物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

小松寺(小牧市)・磨墨塚(犬山市)

2021-04-05 | 行った所

全国に小松寺という寺はたくさんある。その中で平重盛もしくはそのゆかりの人の創建を名乗る寺も多い。
この小牧市の寺もそうだが、えらく立派な寺で繁盛しているようだ。重盛の創建、重衡も来た、というネットの記載を見つけてきてみたのだが、なんだかよくわからない。

小牧長久手の合戦の時、秀吉軍の砦の一つの址がある。墨俣がそうだが、古い跡はより新しい跡に上書きされていく。

 


犬山市羽黒、

羽黒と云えば羽黒山、山形県のものしか思い浮かばないが、岐阜に羽黒があったのか。

興禅寺、

梶原景時の創建と伝え、景時次男景高の子が乳母に連れられ磨墨と共にここに落ち延び住まったとか。子孫は永らえ、織田信長に仕えるが、本能寺で討ち死にとか。

 梶原一門の墓

 山内一豊の妻の出生地とか


磨墨と云えば伝説の名馬、池月と並ぶ馬、平家物語で知られるが、駿河浮きが原での池月の描写は名馬というには余りにも暴れ馬といったありさまである。ともに頼朝の馬だったとされる。鎌倉殿のもとには各地の自慢の馬が集ったのだろう。
池月を得た佐々木高綱、磨墨を得た梶原景季、共に宇治川の先陣を争う。
どうも各地に池月・磨墨の出生地、墓があるらしい。それこそが伝説の名馬の証だろうか。
もう一つの名馬物語、井上黒は一の谷で知盛が乗っていた馬だが、この馬そのものについて比較的詳しく語られている。信州井上の牧の生まれであること、後白河に献上され、宗盛太政大臣就任の引き出物として、宗盛に渡される。宗盛に請いこの馬を預かった知盛はたいそう大事にする。そして一の谷だ。敗走し、船を追う。黒馬は鎧武者を負い、懸命に泳ぐ。海を馬で渡ったなどと藤戸の佐々木盛綱を称賛するなどつまらない。知盛と井上黒ほどのものではない。
船に追いつきはしたものの、船に馬の場所はない。馬は追い返さなければならない。敵に取られるくらいならと、射殺そうとする部下を制する知盛。馬は暫しの逡巡の後、沖から浜へ戻っていき、河越重頼の手に入り、再び後白河に献じられる。その先はわからないが、後白河が乗馬をするわけもなく、また誰かに下賜されたのだろうか。
池月・磨墨にはこの手のエピソードは一つもない。それが却って新たな伝承を産むのだろうか。

 磨墨塚

磨墨という名からは漆黒の馬を思うが、この公園の遊具は茶色だ。それがまた子供を遊びに誘うような感じで、よき馬を思わせる。

羽黒城址

 

 

 

 

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