ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

小耳に挟んだ

2017-12-26 | アメリカ事情

http://www.timeskuwait.com/upload/images/food/food/buche_de_noel.jpg

 

教会から帰ってから、家族とともにクリスマスの食事をいただいてから、会っていなかった間の積もった話を子供達同士であるいは親の私達としながら、午後はゆっくりと過ぎて行った。孫達は朝開けたばかりのプレゼントで遊ぶのに夢中だった。私は話がひとしきり済んでから、積ん読であった本や時事を扱う雑誌に手を伸ばし、パラパラとページをめくり始めた。そしてこんな記事が目についた。

 

「クリスマスに、もし日本にいたら、あなたは、KFC[Kentucky Fried Chicken]を食べているだろう。この風習はケンタッキー・フライド・チキンのマネイジャーが二、三人の外国人が、クリスマスの七面鳥を恋しがっているのを小耳に挟み、クリスマス・スペシャル・おすすめセットを思いつき、それが1974年から風習になったのである。当時それは、ワインの付いたフライド・チキン・デイナーで、アメリカドルにして$52ほどであった。今日このクリスマス・チキンは、クリスマスの何週か前から、多くの家族が予約購入し、一年約360万の注文がある。」(Lauren Cahn, Who?Knew/13 Things You Didn't Know About the Holiday Season)


なるほど。だから、日本では、クリスマスというと、チキンなのだ。今まで何故クリスマスにチキンなのか、そんな習慣が幼い頃あったのか、おぼつかなかった。残念ながら、この日本人は、七面鳥もチキンもクリスマスデイナーにはしなかった。何にしたかというと、プライム・リブ・ロースト(ホースラデイッシュも忘れずに)がメイン。ご馳走様でした。


 

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Merry Christmas!

2017-12-25 | アメリカ事情

 http://newlegendsmag.com/wp-content/uploads/2017/12/bluechristmas.jpg

私にとって、家族にとって、そして世界にとって、キリストは光である。クリスマスはその名のとおり、キリストを礼拝することであり、24日の日曜日はいつもの礼拝に比べもっと意義がある。救い主が降誕したことを三賢者のように、そして謙虚な羊飼いのように喜び、感謝したい。 子供達家族もやってきて、総勢14名で礼拝に教会へ行く。一人一人が, ここにいない、もうすぐドイツへ移る次男一家のことを思いながら。


Glory to God in the highest, and on earth peace, good will toward men.        Luke 2:14

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。」  ルカ伝2:14

 


 

 http://profilepicturesdp.com/wp-content/uploads/2017/12/merry-christmas-whatsapp-dp-2017-14-300x200.jpg

 

 


 

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Prayer

2017-12-24 | アメリカ事情

https://i.pinimg.com/originals/46/28/fe/4628fe9bb363304c28b52bd7a04e5210.jpg

 

21日木曜日の午後五時でキャンパスは閉められ、職員もいままでの様々な祝日を今月の終わりのために貯めてあり、十日ほどの休暇に入った。その前日の水曜日の朝、一人の女子学院生が不安そうな面持ちでやってきた。インドからの留学生で、コンピューター・エンジニアリングを専攻しているのだが、一度disqualification(総合成績平均が2.99以下になると大学院基準失格)に陥り、その後猛勉強をして、戻っている。また今学期落とされるのでは、と不安でならないと言う。結局必要な手続きをすませば、続行して卒業まで行けそう、とわかり、安心してオフィスを去った。

 

コンピュータ・エンジニアリングである。難しい専攻科目で、留学生の身には、さらにたいしたチャレンジである。たいへんに感じがよいお嬢さんで、彼女が帰る時、思わず私は、「私もお祈りしているから、頑張ってね。」と言わずにはいられなかった。老婆心。おせっかい。それでもこの学生には、どんな励ましの言葉も必要だと思ったのだ。そして本当に私は彼女の成功を祈る。


彼女はこれで安心して、この休暇インドに里帰りできる、と言っていた。その旅たるや、20時間以上で、西海岸から、まずロンドンに飛び、そこから北部インドへ飛び、やっと自宅のある町に着くそうだ。彼女が帰宅する時のご両親やご家族の嬉しいお顔がふと想像できて、「お気をつけて、久しぶりのインド、楽しんでね。」とまた一言付け加えた私。

 

不真面目な学院生もいないわけではないが、真面目にこつこつと勉強している留学生も多い。私も経験があるから、成功を切に願う。お国へ戻り、お国で活躍する若い人たちである。いつもよいことがありますようにと、願い祈っている。 というわけで今日12月24日クリスマスイヴのクリスマスカレンダーは、祈る、である。

 

https://askgramps.org/files/2012/01/prayer4.jpg

 

 

祈りの力は、侮れない。いままでいくつか、祈りの答えを得たり、見たり、聞いたりしたし、その力は世間が思う以上に強い。それでも、祈りの答えを得たことはない、と言う人々もいる。あの有名なビリーグラハム氏の引用をすると:

神は祈りに答えられます。ある祈りには「そのとおりだ」と答えられ、

ある祈りには「そうではない」と答えられます。

しかし、答えられない祈りはどうなるのでしょうか。

それは多分、あなたの祈りに疑いがまじっていたからかもしれません。

あるいは、その祈りが自分の利益を求めすぎたためかもしれません。

また、あなたは、あなたにとって最善ではないものを神に求めていたかもしれないのです。

多くの人々は、「私は熱心に祈ったのに何も起こらなかった」とがっかりした調子で言うでしょう。

また、ある人は、「私はいやしを求めたのに、まだ病気で苦しんでいる。」

「私はお金を求めたのにまだ、与えられない」

「私は導きを求めたのにまだ、深刻に悩んでいる」

「友達を与えてくださいと祈ったのにまだ誰も見つかりません」

「私は神様に良い家庭を与えてくださいと祈ったのに、ご覧ください。

 私たちの家の中は不幸と混乱でいっぱいです。」と。

 

 祈りが答えられないのは、きっと何かそこに特別な理由があるからだと聖書は言っています。

あなたの祈りが答えられないのは、あなたが神に従っていないからかもしれません。

ことわざにあるように、「だだっ子は何もかもうまくいく」というわけにはいかないのです。            http://music.geocities.jp/manabu_way/study/ht_st_pray.html

 

特にキリスト教徒でなくとも、祈ることはどの宗教にもある。そして命の危険に直面した時には無神論者はいない。恐怖や不安に面した時、人は、「藁をもすがる」気持ちで祈る。そしてその「藁」が最上の救いの方法であることを知ることがある。祈りについてもっと知りたいとお思いならば、お近くのキリスト教会でお尋ねすることもお考えあれ。

 

http://hddfhm.com

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Prison

2017-12-23 | アメリカ事情

http://www.seeds4thesoul.com


日本に住んでいた時、知っている人の誰かが、刑務所に入っていることはなく、そういう世界はずっと遠くのことと思っていたが、アメリカに住むと、州刑務所が、身近に聞こえるほど、州刑務所で働く人々も多く、勿論服役したことのある人もいる。先日病死したあのチャールス・マンソンほどの極悪人でなくとも、軽犯罪やホワイトカラー犯罪と呼ばれる詐欺や汚職の罪を償う人も、たくさん入所している。

 

http://prisonwriters.com/wp-content/uploads/2015/05/mentally-ill2-300x212.jpg

 

そんな囚人達に更生の道を開く機会も多くある。例えば、蜘蛛の糸を切らないでに書いたように、ユタ州刑務所での家族の歴史図書館での服役囚の働きは、社会に役立つもので、多くの囚人の厳しい心理をやわらげ、被害者への謝罪感も増した。このプログラムは人々の心を明るくさせ、無知故に容易に誤った道に落ちてしまうのを防げるかもしれない希望も与えた。

 

それでも、重大な罪を犯した人々もいるのは冷たい現実である。ある若い女性の系図を頼まれたが、最初にお話しを伺った時、彼女はこう言った。「私の母方の祖父は、妻であった祖母を殺害して、刑務所で服役しているのです。」私は、心の中で、あっと声を上げたが、彼女には、「そうですか。どちらの刑務所かわかりますか?」とだけ尋ねた。よく知らない、と答え、彼女は, むしろその祖父よりも祖母の方を調べて欲しいと頼んだので、そうした。彼女の祖母は、きちんと看護学校を卒業し、南加で、看護師として働いていた。そしてその先祖はスコットランドに遡り、調査の一通りのコースを終えた。

 

その結果を渡すと、彼女は言った。「もしできたら、祖父がどうなったのかわかりますか?」私は、出来るだけのことはします、と言って早速調べ始めた。こうした記録(犯罪記録, 服役記録、裁判記録)は、フェデラル(連邦)犯罪であれば、1982年までに釈放された服役囚について、それこそインターネットで調べられる。基本こうした記録は公文書であるから、バックグラウンドチェックとして使われる。私が貰った手がかりはただひとつ、小さな裁判記録記事の一部で、それ以上はなにもない、とのことであった。

 

結果は、まだ出ていない。この州内の刑務所に服役しているのは事実だが、なかなか調査は容易に進まず、かと言って釈放されたのではなく、また死亡したのでもない。もし死亡していたら、調査は実は楽になる。墓地記録や墓石記録は、インターネットで埋葬後かなり早くアップロードされている。しかしながら、彼女の祖父は、いわゆる”elusive な先祖”(正確には、祖父母は先祖の範疇にはない)である。非常にとらえどころがない。そんなことも系図調査にはある。簡単に見つかりそうと期待しても、逆にもっと難しい。でもあきらめることはなく、とにかく時間をかけてじっくり調べるに限る。

 

私とて、犯罪人の記録を調べるなどは初めてだったが、家族の黒い羊で書いたように、そのためにソルトレークシテイで開かれたルーツテックカンファレンスで犯罪者記録についてのクラスを取り、かなり勉強をした。そして、そのブログにも書いたように、アメリカ人の犯罪者の先祖に対しての気持ちは、日本人的感覚「家の恥」とは違い、かなりオープンで、先祖の罪は自分の罪ではないという意識が強いので、聞く側も、気を遣わずにすむ。それは、「間違って犯罪を犯しても、しょせん人間だし、先祖の一人だ」と思うのか、誇りに思うとまでいかずとも、起伏にとんだ系図調査だ、とほとんど楽しんではいる。

 

見渡したところ、友人、家族、親戚には幸い服役者は、昔も今もいないのだが、ホワイトカラー犯罪で服役している人々を奉仕で訪問したことのある夫は、「罪を犯しても、いい人はいて、自らの犯したこととは言え、投獄されて、家族さえ訪問しない服役囚もいて、訪問したら、喜ばれた。」と言っていた。今日12月23日のクリスマス・カレンダーは、I was in prison and you came to visit me." 獄にいたときに尋ねてくれた、である。

 

http://scripturebypicture.com/wp-content/uploads/2013/11/Matthew-25-36b.jpg

 

服役囚は、物理的に収監されているが、精神の病や、薬やアルコーによる習慣も目には見えない刑務所である。そういう方々に、手を差し伸べる方法がある。彼らに決して一人ではない、とわかってもらえるように、まず友人となること、偏見を持たずに思いやりを示してできることを助ける、精神疾患患者を差別したり、忌み嫌ったりする世の風潮に同調することを拒否する、必要な援助手段が見つかるように助ける(電話帳やインターネットで調べる)、などである。地域の精神衛生センターなどに相談してどのように助けとなれるか尋ねることも。そして、もし知り合いや、家族・親戚に、現在服役者がいれば、彼を訪問し、励ます。手紙もよろこばれる。そして、これらを常識を持って行うことである。


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楽しい行事

2017-12-22 | アメリカ事情

https://www.minted.com/julep/wp-content/uploads/2015/12/cookies-for-santa-printable-5.jpg

サンタクロースへのクッキーとミルクも忘れずに。


今日12月22日のクリスマスカレンダーは:クッキープレイトをお手製のカードと共に、かかりつけの医師のオフィス、図書館、歯科医のオフィスなどへ持っていく、である。楽しそう!



アイシングの瓶と共に、あらかじめ焼いたシュガークッキーやスプリンクルズと一緒に送るのもいい。


クリスマスクッキーの中でやはり子供が好きなのは、アイシングのついた型抜きシュガークッキーだろう。我家では、子供と一緒になって型抜きをしたり、ローヤルアイシングで飾り付けてきた。昨夜は、娘が焼いたシュガークッキー百枚以上のいくつかを飾り始めた。私のそばで孫息子がじっと見ていたが、手伝うより、「失敗作」を待っていた。三歳だから、まだ食べる方が面白いと思っている。


 https://i0.wp.com/thereislifeafterwheat.com/wp-content/uploads/2016/12/Gluten-Free-Soft-Sugar-Cookies-watermark-4.jpg


勿論焼く前のクッキードウの型抜きも、焼いた後の飾りつけも、きちんと子供達が正しく(水でぬらすだけはなく)手洗いをして、清潔な環境で行った。ユダヤ教徒ではないが、コーシャー*もしかねない私の衛生管理。 母は厳しい。

*カーシェールの食べ物カシュルート(ユダヤ教の食のタブー)の規則に従う食品。ユダヤ法ハラーハーに従い消費される食べ物はカーシェールと呼ばれる。コーシェールコシェルコーシェルコーシャカシェルとも表記され、ヘブライ語ではכָּשֵׁרと表記され「適する」意味する。ユダヤ法に従わない食べ物はテレファと呼ばれる(ヘブライ語では טְרֵפָהと表記)。 カーシェールの食べ物とその規則はレビ記11:1-47と申命記14:3-20に挙げられている。ーウィキより


https://i.pinimg.com/736x/f8/38/b9/f838b99751e71e5a0aa41f2d47a5a7da--cute-christmas-cookies-christmas-biscuits.jpg



子供達が十代になっても、その習慣は続いて、もっともボーイズは、ハロウィーンと勘違いしたかのような、赤い砂糖飾りで、血まみれのようなクッキーに仕立て上げて、「失敗作」として「片づけて」くれたものだ。医師となった長男が一番そういう「失敗作」を多く作って消費していた。その息子も、時間を見つけては、今でもクリスマスのクッキー飾りを手伝いにくる。


南加に住んでいた頃は、袋小路のほとんどすべての家にクッキープレイトとクリスマスカードを持っていった。殆ど全員のお隣さんは、リタイアして、伴侶を亡くした人も多かったし、一人暮らしのご老人が多かった。母親を最後まで看取り、ようやく少し自由を得たコープ氏は、趣味がスクエアダンスで、時折居間で練習している姿を目にしては、微笑ましく思ったことである。左隣のアダムス氏は、連れを亡くされてから長い間一人暮らしだったが、ある日、転んでそれからは、子供が引き取った。そして静かに亡き妻の元へ旅立った。少し離れた家のクライマンさんご夫妻は、子供達が勝手にグランパ、グランマと呼んでいたが、それを喜び、いつも親切だった。子供達が成長するにつれて、ひとり、ふたり、とそうしたご老人は去った。これもライフなのよ、と話し合ったものだ。


ここに越してきても、うちは袋小路にあり、全部で7家族が住んでいる。勿論越してきた年から、簡単なクリスマスのスイーツを交換するし、夏には、独立記念日あたりにブロック・パーティもする仲良しである。勿論それぞれの子供達の名前も顔もよく知っているので、祭日・祝日には、「XXXが帰宅したね!」とお互いに挨拶する。気の置けない良い隣人は、本当に祝福である。


こうしたクリスマストリーツ(treats)は、出来上がったものでなくとも、メイソンジャーに材料を入れてお贈りするのも楽しい。特にグルテンフリーのクッキーの材料を詰めて贈るととても喜ばれる。普通のクッキー材料でも、メイソンジャーに入れ、リボンをかけて、工夫したレベルを貼れば、素敵なプレゼントである。


http://2.bp.blogspot.com/-XV-e_7rbO-g/Tub5KUnIyuI/AAAAAAAAPWY/vE55XpPQlMg/s1600/IMG_4162%2Bcopy.jpg

 

今日のチャレンジは、そう難しくなく、ベイキングのお好きな方は、きっと楽しくお作りになることと思う。どうでしょう、この週末お子様方となさっては。














 

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