、同家の祖がスイスのアールガウ地方に築いた城「鷹の城(ハービヒツブルク城)」と呼ばれたことに由来しています。

12世紀初めにオットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯と名乗りました。それから5代目が名前のように鷲鼻だったといわれる始祖ルドルフです。

 

当時の神聖ローマ帝国は、ドイツ王が存在しない「大空位時代」を経ていたので、ドイツの有力諸侯は、裏から帝国を操ろうと考え、当時はスイス地方の一諸侯に過ぎなかったハプスブルク家のルドルフ一世を大抜擢したと言われています。


1278年、ルドルフ一世は自分の神聖ローマ皇帝即位を認めなかった「オットカール二世(オタカル二世)」を『マルヒフェルトの戦い』で破り、オーストリアの地を得ました。

 

領邦国家である神聖ローマ帝国は一つの統一された国家では無く、○○公とか△△公とかの集合体で、アメリカ合衆国が50州にそれぞれ分かれて独立しているのと似ています。

 

・日本人が理解しがたい欧州の『同君連合』 ユナイテッド・キングダム(UK)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a4f7b27f35ea09b3ed935f4f9f4215f4

・欧州の『同君連合』ハプスブルグ帝国
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fd1226b33f2dc02cb0e953053711535d

 

 

 

(関連情報)

 

・神聖ローマ帝国-1 古代ローマこそヨーロッパ人の理想https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/533c7414e9fa85b426143633f15f6078


・神聖ローマ帝国-2 『古代ローマ帝国の留学制度』と『ローズ留学制度』『フルブライト留学制度』
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b9e783d4c5789e5a08f347e2241ab12a


・神聖ローマ帝国ー3 欧米人は古代ローマと神聖ローマ帝国(ハプスブルグ帝国)が大好き
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b03362e35f9c226b7d9c4df7cff0dc73


・神聖ローマ帝国ー4 バチカン・ローマ教皇との関係-1
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d5a2bcbe5310633350895b9b96c6c4


神聖ローマ帝国ー5バチカン・ローマ教皇との関係-2
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/45e79d271ee5c39be79893793341ac3a

 

 


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