2018年8月1日付けのLos Angeles Times(ロス・アンジェルス・タイムス)にあった記事、題して、「サリナスの松井家は栽培・販売する蘭と人々の人生を変えるような寛大さで知られている」をお伝えしたい。サリナス(Salinas)は、カリフォルニア州にあり、下の地図を参照。
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Credit:http://www.matsuinursery.com
マツイ種苗場(ナーサリー)創立者のアンディ・マツイ氏と娘のテレサ・マツイさん
7月中旬、マツイ家はもう一枚の小切手を書いた。この地方の人の間では、ここ(カリフォルニア州サリナス)は
国のサラダボウル*、と呼ばれているが、マツイ家がこの時期(大きな額の小切手を書く)ことを驚く人はいない。*サリナス地方はレタスを初め、各種の野菜・果実の生産地。
アンディ・マツイと彼の家族は数千の蘭を育て、数百万ドル単位で、寄付をする、という2つのことで知られている。
最近では、それぞれ50万ドルが、ナティヴィダッド基金に、そして癌やその他の慢性疾患患者に役立つ新しい公立病院薬局に寄付された。
私はアンディ・マツイのこの有名な授与について、ナティヴィダッド基金のヒラリー・フィッシュさんに尋ねた。
マツイ種苗場(ナーサリー)で以前働いていたフィッシュさんは、言った。「私は彼が本当に素晴らしい人生を送ってきたと感じていると思います。 そして彼には人を助ける手段があり、それを使って助けたいのです。」
昨年9月、マツイ家財団基金は、学校が適正なことにその土地を使えるようにと、サリナスのハートネル・カレッジに土地を寄付した。その寄付は、2,000万ドル以上の価値があった。
そして、2004年以降、家族は、サリナス地域のおそらくその寄付なしには、進学できなかっただろう高校生達に大学奨学金を約8百万ドル提供した。
「マツイ氏は正式な教育を受けず、自力で成功を成し遂げた方ですが、彼は教育というものを信じているのです。」と、移民農業労働者の子供達がマツイ氏の支援を得て給費生となり、大学進学をしてきたことを目の当たりにしてきたハートネル・カレッジの学長ウィラード・レワレン氏は、そう語る。
以前マツイ氏の奨学金受賞者であったローランド・ペレス氏に当記者が電話をかけた時、彼はスタンフォード大学の研究所の電話で答えた。そこで彼は、バイオエンジニアリング(生体工学)の博士号候補者である。私は彼が何を研究しているのか尋ねた。
「私はちょうど何種類かのキノコを栽培しています」とペレスは言った。
彼は、菌類コロニーの栄養分である菌糸体を建設資材や梱包資材に使用することを研究していると説明した。彼は、革のような製品も開発される可能性があり、農業廃棄物の実用化を模索するために、彼が研究しているバイオエンジニアリング技術を利用することに興味があると述べた。
12歳でメキシコから米国に移住したペレスは、サリナスのリサイクルセンターの隣にあるトレーラーの家に住んでいたと語った。彼は高校の後、空軍に入隊したが、20代半ばに学校・高等教育について真剣に考えた。現在34歳の彼はスタンフォード大学で修士号を取得する前に、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で生体工学の学位を取得するために、2万5千ドルのマツイ奨学金を使用したと述べた。
「マツイの資金援助は私の成功の大きな要因でした」とペレス氏は語った。 「もし家賃や教科書などを賄うためにアルバイトをしていたら、私はサンタクルーズ校での研究に集中することはできませんでした。そうしたことは、私を研究室から遠ざけていたでしょう。アンディ・マツイの寄付についてを耳にした時、私は何が(マツイ氏を)そう動機づけたのか不思議に思いました。その答えは決して完全には分からないかもしれません。彼は、カリフォルニア州で花の栽培者達のために働き、50年近く前にゼロから自分で構築した事業から、病のために退りのぞくことを余儀なくされ、現在はアルツハイマー病に罹り、ペブルビーチで妻のメリーと暮らしています。」
約4年前に家業を継いだ娘のテレサ・マツイに、記者は彼女の父親の善行を説明願った。「私の憶測ですが、」と彼女は言った。「けれど、日本からの移民農業労働者として、父親は自分が築き上げたことを達成するために一生懸命働いたと自負していました」と彼女は言った。
彼は成功の尺度を図るかのように、そしてカリフォルニアでの移民労働者経験を共有する家族に利益を還元することの両方で慈善活動を見てきたのかもしれない。マツイ種苗場(ナーサリー)には200人の従業員がおり、ほとんどすべてがラティーノ(ラテン系)であり、国内最大級の蘭の栽培・販売業者のひとつで、その蘭は、カリフォルニア全州やその他の州のスーパー・マーケットで、販売されている。
何年もの間、アンディ・マツイはサリナス平野の最優秀学生に奨学金を与えてきた。数年前、彼は焦点をハートネル・カレッジ以外の学校にも転じて、カリフォルニア州立大学モントレイ・ベイ校へも奨学金プログラムを設けて、学資金を提供している。
この考えは、わずか3年でコンピューター科学の学位を提供することによって、成長している農業技術産業の労働力を養成するためだった。学生は2万5千ドルかそれ以上の奨学金を得て、学位取得課程の前半は、農業技術集中課程のあるハートネル・カレッジで、後半は、州立大学で年間を通じて学ぶ。
75名の学生は、既に学位を取得しており、現在はサンフランシスコ地区、シリコンバレー、サリナス地区で働いている。別の100人ほどの学生は、現在学位取得に向けて学業に取り組んでいる。
両親が離婚した後、トラック運転手の父親によって育てられた、サリナス高校出身のアニタ・ガルシアは、財政困難な家族を援助するために高校時代から働いてきた、と語った。大学では、実業、運動学、哲学、心理学を学び、どの職業に就くかを決めかねた。その後、彼女は3年間のコンピューター科学の学位プログラムについて聞き、奨学金を申請して3万ドルを得た。
現在、彼女は卒業し、カリフォルニア州立大学モントレイ・ベイ校で、3年プログラムのコーディネーターとして働いている。
「私の長期目標は、サリナスに落ち着き、サリナスに貢献することです。農業技術で貢献できれば、と。」 自分の住居に越したばかりの26歳のガルシアはそう語った。
テレサ・マツイは、父親が蓄えた家族基金財団の資金が、最近の寄付で減少した、と語った。
「残額は、より持続的に恵まれない学生に奨学金を賄うために使われるでしょう」と彼女は語った。彼女の新たな焦点は、マツイ種苗場(ナーサリー)を教育と訓練を通して、より多くの機会を持つ「家族にやさしい職場」にすることにある。
マツイに何故彼女の父親がヨットやプライベートジェットを揃えるような成功したビジネスマンではなかったのか尋ねたところ、彼は、ペブルビーチに家を買い、4人の子供達全員をアイビーリーグ(米国北東部に多い名門大学群)に送り込んだと言った。
「そして父は確かに飛行機を操縦しましたが、(機種は)ガルフストリーム(ガルフストリーム・エアロスペース会社の高級飛行機)ではありませんでした。」 と彼女は語った。
「日本で2エーカーの柿農園で働いていた頃、決して夢にも思わなかった暮らしの状態を両親にこの家業が与えてくれたのです」とマツイは語った。 「二人は四人の子供をハーバード大学に送ることができました。私達は皆成功しています。私達は両親が残すお金は必要ありません。だから私達が家族としてできることは、私達家族の成功に貢献して下さった方々への支援と貢献なのです。」
ーLos Angeles Times; Steve Lopez記者による8月1日午前3:00カリフォルニア州サリナスにての記事より