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三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さん 余談

2009-06-26 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
卯ヱ門さん 余談 

土佐の城主、山内のお殿様が三勤交替で、お江戸へのぼる時が来たら、家臣を江戸詰めとお留守居に二分するので、侍や郷士は少ないので、足軽や小者を募集した。

 今度のお上りでも、庄屋と名主のところへ、おふれが回った。 地区で人より相撲が強いとか、才知にたけて健康な者、人並み優れた剛の者で、三年間家のやりくりがつく者で、お江戸へ行きたい者は申し出るようにと、おふれが回って来た。

 卯エ門さん、家の暮らしもそう豊かでもないのに、一度お江戸を見たくて、立っても居てもいられず、子やらいの貞さんを言いくるめて、名主に申し出たら、卯エ門行ってくれるか、そうか、おらも鼻が高い、ゆうて名主さんは喜んだ。

 卯エ門さんは背はそう高くはないが、胸厚く横づちで頑丈な体で、相撲も力も強く、大石から土居に聞こえた豪傑じゃった。

 さて卯エ門さん、お供の役は足軽で、お殿様が力みと見世物に作った特別誂えの大筒(鉄砲)で、それを担いでノッシ、ノッシと、物珍しきをキョロキョロ見ながら、東海道を上り、江戸で三年過ごし、やっと帰って来たと。

 そのとき持ち帰った物は、貞さんへの木綿着物一反と、裏込めの種子島銃一丁じゃったと。
 その当時、鉄砲は誰でもは持てざった。それは非常のとき呼び出され、鉄砲撃ちとして戦に参加するとの条件があったのと、当時鉄砲は高価でもあった。

 卯エ門さん、三年間の奉公で得たものは、鉄砲一丁と着物一反じゃったと


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