ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Christmas のW

2018-12-17 | アメリカ事情

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昨年12月、私はクリスマスを静かで平和な体験にすることを誓いました。無限に続く(もてなしのためにクッキーやらブレッドやらケーキやらを焼く)ベイキング、飾り付け、さらには贈り物に無駄遣いすることまで、私は不可欠と思っていた義務を取り除くことにしました。それでもなお、私は自分自身を疲弊させ、貴重な家族との時間を減らし、もちろん、クリスマスの本当の意味を理解さえしていませんでした。


私の息子、ニコラスは、その年、幼稚園にいました。クリスマスは、六歳児にとって魅惑的な季節でした。数週間、彼は彼の学校の 「冬の祭典」に披露する曲を覚えようとしていました。私はその催しのある夜は、働かねばならないことを息子に伝えることができませんでした。息子の輝かしい瞬間を見逃したくない、と私は息子の先生に話しました。彼女は、発表の日の朝、ドレスリハーサルがあるからそれをご覧になったら、と私に言ってくれました。その夜出席できない両親は、その朝来ればよいことを歓迎しました。幸いにも、ニコラスはこの妥協案に満足していたようでした。


ドレスリハーサルの朝、私は10分早く学校へ行き、カフェテリアの床の空いている場所を見つけて座りました。部屋を見渡すと、慌てて席につこうとしている何人かの両親を見ました。そうやって待っている間、生徒たちは部屋に導かれてきました。それぞれの教師を伴った各クラスは、床に足を組んで座りました。それから、各グループは、ひとグループづつ、歌を歌うために立ち上がりました。公立学校のシステムでは、この休暇を「クリスマス」と呼ぶのを長い間辞めていた(他宗教信者を慮る近年はこういう公立学校が多い)ので、おそらくトナカイ、サンタクロース、雪、などをはしゃいで歌う世俗的なこと以外が歌われることは予想外でした。


ですから、私の息子のクラスが「クリスマスの愛」を歌うために立ち上がった時、その大胆な曲名によって思わず、ハッとしました。ニコラスは、クラスメートのすべてがそうであったように、ふかふかとしたミトン、赤いセーター、明るいスノーキャップを頭にかぶっていました。ステージ前列中央では、子供たちは曲のタイトルを綴るために大きな文字を一つづつかかげました。クラスが 「C はクリスマスのC」と歌う時には、子供はCの文字を掲げました。そして、 「HはHappy幸せのHです」、そうやって、各子供がメッセージ 「Christmas Love」と綴ったのでした。


パフォーマンスはスムーズに進みましが、突然、最前列にいる小さなおとなしそうな女の子が、「M」の文字を逆さまにして持っているのに気づきました。「M」は「W」に見えました。この小さな子供の間違いで、第1学年から第6学年を含む聴衆は、くすくす笑い始めました。けれどもこの小さな女の子は、自分を人々は笑っているのだとは知らず、むしろ誇らしげに背を伸ばし、「W」を掲げていました。多くの教師がくすくすと笑う子供を静かにさせようとしましたが、最後の文字が掲げられるまで、笑いは続きました。そして私たちは皆一緒に見たのです。それを見て、聴衆は一瞬のうちに静かになり、皆の目が見開かれました。その瞬間に、私たちがそこにいた理由、何故この休日を祝うのか、この祭典の目的を理解したのでした。最後の文字が高く掲げられた時、そのメッセージは大きく明瞭に読まれました:"C H R I S T  W A S  L O V E"(キリストは愛)


そして、私は彼が未だそうであると信じています。


ー作者不詳

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