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三郎さんの昔話・・・嫁かつぎ

2009-04-17 | 本山町内の記事
嫁かつぎ
人間は年を取ると物事に分別が出来て無茶なことは出来なくなりますが、若いときは人間に活気と馬力があるので、少々無理なことでも若い気負いでやり通すことが出来ます。

 今日は昔の嫁かつぎの話をしてみましょう。 今から七、八十年も前、大石の北地(屋号)の小作百姓の家に勝馬という二十四歳になる田舎相撲もとる男前でええ元気な若いしがいました。

 昔、楽しみの少ない田舎では、夏の宵は方々の寺やお堂で夜相撲があり、秋になるとあちらこちらの神社で収穫を喜ぶ秋祭りに相撲があって、そのときは物売りなども出て賑わうので、若い男女にとっては恰好の出会い、交際のきっかけを作る良い機会でありました。

 勝馬は伊勢川の夜相撲でええ娘を見染めました。その娘は伊勢川の中屋(屋号)の娘で、お咲という十九歳になる器量よしの、ええ娘でした。

 そのお咲に度々逢ううちに、二人の仲は親しさが増して、夫婦になろうとまで話し合いが進んだのですが、さてそこで思うようにいかないのが世の常で、男が嫁をもらうにしても、娘が嫁入りするにしても、家柄とか面子があって、若い男女が好きあうたいうて自由にならない時代でした。

 勝馬の家は、大石で貧しい小作人の家、お咲の家は伊勢川で中流以上の家柄。 これでは人を立てて貰いに行っても、くれるはずがない。

 お咲の父母は娘を良家の息子に嫁に行けとすすめる。お咲はせがまれてせっぱつまる。そこで勝馬と密かに話し合いして、二人は夫婦になることを誓う。勝馬は腹を決めた。

「ようし、嫁かつぎじゃ。」と。
 友達の若いし連中を集めて段取りを進めた。 お咲も密かに連絡をとり、嫁かつぎの日時が決まった。

 さて決行の夜が来た。友達の若いしが七、八人来た。 門出に勝馬を囲んでひや酒で乾杯し気勢を挙げて、嫁かつぎの道具、籠にかわる幅一尺、縦三尺の厚板にロープを掛けたものと、孟宗竹七尺のかつぎ棒をひっさげて、秋も半ばの朧月夜の山坂道を、「越しと」へ四キロあまり、小峠を越して三キロ少々下って、お咲の家「中屋」に九時過ぎに勝馬と連中は到着する。

 声を潜めて待つことしばし。夜もふけ家の者も寝る時刻がきた。
 お咲は「厠(かわや)へ」と外に出た。昼間に準備した風呂敷包みをさげていた。

 勝馬が、若いしの仕立てた籠板にお咲を乗せ、前棒を一人、後ろを勝馬とも一人の三人でかつぎたてて、せこ三、四人で「嫁かつぎじゃ、そら行け」と走り出す。

 中屋に一人残した若いし、間をはかる。十分程した。家の者が、「お咲、えらい遅いが」と気づこうて、障子を開けて外を見た。

 とたん、門前に立った男、大声で、「お宅の娘お咲さん、大石の北地の勝馬が嫁になること承知してくれたんで、今娘にもろうてかついだけー」と、言いとばすとたったと走って消えた。

 その声を聞いた家の者は、まさかうちの娘がかつがれるとは思いもよらぬ出来事にびっくりして、唯うろたえ外へ出てみたが、若いしやお咲の姿はどこにも見当たらず、ただ呆然とするばかり。

 こんな恥ずかしいこと、夜中に近所へも言えず、親戚は遠いし、一人二人で追っ掛けても若いしには追い付けるはずもなく、仕方なくしょぼけて座り込む。

 嫁をかついだ若いし、上り坂にもめげず気勢を挙げて、「勝馬嫁取り、わっしょい、わっしょい」「嫁さん腰が痛いろうが辛抱しいや、好きな勝馬と一緒になれる、わっしょい、わっしょい」若い馬力で「越しと」の小峠も越えた。

もう大石へ下り道。

 申し渡しに残った若いしも追い付いて来て、「少し様子を見たが追って来る気配はないぞ、もうゆっくり行けや」「ほいほい、嫁の神興じゃ、わっしょい、わっしょい」やがてそのうちに大石の在所へ帰ったが、かねての段取り通り勝馬の家には帰らず、友達の家の蚕室の二階に二人が一時密かに過ごすことにしてあった友達の家に連中が帰り着いたが夜中過ぎ。 若い友達連で勝馬とお咲さんの仮祝言をして朝まで飲み明かした。

 さて日だけて(注、朝おそくなること)十時頃、男し三人伊勢川からやって来た。お咲の父と親戚の人。
 勝馬の家に着くとえらい剣幕で、「北地の勝馬の家はここかのう」勝馬の母が「はい、そうですが」というと、
「おまさんくの勝馬は夕べ、わしんくのお咲をかどわかして連れて来よったが、あんな無茶は許せんけ、
出しとおぜ」勝馬の母はびっくりした表情で、
「そりゃおかしい、勝馬は昨日家の用事はかたづいたけ、ちっと働いて来る、いうて出て行きましたが」
お咲の父親、「おまさん、そんなとぼけた嘘ゆわんと娘をここへ出しとおぜ」横から、
「勝馬は居るじゃろ、ここへつれてき」
「そんなことゆわれても、勝馬はいま言った通り出て行っておりませんき、なんじゃったらこんな小家じゃきに家(や)さがししとうぜ」
 問答してもちっともらちがあかん。近所で聞いても申し合わしたように、知らぬ存ぜぬで、仕方なく夕方に帰った。

 一日置きに二三度来たが、同じ事のくりかえしで、お咲の父親もあきらめ、「もう勘当じゃ」いうて帰ってからは来なくなりました。

 その後、好きあうて夫婦になった勝馬とお咲は仲睦まじく子宝にも恵まれ、共に精出して働き渡世も良くなりました。

十年後には勘当も解け、親子の行き来をするようになりました。
 嫁担ぎは嫁取りの非常手段で、昔ほんとにあったそうです。


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