物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

須磨 須磨寺・須磨浦公園

2020-11-11 | 行った所


須磨寺は、随分繁昌している寺だ。墓地分譲もしているようだ。


敦盛と熊谷、

義経が腰かけて敦盛の首を見た松、

弁慶の引きずった鐘、青葉の笛の流れる装置、何でもありだな。

須磨寺から下り、門前の商店街が突き当たるのは須磨寺駅。


須磨駅のすぐ北側に重衡囚われの松跡とやらがあるはずなのに、なかなか見つからなかった。


本当に須磨寺駅に北にあった。商店街から降りてくると、喫茶店の看板で気づきにくいのだった。

駅から少し登って頼政寺がある。頼政が再興した云々。ここは摂津の国だ、摂津源氏頼政に縁あるものが合って不思議はないか。

頼政の本拠は摂津渡辺と思ったが。淀川の河口で、かの渡辺綱の子孫の地だ。頼政郎党としての競や唱はおなじみだ。


須磨寺に戻り、須磨浦公園へ移動。


敦盛の墓がある。公園の案内の矢印が分かりにくい。

敦盛は経盛の息子、経正の弟。舞の維盛、琵琶の経正、笛の敦盛、和歌の忠度 平家の文化的教養を代表する。いずれも悲劇の公達とされる。中でも年若だった敦盛の死は有名だが、少なくとも20歳は越えていたとみられ、また熊谷直実の出家の実際の理由は若き公達を討たねばならなかった悲しみではないようだ。

ロープウェイで鉢伏山に登る。大した景観だ。途中からカーレーターとかいう酷く振動し乗り心地の悪い代物で上がる。登った先に回転展望台がある。床がゆっくり回転し360度見える、というのだが窓が汚いのがなんとも・・・こういう施設のメインテナンスは大変なのだ。屋上は風が強いと閉鎖中だった。
展望台から遊園地にリフトが出ている。リフトの駅はこちらがせっつ駅、向こうははりま駅、こっちは摂津で向こうは播磨ということか。須磨明石というが、須磨は摂津で明石は播磨だったのか。

鉢伏山から旗振山の方へ歩いてみる。

樹が茂っているが、少し眺望の効くところだと、一の谷は眼下だ。

 更に旗振山からは生田の森だって見えただろう。ひよどりの方からの軍勢だって見えただろう。

眼を西に転じれば明石海峡大橋が見える。三草山から周って塩屋から須磨へ入ろうとする軍勢だって見えただろう。

ここに平家の斥候、見張りがいなかったはずはない。その見張りはどうしたというのだろう。いくら貴族化しているとはいえ、平家も武士だ。なんだかいろいろ腑に落ちないのだ。

 一の谷 戦の浜

 

 震災碑

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