ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

この世の憂

2020-08-27 | アメリカ事情

possumcounty.com

 

 

英語の言い方(イディオム)で、”I don't know whether I'm coming or going.”と言うのがある。てんてこ舞いに忙しい、やることが多過ぎて混乱している、疲れていて何がどうなっているのかわからない、と言ったような意味合いである。まさにその一言に尽きる一週間以上を過ごしている私である。公的に私的に憂えていることがあるのだが、私的なことは少しずつでも改善されて行くとは思っている。公的には…どうだろう。

州の山火事は、火勢の抑制や封じ込みは多くて29%ではあるが、中央部のヴァレイには、厚い煙の毛布が平原の縁から中央の盆地全体を覆い、その空の下では、PM2.5濃度で中程度の汚染と言う大気である。この灰燼の煙層のおかげで、比較的気温はマイルドに保たれ、輪番停電は今の所免れている。不幸中の幸いと言うところだろうか。

毎年の山火事季節には、とにかく何が何でも高齢樹が無事であることを真摯に願う。カリフォルニア州には地上で一番大きく背の高い年老いた樹木がある。世界最大な樹は、セコイア国立公園にそびえるジェネラル・シャーマン(ウイリアム・テカムンサ・シャーマン将軍=南北戦争時の北軍の将軍)と名付けられているセコイアデンドロンの巨木である。隣接するキングス・キャニオン国立公園には、北軍将軍で後に大統領となったジェネラル・グラントのセコイアデンドロンもある。

シャーマン将軍のセコイアは樹齢約2200年、グラント将軍のセコイアは2300−2700年とされている。今夏の山火事に際しても、消防士たちは、出来るだけ可能な限り、周辺の防火に努め、こうした巨木の森を守っている。この二つの国立公園は、ヨセミテ国立公園と並んで、自宅から3時間かからずに行けるのが嬉しい。夏は特に火事のない頃は早朝外へ出ると、まるでキャンプ場の朝のような空気があり、それがこうした国立公園の大木や森からきているとは思えないが、そしてそれは案外7本高くそびえる庭のレッドウッドからなのかもしれないが、森林浴のような気分になれるのだ。火災発生中は、外で深呼吸などできないが。

パンデミックの最中、記録的な大火事、ひどい大気汚染、そして異常高温続き、それに伴う輪番停電の恐れ。カリフォルニア州民は、皆、火のついた松明をいくつも宙に投げて一つづつ火傷もせずに掴む曲芸師のようである。いや、実際には火傷もせずに松明を掴んでいる人は少ないかもしれない。大抵の人々は、諦めと仕方ないと弱気でなんとかやっているのだ。

電力について言えば、加州の電力消費量がもっとも高かったのは、2006年夏である。 加州は記録にない最悪のヒートウエーブを経験し、650名の州民がそれによって亡くなった。その電力消費量はその年の7月21日、最大需要時50,270メガワッツを記録した。それでも州は、昼間の停電を避けられる電力量があり、なんとか賄ってきたが、先週末になって、需要が低かったにも関わらず、14年前や3年前に比べてもその電力量は低下していた。

以前には加州は他州から電力を買えたが、今ではどの州も人口増加に伴い、他州への電力を売り渋り、喜んで分け合うことはしなくなった。ネヴァダ州は、余剰電力はなるたけ保存し、州民に節約を心がけるように促している。つまり今までは1万メガワッツを他州から買っていた加州は、今や5000から6000メガワッツをなんとかより集めて供給している状態なのだ。

石炭による火力発電は消滅しつつあり、水力発電は、どこぞの国の民主党のようなこの州の民主党が、自然破壊を理由にダム建設に反対などしてきたため、期待薄である。いくらグリーンエネルギーの風力や太陽光エネルギーを礼賛し、奨励し、そうした機器の設置を進めても、日が暮れて、曇天・雨天、そして全く風のない日々もある。そしてグリーンエネルギーは、その貯蔵が問題である。近い将来工業用サイズのリチウム電池が、これを助けることになるのは間違いないが、その日は今年や来年の夏ではない。

加州の海岸線に沿って作られた天然ガスによる火力発電所は豊富にある海水によって冷却をしてきたが、これは大量の海水を用いる故、環境保護者団体が、「海中の動植物の卵や幼生やアザラシなどの海洋動物に有害である」と反対し、また水管理委員会は、海水利用施設の改善を求め、海水利用を93%取りやめるように要請している。改善費用の膨大さに、そして海水利用がほぼ無理になることから、19施設のうち、すでに10ヶ所が閉鎖されている。 残った9ヶ所の発電所も、今年12月31日付けで、水管理委員会の要求に添えないならば、閉鎖されることだろう。

こんな不思議な州の住民である私たちは、海のサカナや目に見えるか否かのような極小エビの命がずっと大切だと思わさせられるような所に住んでいる。それでも、夜は明け、花は咲き、果実は実る。鳥は飛び、蝶も飛び交う。困難も、やがて去るために来ただけだ、と、ジェネラル・シャーマンの樹のように、私は朝に光りを今日も浴びる。

 

 

 

コメント (2)
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