476号線を走り、木の芽トンネルをくぐる。上は木の芽峠だ。
北陸線の北陸トンネルもこの辺りを走っている。長く日本最長の鉄道のトンネルとされた。1962(昭和37)年の完成だそうである。昭和39年の東京オリンピックを前に、新幹線と共に鉄道工事のエポックだったはずだ。その前はたくさんのトンネルとスイッチバック、複雑な線路だったそうだ。その頃の設備は旧北陸線鉄道遺跡として残っている。
トンネルを抜け、476号と365号の合流地点で365号に入り南下する。曲がりくねった道をしばらく行くと滋賀県との県境、即ち栃木峠だ。
古来道がなかったわけではなかろうが、街道として整備したのは柴田勝家だという。戦国時代も末期だ、軍隊の通れる道が必要だったのだろう。大きな木が枯れているのを見たが、あれは栃の木だろうか。木の芽峠を通らず越前―近江の通行が可となったが、北陸道の難所であることには変わりない。特に冬場は大変だ。有名なのは幕末の福井藩の医者笠原白翁、種痘普及のため子供二人を連れて雪の栃木峠越えを敢行した。
古いだけでなくよくわからない地図だと思ったら北が下に書いてある。365スキー場へ出て365号線へ出れるルートらしい。15.5kmとあるので行ってみる。尾根伝いの道のようだ。
カーブと急こう配、まあ山道だから仕方がない。ベニウツギが花盛りだ。ひとっこ一人通らない、というほどの道ではなく、たま―に対向車がある。
木の芽峠に出た。峠の茶屋は廃業して久しいらしい。
この辺りには山城がいくつか連なっていたらしい。上に何かあるようだが登る道にはロープが引かれ登れないようになっている。
さすが木嶺の眺望である。
下りにかかり分かれ道があった。スキー場の方へ行く。この季節だ、誰もいない。
ほどなく365号線に出、北上し今庄だ。