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物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

伊勢 宝塚古墳

2022-03-29 | 行った所

松坂市の宝塚1号墳は全長100メートルを超える前方後円墳である。伊勢地方では最大の古墳ではあるが、これだけならヤマト政権と関係の深い地方の首長墓として多くの地方で見られる古墳と大差はない。この古墳を一躍有名にしたのは、前方部と後方部の間に土橋付きの造り出しのテラスがあり、その周りに種々の埴輪が並べられていたこと、わけても特異な船形埴輪が発見されたことだ。復元整備されている。

 宝塚一号墳 中央から左の柵の中が造り出し

 土橋と造り出しテラス

船形埴輪そのものは多くはないが出土例はいくつかある。この埴輪は円筒状の据え置き用の台座を二つ持ち、船首・船尾を高く作ってあり、台座と合わせて高さをより強調しているようである。準構造船とみられる構造はかなりリアルである。船内に隔壁があり、舷側板を強固に固定したらしい。

 右が船首

 逆方向から
舟に乗っているのは祭祀用の器物らしいが、ちょっと見、わかるのは衣笠らしきものだ。他は太刀とか装飾をつけた鉾の類らしい。
埴輪に線刻された船の絵、現代にも残る熊野市二木島町の祭礼で使われる船の装飾との関連が指摘されている。
実際に物を運んだり、海を渡ったりする船というよりは、死者をあの世に運ぶ葬送儀礼用の埴輪ともみられるようだ。船は土橋の脇に後円部に向けておかれたらしい。土橋の反対側には2号船があった可能性があるが破片になっていたようだ。埋葬部のあるであろう後円部に向けての旅立ちだったのか。
埴輪祭祀場で有名なのは今城塚古墳だが、宝塚古墳とはおそらく1世紀くらいの間隔があるだろう。巫女などの人物埴輪、馬や鳥の動物埴輪もここにはいない。

 宝塚古墳後円部から伊勢湾方向

海岸線がもっと後退していた時代には海はもっと近かった。海からこの古墳が見えたのだろう。

 宝塚2号墳 前方後円又は帆立貝型古墳。墳上を道路が走っている。

 囲型埴輪と家型埴輪 囲型は水に関係する施設だったという。

(参考 穂積裕昌「船形埴輪と古代の喪葬」等)

 


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