お盆がやってきて、6月26日に逝ってしまった友人Nさんのお参りに行ってきました。
お花屋さんに「お供えですが かわいく かわいく作ってくださいね」
と お願いした花篭をだいて・・・
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4月も終わり頃だったと思う。
私はNさんから 「遊びに来てね」とお誘いを受けました。
友人2人と5月20日に Nさん宅に遊びに行く約束をし
その日をとても楽しみにしていました。
しかし、GWに帯状疱疹を発症してしまい、私だけ行くことができなくなってしまいました。
それをお電話でお伝えすると、元気な明るい声で
「ゴールデンウィークには 娘や孫と京都に行ってきたのよ。
随分歩いたし、長い階段も登ったけれど、行ってこれたわ~
たくさん写真をとってきたから 治ったら来てね」
と
昨年末 癌手術をしたことなど、忘れさせるような元気いっぱいの明るい声でした。
それから1ヵ月 私は体調も戻り
「元気になったよ~遊びに行くね~」そんなつもりで電話をしました。
電話にでた娘さんから、6月に入るとNさんは、体調が急変してしまい
重篤な状態であることを知らされました。
驚きと 会う機会を失ってしまった無念さに 、
ひたすら回復を祈り続けましたが
1週間後 Nさんは天に召されてしまいました。
通夜 お葬式と 棺の中に 穏やかな優しいほほ笑みを浮かべたNさんを
この目で確かに見、辛いお別れをしたのに
あれは 夢の中のできごとであったのではと ぼんやり思い続けたり
会う機会を失ってしまった悲しさ 悔しさに身悶えたり
帯状疱疹なんかにならなかったら・・・と 不運を嘆いたり
悲しみに混乱した日々が続きました。
通夜の日には 娘さんから
「〇〇さん・・・と うわごとで名前を 呼んでいました・・・会いたかったのでしょう」
と 聞かされた時 どうしようもない寂しさとともに
私の一方的な想いではなかったんだ・・・
気持ちは深いところで 通じあっていたんだと
心に温かなものが流れ、それは私をより一層深い悲しみに突き落としました。
Nさんと最後に会ったのは 今年の2月。
「命びろいをしたよ。顔を見せにきたわ」
そう言って
癌の手術から生還したことを 私に知らせに来てくれました。
「よかった! よかったねぇ うれしいわぁ~」
私は嬉しくて、病気やつれもない 肉付きの良い彼女の背中を 幾度も幾度も撫でました。
でも 本当は、喜びで抱きつきたかった! 思いきりハグしたかったのです。
なのに 8才年上のNさんを
日頃尊敬している先輩であるNさんを
ハグすることを ちょっと ためらってしまいました。
あの時 帰っていくNさんの後ろ姿を見送りながら、
追いかけてでも 抱きしめたい衝動をおさえました。
なにか、不思議でした。
会えなくなることを 体が知っていたのでしょうか
抱きしめなかった後悔が いつまでも心の底に塊として沈み込んでいました。
お盆の13日 私はお参りをし
祭壇の前で
「あの~ 抱かせていただいても いいでしょうか・・・」
おそるおそるお願いしました。
娘さんは 涙をためて
「ありがとう」と 私に骨壺を だかせてくださいました。
私は 骨壺を 抱きしめました。
温かな背中 優しい笑顔を思い出しながら
もう一度会いたかったよ・・・
私は骨壺をなで 抱きしめました。
落ち着いて、後日改めてコメントさせてくださね。
想い出を大切に・・・・
優しい人でした。私のピンチをいつも支え癒してくれた人でした。
妹が亡くなり悲嘆にくれていた時、巻紙で慰めの絵手紙を そっとポストに入れててくれるような人でした。残念です。