七条通を千本辺りで南にすこし下り、なんとか駐車場を見つけ出すと、権源寺という寺を探す。その近くに為義の墓があるはずである。
七条通に標識あり
七条通を探して歩く方が早かったようだ。
わずかに南にあるはずの六孫王神社に行きたいのだが、東西方向へ走る鉄路が南北の行き来を遮る。結局七条を東に行き、大宮通を南下する。
六孫王会館にびっくり、いささか古びてはいるが3階建ての建物だ。会員は源氏の子孫を名乗る人たちなのだろうか。
楼門がある
六孫王こ と、源経基の歌碑
経基は将門・純友の乱では狂言回しのような役回りしかしないのであるが、武門源氏の祖ということになっている。
北が右側なので見慣れない感じではあるが、六孫王神社は鉄路を挟み梅小路公園即ち西八条邸に隣接している、というよりここも西八条邸の一部に違いない。清盛の正室時子の館で、安徳と清盛が遊んだというここはかつては源氏の館と言っていいところではなかったか。
一気に北上し北大路へ紫野である。源義経:牛若丸の産湯井・胞衣塚。どうも眉唾だけど見ておこうかと・・・
畑地の中にあり、柵がある。 案内板もあった。
写真を撮っていると、いきなり話しかけられた。私ら拙いことしてるやろか?と思ったら畑地の持ち主だった。入れてやる、とのありがたいお申し出、いろいろ説明してくださった。
産湯跡の碑 別面に応永2年の文字があるとのことだが、分からなかった。
井戸は深いようだった
胞衣塚
義朝の別宅もこの辺にあったが今はないとのこと。
この方のお宅はこの近所で立派な蔵のあるお家だが、850年の由緒を誇るらしい。軒丸瓦に笹竜胆の紋が入る。
北大路を東に少し行くと常徳寺という寺がある。
義経ゆかり、との看板がある。どういうことかわからなかったが、常盤が安産を記念したとか。牛若丸の安産を祈願したなら今若、乙若の安産も祈願しただろう。牛若の産湯は今若・乙若とは違うのか。阿納全成・義円はどう思うのか。義円は義経の台頭と没落を前に死んだ。全成は全て見ただろう。
というよりここは知足院。藤原忠実の蟄居の場所。保元乱後、忠実はここに幽閉された。「忠通の十一男慈円は著書『愚管抄』の中で、祖父である忠実が死後に怨霊となって自分達(忠通の子孫)に祟りをなしていると記述している。」というのはウィキペディアだが、忠実・頼長VS忠通はどっちもどっちのひどさだった。
近くの今宮神社 今宮というと大阪の今宮戎しか思いつかなかったがたくさんあるようだ。ここは大徳寺も近い。
兎のような耳に、何故かにんまり笑っているような神馬があった。