ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その2・「甘え」と秘密をめぐって

2024年03月26日 | 精神分析に学ぶ

 2022年夏のブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を久しぶりに再読しました。

 今回もいろいろなことが勉強になりました。

 特に今回、じーじが参考になったことは、「甘え」と秘密の関係と、自由連想についての考察。

 いずれも鋭いです。

 秘密の問題については、精神分析でいろいろな方が論じていますが、今回、藤山さんは、「はにかみ」と「甘え」いう現象を取り上げて説明をします。

 そして、おとなになるためには秘密が必要であり、それが「甘え」や「はにかみ」の世界に包まれるような関係が大切といいます(それで合っていると思うのですが、間違っていたら、ごめんなさい)。

 一方、自由連想。

 藤山さんは、自由連想は、単に自由に連想をすること、ではなく、自由に連想をしたことを語ること、に意味があるといいます。

 そして、患者さんが治療者に連想を語ることの一方、治療者は連想したことのすべてを語らず、もの想いすることの重要性を説きます。

 改めて、そう指摘をされると、本当に大事な点だな、と思います。

 まだまだ勉強不足で拙い理解だとは思いますが、さらに勉強を深めていきたいと思います。     (2022.8 記)

 

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原田マハ『丘の上の賢人-旅屋おかえり』2021・集英社文庫-ちからのあるいい小説です

2024年03月26日 | 小説を読む

 2022年3月のブログです

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 原田マハさんの『丘の上の賢人-旅屋おかえり』(2021・集英社文庫)を読む。

 小説、作り話とわかっていて読むが、いい物語で、いつの間にか涙がじわーんとなってしまう。

 じーじはいいかげん枯れはてた年寄りなので、もう水分なんてなくなってしまったかな(?)と思っていたが、不覚にもじわーんと涙が出てきてびっくりする(読んだあと、水分補給をしなければと(?)、あわててビールをたくさん呑んでしまった)。

 冗談はさておき、いい小説である。

 例によって、あらすじはあえて書かないが、依頼者にかわって旅をする主人公がすがすがしい。

 素直で、体当たりの行動が、周りの人々の感情を解きほぐしていく様子がすがすがしい。

 これは小説だ、こんな都合よくいかないだろう、こんなこと実際には起こるわけないだろう、と思いつつも、こころの深いところが温められるというか、癒されるというか…。

 やっぱり、いい小説だ、としかいいようがない。

 ここのところ、いろいろ嫌なことが重なって、こころが少しふさいでいたが、本書を読んで、こころが軽くなった。

 いい小説のちからはやはりすごいな、と再確認をする。

 ちからのある小説に出会えて、幸せだと思う。    (2022.3 記)

 

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藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年03月25日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2012年ころのブログです

     *   

 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。     (2012?記)

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 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

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梨木香歩『ぐるりのこと』2010・新潮文庫-内なる悪を見つめながら世界を見るエッセイ

2024年03月25日 | 随筆を読む

 2021年春のブログです

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 梨木香歩さんのエッセイ『ぐるりのこと』(2010・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 10年ぶりくらいでしょうか。

 小さな本ですが、なかみは重いです。

 あちこちを旅しながら、梨木さんにはめずらしく、たまに政治にも言及します。

 ひどい政治や社会を糾弾しますが、その時に自分の中にある同様のひどさをも必ず探る姿がとても印象的です。

 人は誰でも完全な存在ではないので、自分の内にもあるひどさや悪を見つめなければ、他人の行動をあれこれ非難しても片手落ちです。

 その往復作業はとても苦しいのですが、とても意味がありそうです。

 何か、たとえが適切かどうかはわかりませんが、精神分析の作業を思い起こします。

 精神分析は、患者さんの内なる攻撃性や破壊性を二人で探る作業だと思うからです。

 内なる攻撃性や破壊性に気づかないと、人はそれを外界に投影して、敵から攻撃をされるのではと不安になります。

 ですから、まずは内なる攻撃性や破壊性を意識化することが大切になります。

 それに似た作業をはからずも梨木さんが一人でされているような印象を受けました。

 いい文章や深い文章を書くことは、自己分析や自己洞察につながるゆえんでしょう。

 素敵なエッセイに再会できて幸せです。          (2021.3 記)

 

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土居健郎『甘え・病い・信仰』2001・創文社-甘え・うらみ・ねたみについて

2024年03月24日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2016年のブログです

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 土居健郎さんの『甘え・病い・信仰』(2001・創文社)を再読しました。 

 おそらく10年ぶりくらいだと思います。

 ずいぶんとご無沙汰してしまいました(土居さん、ごめんなさい)。

 今回読んでみてよかったのは、「甘え」と「うらみ」と「ねたみ」の関係がとてもよく理解できたことです(今ごろになってわかったのか、とあきれられそうですが…)。

 「うらみ」はじーじがずっと気になっているテーマの一つなのです。

 土居さんによれば、「甘え」が十分に満たされないと「うらみ」になるということで、「うらみ」のほかに、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」などという感情も「うらみ」に近いものだ、といいます。

 そして、これは、「甘え」が満たされない状態ではあるものの、いずれも「甘える」と「甘えられない」ということの間のどこかには位置するもののようです。

 一方、「ねたみ」ということは、「甘え」が全然ない状態で、憎しみだけでいっぱいの状態だと説明されます。

 こうなると「甘え」が通じにくく、その感情の解消にはかなりの心的作業を要することになりそうです。

 じーじなどは「うらみ」だけでもかなりてこずっていますが、さらに「ねたみ」という強敵がいることはまだまだ十分にはわかっていませんでした。

 いずれ、「ねたみ」の人との出会いもあるのだろうと思います(じつはもう会っているのかもしれませんが、気づけないでいるだけなのかもしれません)。

 少しでもいい援助ができるよう、今後も、さらに勉強を続けていきたいと思います。     (2016? 記)

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 2020年12月の追記です

 じーじが家裁調査官になった時、指導官のお一人だった山野保さんが、部屋のみなさんと一緒に「うらみ」の研究に取り組んでいらっしゃって、とても活発な議論がなされていたのを思い出します。

 新米だったじーじには、当時は、何が何だかわからない状態でしたが、貴重な思い出です。

 理論や研究は、やはり目の前の仕事にていねいに取り組むところから始まることを教わった気がします。    (2020. 12 記)

 

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いちご大福・女の子・メンデルの法則-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年03月24日 | じいじ日記を書く

 上の孫娘が8歳、下の孫娘が5歳の時の日記です

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 連休で孫娘たちが遊びに来てくれた。

 ふだんはばーばと二人っきりの静かな家の中が急に賑やかになる。

 今日は近くのイオンに買い物に行ってきたらしく、イオンのおもちゃ売り場の話をしてくれる。

 3時のおやつの時間、孫娘たちのママ(つまり、じーじとばーばの長女ですね)がおやつを持ってくる。

 いちご大福!

 孫娘たちはいちご大福が大好き。

 黙々と食べる。

 じつは、いちご大福、孫娘たちのママの大好物でもある。

 孫娘たちのママが小さい頃、保育園の帰りに近くのスーパーに買い物に寄ると、ふだんはおとなしい孫娘たちのママが、いちご大福!と叫んでいたのをつい昨日のように思い出す。

 イチゴ大福好き、の遺伝である。

 メンデルの法則は正解であった、とつくづく思う。

 科学のすごさ(?)に感心する。

 こうして、いちご大福の法則(?)も代々受け継がれていくのであろうか、と人間の不思議さ(?)に少しだけ感動をした一日だった。   (2019.2 記)

 

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松木邦裕『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』2016・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年03月23日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

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 松木邦裕さんの『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』(2016・創元社)を読みました。

 松木さんの研究会での講義や学会誌の論文などを集めた本ですが、充実した内容です。

 総論的な論文もありますが(少し難しいですが、とても勉強になります)、じーじが今回、特に勉強になったのが、「喪失ということ」と「不毛ということ」という文章。

 いろいろと考えさせられました。

 このところ、なぜか「対象喪失」のことを考えることが多いのですが(老人になったせいでしょうか)、やはり精神分析の中心テーマの一つだろうと改めて思います。

 老人だけでなく、若い人や子どもさんであっても、新しい出会いとともに対象喪失が常にあるんだろうなと思います。 

 そうして、うまく対象喪失をしていくこと、さらには、それを周囲からうまく支えてもらうことが、「育てられること-育つこと」なんだろうなと思います。

 まだまだ考えが深まっていませんが、そういったことを臨床をふまえながら、さらに考えていきたいなと思っています。

 また、「不毛ということ」については、松木さんがその反対のことを語っているこの文章を引用したいと思います。

 「こころは、こころで感知することしかできない。感知した痛みを通して“生きづらさ”を抱えたこころの本性を知るのである」

 こころの営みの大切さとすごさを語っていると思います。

 全編に松木さんの強い思いが感じられるいい本です。       (2016 記)

     *

 2023年3月の追記です

 最後の、こころで感知する、というところは、普通は、共感、という言葉が浮かびますが、ここではもっと深い営みである、投影同一化という言葉が思い浮かびます。

 治療者からの一方的な働きかけではなく、治療者と患者さんの双方による無意識の相互作用をいかに意識化して、コンテインしていくかということを述べておられるように感じます(合っているといいのですが…)。

 もっともっと勉強しなければなりません。    (2023.3 記)

 

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じーじ、図書館でシルクロード美人ちゃんに囲まれる!-じーじの2023北海道の旅・思い出篇

2024年03月23日 | ひとり旅で考える

 2023年の夏休みの思い出です(恐怖のあまり(?)、今頃思い出しました)

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 事件(?)はまたまた東川町の図書館で起きた。

 その日、いつもより遅くに図書館に行ったじーじ、ふだんお借りしている一人用の机が満席だったので、しかたなく四人用の机の端っこに小さくなって座る。

 しばらくすると、じーじの対角線の席にショートカットの美人ちゃんが座る。

 対角線で離れているので、美人恐怖症のじーじでもなんとか大丈夫(?)。

 さらに少しすると、その向かいの席(つまりじーじの横ですね)に、半そで、ショートパンツの美人ちゃんが座る。

 二人は図書館の隣りにある日本語学校の留学生さんらしく、アジア系の美人ちゃん。

 小さな声でお話をしているが、語学だけは苦手な(?)じーじにはさっぱりわからない。

 すると、今度は、じーじの向かいの席に、黒髪の美人ちゃんが来て、座り、二人となにやらお話をしている。

 シルクロードから来たようなすごい美人ちゃん。

 そういえば、図書館の壁に中央アジアのポスターが貼ってあったなあ、と思い出す。

 シルクロードの国からも留学生が来ているらしい。

 と、ここで気がついた。

 じーじ、三人の美人ちゃんに囲まれている!

 じーじ、ピンチ!

 パソコン作業に集中しようとするが、パソコンの画面あたりにシルクロードの美人ちゃんが目に入って、集中できない。

 じーじ、ピンチ!

 その後の記憶はたしかではない。

 気がついたら、駐車場に停めてあったタントくんの中でぜーぜーいっていた。

 東川町の図書館は国際化が進んでいて、美人ちゃんがたくさんいていいのだが、美人恐怖症のじーじには危険だ。

 明日は朝一番に来て、一人用の机をゲットしようと固く決意をするじーじであった。    (2024.3 記)

 

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藤山直樹『落語の国の精神分析』2012・みすず書房-藤山直樹さん版・精神分析入門を読む

2024年03月22日 | 精神分析に学ぶ

 2016年ころのブログです

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 藤山直樹さんの『落語の国の精神分析』(2012・みすず書房)を再読しました。

 2012年に一度読んでブログを書いていますから(すみません、なぜか(?)消えてしまいました)、おそらく今回が2回目の再読です(たぶん?)。

 実はこの間に1回読んだような気もするのですが、記憶があいまいではっきりしません(藤山さん、ごめんなさい)。

 しかし、やはりとても面白かったです。

 そして、いい本です。

 前回のブログで、

 「藤山さんの精神分析の概念の説明がとてもすばらしいです。

  特に、エディプスコンプレックスの説明は、じーじがこれまでにいろいろ読んだり、聞いたりした中で、一番わかりやすい説明だと思いました。

  ほかの概念の説明も、とてもわかりやすく、しかも、レベルは高い水準をキープしているところがすごいと思いました。

  藤山さんには『集中講義・精神分析』(上・下、岩崎学術出版社)という本がすでにありますが(ブログがありますので、よかったら読んでみてください)、この『落語の国の精神分析』は藤山直樹さん版・精神分析入門と言ってもいいのではないかと思いました」

と書いたのですが、この印象は今回も変わりません。

 精神分析の考え方をおさらいし、さらには、最新の精神分析の考え方を藤山直樹さん流にわかりやすく、かつ、深く展開しているように思われます。 

 そんな中で今回、じーじが学んだのは、エディプスコンプレックスが死と密接な関係にあるという点。 

 ここは前回、まったくつかめていなかったのですが、とても大切なことと感じました。

 子どもが父親を認めることは、父親がいずれ死んでしまう存在であるということに気づくことだという考え、ここは斬新な印象を受けました。

 もう少し考えてみたいと思っています。

 他にも、自分は自分でいい、とか、今言ってもわからないことは言わない、とか、好きなものに打ち込めることだけでいい、とか、大切な言葉が出てきていました。

 今後も、もっともっと、読み込んでいこうと思いました。    (2016?記)

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 2022年2月の追記です

 今言ってもわからないことは言わない、というところは、わからないことに耐える、ことと関係しそうですね。    (2022.2 記)

 

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宮城・福島の津波浸水地域をタントくんと南下しました-じーじの2023東北の旅・4

2024年03月22日 | ひとり旅で考える

 2023年6月のブログです

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 昨日は宮城と福島の海岸線をタントくんと南下した。

 宮城と福島の海岸線は岩手とは違って平らなので、高い防潮堤はあまりないが、かなり内陸部まで津波の浸水地域が広がっていて、国道6号線などもあちこちに津波浸水地域という表示がある。

 そういえば、震災の時に、後輩の調査官が福島の新地という町に出張をしていて、地震にあい、歩いて避難をしているときに、たまたま通りかかった車に乗せてもらって、津波から逃げられて助かったという話を聞いたことがある。

 新地の被害状況はテレビなどで見ていたので、調査官の仕事も命がけなんだなあと改めて思ったりする。

 今、宮城や福島の海岸線は、田んぼが新しくなったり、常磐線の沿線が整備されたりしている。

 距離をかせいで津波を防ごうとしているらしく、高い防潮堤は少ないが、自然を活かした対策のように素人の目には映る。

 自然を残せるなら、それにこしたことはないように思う。

 しかし、原発の周辺は、やはり放射能による帰還困難地域で、それもままならない。

 便利さと自然の両立は難しいなあ、などと考えながら新潟に向かう。    (2023.6 記)

 

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