ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

少年の日に学んだレッスン

2018-12-23 | アメリカ事情

cheapism.com 

 

 

 

 

私が10歳ほどの頃、クリスマスが近づくにつれて、私は電気で動く鉄道車が欲しいと思い、それを待ち望んでいました。時代は世界恐慌のただ中でしたが、母と父は素敵な電車を購入してくれました。


明るく輝くようなクリスマスの朝早く、私は自分の電車に気づき、大喜びしました。それからの数時間は、変圧器を操作し、エンジンが前に後に車を引っ張っているのを見ることに終始しました。


母親は、ゲイル通りに住むハンセン未亡人の息子マークに、ねじで回す汽車の玩具を買ってある、と言いました。その玩具を見ると、私が欲しいと思っていたタンカー車が付いているのに気が付きました。母親にそのタンカー車が欲しいとねだると、母親は私の歎願に屈してそのタンカー車をくれました。私はそれを自分のもらったばかりの電気列車に置き、とても満足していました。


母と私は残りの車と機関車をマーク・ハンセンのところへ持って行きました。若い少年は私より一つか二つ年上でした。彼は決してそのような贈り物を予期していなかったので、言葉にならぬほど興奮していました。彼は機関車にねじを入れて、それを回しました(電気で動く私の高価な列車セットとは違い、ねじで動くようになっていました)。機関車と三台の列車と最後尾車が、ぐるぐるとレイルを回るのを見て、彼は大喜びをしていました。


私は、家に戻ったとき、恐ろしい罪悪感を感じました。タンカー車に、もはや私は魅力を感じませんでした。突然、私はそのタンカー車を手に取って、さらに自分の車のひとつを追加して、ゲイル通りまで走って行き、マークに「君の電車に付くはずの2台の車を持ってくるのを忘れてたんだ。」と誇らしげに言いました。


私は、10歳の少年の頃のその経験ほどによい気分になったことはないと思います。


ートーマス・S・モンソン

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