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いかでかこれにはまさるべき 木曽義仲 

2020-08-10 | まとめ書き

平家物語第6巻「廻文(めぐらしぶみ)」で木曽義仲が登場する。先ず義仲の生い立ちが描かれている。為義の次男義賢の子、義賢は義平に殺され、2歳の義仲の母は木曽の中原兼遠の元へ行き義仲を託した。そして20余年、力も世に優れ、心も並びなく強い。古き伝説の武将たちにも勝るとも劣らぬとほめあげる。
「ありがたき強弓・勢兵、馬の上、かちだち、すべて上古の田村・利仁・余五将軍・知頼・保昌・先祖頼光・義家朝臣といふ供、争か是にはまさるべき」とある。
喩えられるのは平家物語を聞いた時代の人たちには、直ぐそれとわかるスーパーヒーローだったのだろうが、今、すぐああ誰だ、と思うのは無理だ。順番にみていこう

先ず上古の田村

これだけは坂上田村麻呂の事だとすぐ見当がつく。征夷大将軍として陸奥へ赴き、戦果を挙げた平安京の守護神、田村麻呂、伝説にも彩られ、上古の将軍の代表として疑いない。

 田村神社(甲賀市土山町)近くの坂にいた蟹の怪物を退治したそうな。

清水寺も田村麻呂が建てた寺だそうで、陸奥遠征で捕虜にした阿弖流為(アテルイ)母礼(モレイ)の碑がある。田村は命は助ける約束で京へ連れてきたのだが、桓武は斬った。

 

次の利仁

藤原利仁、利仁将軍と呼ばれるが、田村麻呂と違い、現代に知られているのは芥川龍之介の「芋粥」によってだろう。元の話は「今昔物語」で敦賀の豪族の婿になっていた利仁が、京都でのさえない五位の上司を敦賀に連れて行き大御馳走をする話だ。狐がお使いする話あり、利仁の神通力を示しつつもユーモラスだ。

敦賀市公文名の天満宮、菅原道真と共に利仁を祀る。近くに舅有仁の館もあったらしい。藤原利仁の息子は斎宮職に就き、斎宮の藤原で斎藤を名乗る。全国の斎藤さんは祖先をたどるとみな利仁に行きつく、嘘のような話だが、少なくとも平安末から中世の越前の斎藤氏はみな利仁の子孫を名乗っている。

余五将軍

平維茂(これもち)のことだが、これはさらに難易度が上がる。伯父の平貞盛の15番目の養子となったので余五というそうである。「今昔物語」に説話がある。郎党が殺されたが、その郎党が殺した男の子が敵討ちとして殺したことを知り、許した話と、豪族同士の軍合戦の話である。主に信濃北部、越後との境辺りに勢力を張ったようで、戸隠山の鬼退治伝説があり、歌舞伎の「紅葉狩」で鬼退治するのが維茂である。

 維茂に扮した錦之助(2018年9月大歌舞伎チラシより)

義仲との決戦の前に急死する城資永(「しわがれ声」)、横田河原で義仲に大敗する弟助茂の城氏はの維茂の子孫だという。
そう言えば、燧が城で義仲を裏切り、倶利伽羅峠で捕まり殺される平泉寺長吏斉明、篠原の戦いで手塚光盛に打ち取られる老武者齊藤実盛は藤原利仁の子孫ということになっている。

 

致頼

致頼というのは誰なのだろう?岩波本では「ちらい」とルビがふってある。平凡社の文庫本には知頼(ちらい)とある。
平致頼という人物らしい。平氏の系図中、高望王―国香―貞盛の次の維衡をもって伊勢平氏の祖とするのだが、平致頼は国香の弟良兼の系統ということである。致頼は既に伊勢に在って維衡と衝突を繰り返していたらしい。(高橋昌明「清盛以前」)どうも伝説のヒーローというイメージは湧きにくい。今昔物語に「平維衡同じき致頼、合戦して咎を蒙ること」という話がある。二人とも流罪のなるのだが、先に仕掛けた致頼が悪いとして、致頼は隠岐へ、維衡は淡路へ流される。今昔ではこの次の致頼の息子致経の話が面白い。藤原頼通の命令である僧が夜園城寺へ行くのを致経が護衛する。致経はどうということない装備で現れるが、道を進むと武装した部下が次々現れ、無言のまま僧を警備し、寺へ着く。帰途も京に入ると部下たちは無言で分かれ行く。致経と部下との関係が興味深いが、このやり方、同じ今昔に出てくる盗賊の話と似てはいないか。    
ウィキペディアによれば「致頼は平安時代後期の伝記本『続本朝往生伝』に源満仲・満政・頼光・平維衡らと並び「天下之一物」として挙げられるなど、当時の勇猛な武将として高く評価されている。」とのことである。

 

保昌

藤原保昌(やすまさ)の事だが「ほうしょう」とルビがふってある。祇園祭の保昌山は「ほうしょうやま」と読むそうだからわかる人にはわかるのだろう。和泉式部と結婚した。藤原南家の系統の家に、生まれたが軍事貴族ともいうべき人だった。今昔物語に盗賊袴垂との説話がある。

 ウイキペディアより

 

頼光

源頼光、大江山の酒呑童子退治や四天王の活躍など伝説の武者だが、先祖頼光というのは少し違う、頼光は摂津源氏の祖だ。義仲は河内源氏に属すので頼光の弟頼信を祖とする。

 

義家朝臣

言わずと知れた八幡太郎義家であるが、ルビが「ぎか」とふってある。平家物語は語られるものだったはずだ。「よしいえ」ならばともかく「ぎか」で分かったものかどうか。梁塵秘抄に「八幡太郎はおそろしや」とあるので、一般的に八幡太郎とよばれていたのではないのだろうか。この場に現れた英雄たちは、ほとんど名前は音読みだがからいいのか。

 

ところで「ありがたき強弓、精兵、云々」という描写はもう一度現れる。第9巻「木曽最期」である。ここでは義仲に付き従う巴に関する描写ではあるが、物語は義仲の登場と最期に最大級の賛辞を贈っているかのようである。


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