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物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

細呂木(あわら市)歩き

2021-06-03 | 行った所

JR細呂木駅の西に製鉄遺跡が復元されてあるという。行ってみる。

細呂木駅周辺から西へ丘陵を上っていくと福井鋲螺株式会社細呂木事業所だ。鋲螺とはネジのことだ。福井鋲螺はネジから出発した福井有数の企業、大きな敷地の工場だ。製鉄遺跡は工場敷地内の片隅にある。

細呂木製鉄遺跡

 

工場敷地内の道路を抜け、すぐ川口城跡がある。南北朝期、南朝方新田義貞の側近畑時能の守る城だったそうだ。丘陵地だが周りは畑で遺構の確認はできそうもない。城の立地個所は時代を越え再利用されることが多いが、ここは戦国時代には使われなかったのだろうか。


案内板を眺めていると、近くに農作業に来ていたらしい軽トラが停まり、おじさんが上がってきた。拙いことをしたかな?と思ったが、親切にも板碑を見せてくれたのだった。板碑は大理石の祠?の中に保護されていた。

関東で見た板碑とはだいぶ違う感じだが、よく見ると梵字が彫ってあるようだ。関東のものとは石材が違うのだろう。畑氏は秩父あたりの出身らしい。どうしても板碑が作りたかったのだろう。

案内板の沢・指中・西方寺等は現代の地名にもある。少し辿る。
旧北陸道はもっと西を吉崎の方へ行くはずである。市街道は北陸道の支道か、牛ノ谷峠を越え加賀へ行く道なのであろうか。

沢と指中の間に春日神宮がある。


ただの大きな樹かと思いきや大変な根性杉であった。いったん割けて折れた幹が、一度は地に着いたもののまた上へ延びているのだ。春日神社の神官が禊の時に衣を掛けたとか、衣かけの大杉という。

春日神社は元は細呂木神社という地場の神社であったらしいが、この辺りが興福寺の荘園になった時、春日大社を勧請したらしい。

獣害除けのフェンスがある

アザミがたくさん咲いていた。

 

指中は観音寺川沿いの集落だ。橋は老朽化のため車両通行禁止。

神宮寺跡の碑を見つけたがほとんど読めない。春日大社の裏へ連なる山のようで、川口城址よりは山城らしいところかも。

 

西方寺方面に向かう。ゴルフ場の中を抜ける道だ。寺が現存するわけではないらしい。

あわら市街地に出て、郷土資料館へ行く。以前金津祭を見に来た時に山車が集結していた辺りだ。

図書館の2Fで無料、その割にしっかりした資料内容だ。製鉄炉の模型もあった。

荘園が成立すると荘官はともかく僧侶や社人も大挙してやって来たとは。在地も神社も改変されてしまうのか。

ビデオをでやっていた「馬面の赤猫」に出てきた一里塚が残っているらしい。赤猫は大変な悪猫であった。あわらの民話「馬面の赤猫」 - YouTube

YouTubeでも見られる。

金津神社 赤猫の気配はなかったが。

金津祭はこの神社のお祭りで、山車がたくさん出て、結構なものなのだが、去年はなかった。今年はやるのだろうか。

近くにあった河濯神社の案内板

 

馬面の赤猫にも出てきた一里塚へも行ってみる。

 北陸道にもまだ残っていたのか

千束一里塚

すぐ脇に蓮如道

そのまま県道29号線を北上し、細呂木関址近くまで行く。29号は嶺北縦貫道だが、この辺ではだいたい旧北陸道に重なっているのか。

細呂木関址

直ぐ近くを観音寺川が流れ、西方 北型湖畔の風車が見える。

 


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