物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

猪俣 (埼玉県美里町)

2021-10-07 | 行った所

武蔵七党と呼ばれた武士団が、正確にはどういうものであったかを知らない。ただその中に猪俣党と呼ばれる一党があった。
現在の埼玉県美里町猪俣を中心に力を持った。南で秩父に接する地域である。

猪俣の高台院という寺の一角には猪俣小平六以下一族の墓があり、毎年お盆のころに「猪俣の百八燈」と呼ばれる行事が伝えられているとか。

 高台院の前に並ぶ石碑群

 

 高台院からの猪俣の眺め

 一族の墓

 猪俣小平六館跡


猪俣党は小野篁の子孫を名乗るが、もちろん真偽はわからない。
平家物語第9巻「越中前司最期」で猪俣小平六則綱の活躍がビビットに語られる。小平六は八か国に聞こえたるしたたか者也、とあり、見事平盛国の子で知られた剛の者の盛俊を首を取るのであるが、越中前司最期については、佐伯真一「戦場の精神史 騙し討ちを考える」に詳しい論考がある。この本に紹介されているのは、平家物語延慶本である。名乗り、一旦は押さえつけた猪俣小平六を放ち、息をつく盛俊、隙を見て盛俊を殺す小平六、近づき盛俊の首を奪う人見四郎、首の耳を切り後日の証拠とする小平六。実に興味深い。人見四郎も猪俣党の縁者らしい。

同じ一谷合戦で、猪俣党の活躍した場面はもう一つある。
岡部六弥太忠澄が平忠度を討ち取る場面である。「忠度最後」で「越中前司最期」に続く部分となる。六弥太は忠度のお歯黒を見咎め、平家の一門の大将首と見て追いすがる。忠度は熊野育ちの大力を見せて六弥太を押さえ込むが、六弥太の若き従者が横から忠度の腕を切付ける。忠度の腕は肘より切断される。これまでと観念した忠度は念仏を唱え、討たれる。

 神戸市長田区 忠度腕塚


岡部六弥太は猪俣党だが、猪俣の北西に岡部というJRの駅があるので、そちらを領したのだろうか。

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