物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

街道に沿って 旧北陸道 舟寄あたり

2021-06-22 | 行った所

坂井町若宮から南下、舟寄に入る。兵庫川沿いに南下する。

  兵庫川

 


案内板があったので見る。

舟寄の由来はなかなか面白い。黒坂景久は確かに朝倉の家臣団に見える。姉川で戦死したはずである。景の字は、孝景、義景など朝倉家当主の通字である。

この案内板にはないが、舟寄節にはおはや良作の話も歌われているらしい。案内板にはコシヒカリの開発の話もあり、更に地図もあるのだが、


現在地が記してない上、方角もあいまいだ。北を上にするとこのようになるのではないかと思うのだが、間違っていたら勘弁してほしい。北に向かってみて、福島鮎川道路とやらを左に行くと福島という交差点に出るのではないかと思うのだ。鮎川は福井市の海岸部にある地名として知っているところはあるのだが、この地図では見当がつかない。
十郷用水は平安時代に起源をもつ、春日大社の荘園の十郷を潤したという用水だが、現在はパイプライン化されている。福井(坂井)平野は主に九頭竜川の扇状地に形成された平野だが、奥越から流れ下った川が扇状地の入口となる場所が鳴鹿であり、古来の十郷用水も現代のパイプライン取水口は同じ鳴鹿なのだ。現在永平寺町鳴鹿には大きな堰がある。ここから坂井平野へは主にパイプラインで農業用水が供給されている。


鹿が鳴いて取水の場所を教えたという伝承があるが、これは春日大社の使者の鹿に引っ掛けたものだろう。山師というか、鉱山、水脈を見るに長けた技術者がいたのだろう。
さらに南下すると、東側はサッカー場となった辺りにも案内板がある。この辺の道は新しく、旧北陸道(加賀街道)だかなんだかよくわからない。


この案内板の地図もよくわからない。だいたい大谷川が分からないのだ。方角を北上にするとこうではないかというのは長崎の集落を主に考えた。最近明智光秀で売っている称念寺は長崎にある。最近称念寺の東に北陸新幹線の工事が進んでいる。


十郷用水の堰が壊れた時の修繕費用をどの郷がどれだけ負担するかでもめたらしい。こうしたもめごとは昭和まで続いているらしい。

 


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