物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20200904-05 京都街歩き

2020-09-09 | 行った所

山科から渋谷街道で京都市街に入る。東大路を南下。今熊野へ。

猛烈なやぶ蚊の来襲。後白河の使いか。

ここで熊野詣の簡易版をしていたらしい。ようやく鬼界が島で平康頼がしていたことが腑に落ちた。なんの見立てかと思っていたが、京で日常的にしていたことだったのだ。

この楠、800年を超える樹勢を保つか、木曽の旗揚げヒノキに匹敵か


泉湧寺にも寄っては見たが、興を覚えず。

九条通を西進、東寺を過ぎて駐車場を探す。

西寺跡。朱雀大路を挟み、東寺と並ぶ威容を誇ったはずの西寺は野っ原に帰す。唐橋小学校のすぐ北だ。

礎石が幾つか残るが、他は転用されたのだろうか。


東寺の塔が見えるかと思ったが、建物に堰かれ見えないようだ。

朱雀大路は千本通辺りというが、旧千本?新千本?

羅生門址。京城へに入口というよりおどろおどろしい説話に彩られるところではある。


高倉宮址。

先日は三条高倉辺りをうろついて分からなかったのだが、東洞院だと調べ直し再挑戦。

ここから以仁王は三井寺へ向かった。長谷部信連が躍動した場所だ。

その後禅寺曇華院となっていたらしい。発掘調査はされている。

 

大極殿遺址

千本丸太町北西、明治期に建てられた碑。
現在は場所が違うとされる。
しかし、大まかにこの辺と言うことは許されるか。

一条大路。


現在の一条通は実に狭い一通のものだ。道幅30メートルの大路を想像するのは難しいが、ここはそれではないだろうか。

聚楽第碑

一条かいわい 一条邸址 名和長年碑

一条堀川、戻り橋。伝説の京都である。

清明神社。千利休邸の碑もある。安倍晴明という呪者は、秀吉や利休にはどう認識されていたのか。

 

この鬼は酒呑童子関係ではなく愛宕の天狗?

 

清明神社から北へ、今出川を渡り西へ、すぐ白峰神社だが、明治のものだからあまり面白くない。


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