ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ひょっとしたら

2018-08-01 | アメリカ事情

http://clipart-library.com

 


系図探求では、家系図制作とは少々異なる依頼に遭遇することが時折ある。以前行なったジョン・ウィルカス・ブースとの関係を調査してほしい、という依頼についての件はすでに書いたが、今回、又異色な依頼があった。シャーロック・ホームズには及ばないが、Nancy Drew(ナンシー・ドゥリュウ=1930年代から現在に至るまで愛され読まれているアメリカ合衆国の児童・青少年向けの推理小説で、過去にテレビ化も何度かされている)程度な要素を帯びている依頼である。

 

ヨーロッパでも太平洋でも第二次世界大戦が終結した1945年12月、南部のある陸軍基地で、一人の兵士が死んでいるのが発見された。私がした最初の調査は、彼の死亡診断書を見つけることだった。すぐにそれは見つかり、それによれば死因は、「心筋の拡張、右心室の心耳の急性症」、つまり心臓麻痺的な原因だとしている。事件性を匂わせる事柄は、死亡診断書には、ひとつも見つかっていないし、古い新聞記事を載せるデータ・ベースを探し回っても、その陸軍基地内外の新聞には、一切射殺事件に関する記事はない。



https://sks-files.com


然しながら、代替わりはしていても、彼の死亡から73年後の遺族は、いまだに、この事件は他殺で、彼の遺体発見場所は、基地内の射撃練習場の裏、つまり標的の後ろ側から少し離れたところで、射殺された、と信じている。当時の親兄弟などの遺族は、彼が「そこで射殺されていた」という情報を何らかの手段で得ていた。その「手段」を知らなければならない私は、週末その遺族と会うことにして詳しい事情を聴く。


ただ、太平洋戦争で日本軍を相手に戦った兵士が、駐屯しているから地理感もあっただろう、アメリカ国内の陸軍基地内の射撃演習所の射的の後ろを、そこがどういう場所であるか知らずに、夜間わざわざ歩いていた、とは、私にも信じがたいのである。遺族はさらに、殺害されるに十分な理由となる証拠が、彼の妻(つまり今の遺族にとっては、祖母)にはある、と言う。既婚の身でありながら、彼女は数通の手紙を違った男性たち(夫の兵士仲間や戦友)数人に宛てていて、その内容は情事を示唆している、と言う。遺族はその手紙類を保管し、英語で言うところのsteamyで、由々しい関係を多数の者と持っていたような内容だそうだ。私自身その手紙類は、見ていないが、今の遺族家族は保持し続けている。


私は、予備調査を月曜日に始めたばかりだが、彼の出生情報、軍隊の記録、婚姻証明書、墓地墓石などを見つけた。それらによると、彼は、1903年生まれで、1925年にRという女性と結婚し、彼が亡くなった1945年でちょうど結婚20周年だった。20年の婚姻期間に、彼は太平洋戦争で戦っているし、少なくとも3-4年は、妻から離れていたと考えられる。二人には1927年に生まれた一人息子があった。この一人息子の子や孫が現在の遺族家族である。よってその孫は、この祖父に一度も会ったことはなかった。その未亡人となったRは、再婚したが、いつ、誰と再婚したのかは、この先の調査でわかるだろう。


予備調査で彼の死に関して一切、事件性のある記録は、出てこなかったとその遺族に伝えると、驚いたが、「軍による隠ぺい」があるのではないか、と言った。たとえ73年前の書類でも、米国情報公開法によって、調査はできる。けれど、隠ぺいの証拠は? 第一遺族は、いったいどのように、彼が他殺である、と信じているのだろうか。前述したように、遺族は彼の妻の夫以外の男性たちに宛てた例のsteamy書簡の数々が証拠だと言う。その男性たちの誰かと一緒になりたいがために、彼を殺害したのではないか、と疑っている。そして私は、彼の死を隠ぺいするメリットが陸軍にあったのかその可能性を調べてみたい。


基地内で起こった犯罪は、基地内あるいは軍内のたとえば軍法会議で、裁かれる。これが日本国内で米国籍人物が起こした犯罪ならば、日本地位協定(安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国のおける合衆国軍隊の地位に関する協定)に定められた通り、日本に優先的な裁判権があるとされるが、被疑者米国人の身柄の拘束は、日本の検察が起訴した後に米国側に引き渡される。これと似たことが、米国内でもあるのではないだろうか。合衆国陸軍基地内での犯罪は、ミリタリー・ポリース(MP=憲兵隊)が犯罪捜査にあたり、コート・マーシャル(court martial=軍事裁判所、軍事法廷)が司法権を行使するはずである。つまり軍隊は、その特質上、厳正な規律維持が必要なために、軍人には一般とは異なる特別な司法のやり方がある。


もし実際に殺害された軍人が軍隊基地内で見つかった場合の捜査は、MPが犯罪調査をし、被疑者があれば、その者は軍事裁判にかけられ、容疑の立証あるいは無罪成立かの判断がなされるから、記録は必ず残されているはずである。そしてその記録は、73年経っていることからも、あるいはアメリカ市民には、情報公開法によって、閲覧できるはずである。そうすると、遺族が隠ぺいがあった、と疑うのはどういう視点からだろうか。


ここで1945年12月当時のアメリカの世情が、また軍事的な事情が、どうであったのか、鑑みると、戦勝国同士のアメリカとソビエト連邦とのCold War(冷戦)が幕を切った頃である。1945年2月のヤルタ会談で米英側とソ連のジョセフ・スターリンとの間で第二次大戦後の世界事情の行方がほぼ決定された。しかし米英とソ連が相互信頼を完全にしていたのではなく、両陣営は7月のポツダム会談では、お互いへの不信をもっと深めていった。資本・自由主義のアメリカは共産・社会主義を封じ込める姿勢で、ソ連をはじめとするいわゆる東側に、1991年のソ連崩壊まで対峙していったのは、誰もが知ることである。


 http://htda.info

 


冷戦への火花が切って落とされんとした頃の、Crime of Passion(一時の激情による犯罪ーここでは愛情・愛憎関係かもしれない)タイプの殺人事件、射殺されていたとして、それは計画的な犯行なのか、はたまた本当に射撃演習場で射殺されたのか、あるいは他所で殺され、遺体を射撃演習場の射的の後ろに移したのか。それが隠ぺい(と遺族は考えている)に値するようなことを含んでいたのだろうか。あるいは、Friendly fire (友軍誤射)だったのか??? 今のところ、答えよりも質問の多い一件である。経過については、後日記述したい。


この調査を引き受けるかどうか、カウチに座った私が逡巡を重ねている時、隣に座っていた夫は、”Come on, Endeavor, you can solve it!" (ほら、エンデヴァー、君なら解けるよ!)と申した。Endeavor(エンデヴァー)は、英国のIVCが制作するEndeavor;邦題が『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』の主人公で、オックスフォード市警の犯罪捜査課の巡査になったばかりのエンデヴァー・モースのことである。ハンサムなエンデヴァーでも、矍鑠とした聡明なミス・マープルでも、はたまた美人で賢いナンシー・ドゥリュウでもない凡人の私、そんな同僚がいたらなあ。


Amazon.com




 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする