奇妙なお呪い
(一)飛び火の呪い
隣近所も少ない車道も狭い。お医者さんもいない。田舎の開けてない時代のいろいろな病気に対応する生活の知恵というか、病気をなおすために当時は手薬とお呪いがはばをきかしていた。
その中での一つ、「飛び火の呪い」と次の「火傷の呪い」について、大川村出身で市内で酒屋を営んでいる奥さんから聞いた話を書いてみます。
毎年といってよいほど、一、二歳の幼児に飛び火が発病し広がっていた。
山のおじいさんの呪いがきくというので、飛び火に罹った子供をおんぶして、若い母親が近在はじめ方々から来てお呪いをしてもらう。二、三度行って呪ってもらうところっと治る。不思議なこと。
私も長女と次の男子を呪ってもらい良くなりました。おじいさんは自分の子供がなかったので、親しかった私(酒屋の奥さんのこと)にひそかに伝授してくれました。
そのお呪いの方法と呪文は、
山から下へ流れた谷の水を、手を合わして拝み、破竹のささ葉で下むけに水をすくい、器に七度くみ、次の谷へ同じ手順で七つくむ。
次々と順に七谷の水を戴いて持ち帰った七、七、四十九滴のささ水は少ないので清浄な水をほんの少し足し水し、器の水をささ葉で飛び火の傷をしめしながら、
「七谷明神のあらたかい水じゃぞ、飛び火よ早よう鎮まれ、消え失せよ、あびらうんけんそわか」と三度唱えて息をフウー、フウー、フウーと三つ吹きかける。奇妙なお呪い。
三番目の男の子が飛び火に罹ったときは、習ったお呪いを私が唱えて治しました、と。
飛び火とは幼児の皮膚病の一種で、一度患うと免疫性になり後は罹らない。
(2)火傷の呪い
現代と違って昔は焚火が主で、竈やいろりで薪を燃やし煮炊きをし、寒さも焚火で暖をとるので火つつきが多かったせいで、いろりへ子供が手足を突っ込んだとか、くら湯の茶瓶や鍋をひっくり返し大火傷をした。注意をしていても火傷をすることが多かった。
つい誤って火傷をするとさあ大変。水で冷すがなかなかに火傷の痛みはとまらん。近所の爺さんが呪いを知っちゅう、早よう行って呪うてもらへ、と駆け付けたら丁度爺さんが居て、
「そりゃたまるか」言うて神棚に祭ってあったお水を杯に入れてきて、榊の葉をその水でぬらし、火傷した傷をピチャピチャと湿しながら、むにゃむにゃとお唱えして大きな息をプウー、プウーと三度吹き掛けて、
「どうじゃ、まだ痛むか」「ちょっとはましじゃが、まだ痛む」言うと、続けて三度呪ってくれた。それで不思議なことに痛みはとまったと。
この爺さんの火傷呪いはよう効くので、近在で火傷をしたら皆来て、呪うてもらっていた。爺さんは親しい私に、子やらいはいつ何どき子供が火傷をするかわからんけ、この呪いはよう効いて焼け傷も残らんけ、覚えちょけと伝授してくれました。
さて時は移り、四、五年前のことです。近くのお客さんで心安い方(年は五十歳前後の男)が茶瓶をつい引っくり返し、ふくらを大火傷してすぐ病院に駆け付け治療を受けましたが、なかなかに痛みがとまらず弱っていた。
ふといつかの話で私が火傷の呪いを知っていることを思い出して、電話で、「すまんが火傷が痛むので来て呪ってくれまいか」と連絡があったので行き、「私は爺さんに習ってから子供の小さい火傷は呪ったことはあるけど、こんな大きな火傷は初めてじゃ。効くかどうかわからんけど」言ってから、「早く痛みよとまれ、傷なおれ」と念じつつ三回呪ってから帰っていたら、「痛みがとまった」と電話があり、翌日は包帯して仕事に行けたと。
傷もわりと早く治って礼に来て、「奥さんのお呪いはほんとに効いて痛みがとまり、傷もおかげで早よう治った。ありがとう」と礼を述べられたと。
さてそのお呪いの呪文とは、
「猿沢の池のほとりのささの葉は、火焼き湯やきの薬となるぞや、あびらうんけんそわか」と、この呪文を三度唱えて、息を大きくフウー、フウー、フウーと三息吹き掛けながら、「七谷明神のお水を榊の葉で」焼け傷をしめして冷す。
お呪いとはまことに不思議、奇妙なことじゃが、飛び火も治し、火傷の痛みもとめて傷も早く治るが、文明が進んだ今日では次第に廃れていく。
(注)七谷の水を汲み取ることはなかなかに難しく、空谷を通り越してもいけないので、 台風か大雨のあげで、谷水が順な時に汲み取って神棚に祭って非常時に備えておく。
不思議なことに、このお水はいくら置いても腐ることはないと。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話
(一)飛び火の呪い
隣近所も少ない車道も狭い。お医者さんもいない。田舎の開けてない時代のいろいろな病気に対応する生活の知恵というか、病気をなおすために当時は手薬とお呪いがはばをきかしていた。
その中での一つ、「飛び火の呪い」と次の「火傷の呪い」について、大川村出身で市内で酒屋を営んでいる奥さんから聞いた話を書いてみます。
毎年といってよいほど、一、二歳の幼児に飛び火が発病し広がっていた。
山のおじいさんの呪いがきくというので、飛び火に罹った子供をおんぶして、若い母親が近在はじめ方々から来てお呪いをしてもらう。二、三度行って呪ってもらうところっと治る。不思議なこと。
私も長女と次の男子を呪ってもらい良くなりました。おじいさんは自分の子供がなかったので、親しかった私(酒屋の奥さんのこと)にひそかに伝授してくれました。
そのお呪いの方法と呪文は、
山から下へ流れた谷の水を、手を合わして拝み、破竹のささ葉で下むけに水をすくい、器に七度くみ、次の谷へ同じ手順で七つくむ。
次々と順に七谷の水を戴いて持ち帰った七、七、四十九滴のささ水は少ないので清浄な水をほんの少し足し水し、器の水をささ葉で飛び火の傷をしめしながら、
「七谷明神のあらたかい水じゃぞ、飛び火よ早よう鎮まれ、消え失せよ、あびらうんけんそわか」と三度唱えて息をフウー、フウー、フウーと三つ吹きかける。奇妙なお呪い。
三番目の男の子が飛び火に罹ったときは、習ったお呪いを私が唱えて治しました、と。
飛び火とは幼児の皮膚病の一種で、一度患うと免疫性になり後は罹らない。
(2)火傷の呪い
現代と違って昔は焚火が主で、竈やいろりで薪を燃やし煮炊きをし、寒さも焚火で暖をとるので火つつきが多かったせいで、いろりへ子供が手足を突っ込んだとか、くら湯の茶瓶や鍋をひっくり返し大火傷をした。注意をしていても火傷をすることが多かった。
つい誤って火傷をするとさあ大変。水で冷すがなかなかに火傷の痛みはとまらん。近所の爺さんが呪いを知っちゅう、早よう行って呪うてもらへ、と駆け付けたら丁度爺さんが居て、
「そりゃたまるか」言うて神棚に祭ってあったお水を杯に入れてきて、榊の葉をその水でぬらし、火傷した傷をピチャピチャと湿しながら、むにゃむにゃとお唱えして大きな息をプウー、プウーと三度吹き掛けて、
「どうじゃ、まだ痛むか」「ちょっとはましじゃが、まだ痛む」言うと、続けて三度呪ってくれた。それで不思議なことに痛みはとまったと。
この爺さんの火傷呪いはよう効くので、近在で火傷をしたら皆来て、呪うてもらっていた。爺さんは親しい私に、子やらいはいつ何どき子供が火傷をするかわからんけ、この呪いはよう効いて焼け傷も残らんけ、覚えちょけと伝授してくれました。
さて時は移り、四、五年前のことです。近くのお客さんで心安い方(年は五十歳前後の男)が茶瓶をつい引っくり返し、ふくらを大火傷してすぐ病院に駆け付け治療を受けましたが、なかなかに痛みがとまらず弱っていた。
ふといつかの話で私が火傷の呪いを知っていることを思い出して、電話で、「すまんが火傷が痛むので来て呪ってくれまいか」と連絡があったので行き、「私は爺さんに習ってから子供の小さい火傷は呪ったことはあるけど、こんな大きな火傷は初めてじゃ。効くかどうかわからんけど」言ってから、「早く痛みよとまれ、傷なおれ」と念じつつ三回呪ってから帰っていたら、「痛みがとまった」と電話があり、翌日は包帯して仕事に行けたと。
傷もわりと早く治って礼に来て、「奥さんのお呪いはほんとに効いて痛みがとまり、傷もおかげで早よう治った。ありがとう」と礼を述べられたと。
さてそのお呪いの呪文とは、
「猿沢の池のほとりのささの葉は、火焼き湯やきの薬となるぞや、あびらうんけんそわか」と、この呪文を三度唱えて、息を大きくフウー、フウー、フウーと三息吹き掛けながら、「七谷明神のお水を榊の葉で」焼け傷をしめして冷す。
お呪いとはまことに不思議、奇妙なことじゃが、飛び火も治し、火傷の痛みもとめて傷も早く治るが、文明が進んだ今日では次第に廃れていく。
(注)七谷の水を汲み取ることはなかなかに難しく、空谷を通り越してもいけないので、 台風か大雨のあげで、谷水が順な時に汲み取って神棚に祭って非常時に備えておく。
不思議なことに、このお水はいくら置いても腐ることはないと。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話