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華氷~はなごおり~

氷上に咲く花・・・フィギュアスケート。
ここは、そんなスケーター達にエールを送るブログです。(でも、時々脱線話もアリ)

ピート・バーンズ考 1986~1987

2009-06-01 02:42:02 | ピート・バーンズ
続いては、いよいよ1986~1987年のピート様。



いや~~、お美しい

溜息が出ますよね~。

私はこの時のピートの顔が一番両性具有を体現してて好きですね!
(つくづく思うに、なんでここまでで満足出来なかったんだろーなぁ)

この時期がDOAとしての絶頂期であり、安定期でもありました。
そして、日本に来日し出すのもこの頃です。

前述のように、ビジュアル的には彼の美貌はより中性化していき、徐々に、ピート曰く「アルバムや僕の“ユーモアのセンス”をアピール」していきだす時期でもあります。


その、ある種過激なアピールを盛り込んで本国からそっぽを向かれることになったPVもさることながら、
1987年に行われた“Rip it up”ジャパンツアーのことについても是非取り上げるべきだと思っているので、ここでは私の語りもより饒舌になることでしょう(^_^;)


それくらい彼のこの時期のオーラとアブナさはハンパなかった!!


サード・アルバムはこれ。
『Mad,Bad,and Dengerous To Know』
邦題『ブランド・ニュー・ラバー』
               

この中からシングルカットされた曲は5曲。

①Brand new lover
②I'll save you all my kisses
③Son of a gun
④Something in my house
⑤Hooked on love

どれもジャパンライヴで披露された曲であり、その一つ一つが完成度が高くサウンドにしてもピートのヴォーカルにしても一切妥協のない作りで、聴いている私達の興奮度をMAXにしてくれるラインナップです。

前回の『YOUTHQUAKE』と違うところは、よりポップに聴きやすくなったにも関わらず、音の作り的にはベースのエレクトロニック・サウンドに更にアレンジを加え、ギターの音を利かせてよりハードにきらびやかに、重厚感が増したところでしょうか。

それでも並みのヴォーカリストならその音に負けてしまいそうなのに、ピートの場合負けるどころか、更にすごみと迫力が倍増している!


特に拍車がかかるのが、『Rip it up』のノンストップアルバムとライヴ映像で、

これは家で聴いてても、頭が自然にシェイクして口が勝手に歌を後追いし(ピートほどの声量は出ないまでも)、その内肉体が我慢出来ずに動き出す。
(ただし、食事時のBGMには絶対しないよーに!胃までシェイクしますからね~笑)

それはさながら音の洪水に身を浸しつつ徐々に我を失っていくよーな、えもいわれぬ快感を引きずり出し、そして、一旦そうなったらもう、頭をからっぽにして何も考えずにただ音に身をゆだねる心地よさと爽快感を味わうのみ。

叫び、踊ることの根源的欲求を満たし、自我を放出し、恍惚の世界へといざなってくれる、
そんな力を持った曲はそうそうないのではないでしょうか。


そして、ライヴでは、もう一つ、ピートが私達にあけすけに、しかもかなり乱暴に見せつけてくれたものがあります。


それは“SEX(性)”

                


あれを観た人なら絶対わかると思いますが、

“美”と“愛”と“性”は、

きっとピートにとっては、自己の人生において切り離せない三位一体のものだったんでしょうなぁ。



ま、そのことについてはまたおいおい語っていきますが。


ともあれ、最初はPVです。


ここで、前回のエントリーでわざと紹介しなかった曲があります。

『My heart goes bang』

これは『YOUTHQUAKE』の中に入っていながらピートのビジュアルがまた変化する狭間の曲だったので、あえてこちらに持ってきました。

上記の画像を見てもらってもわかる通り、
アイパッチが取れ、ヘアスタイルもボリュームダウンし7:3分けのやや自然なスタイルに。
表情もぐっと柔らかく華やかになりましたねー

そして、鋲や(ミラーまで!)を沢山ほどこしたライダージャケットにデニムスタイル(のちにボトムはスパッツに、ライヴではナントTバック!!!!)がしばらく続くようになります。

これ、ふつーの男が着たらただむさい感じになるだけなのに、
(ま、ワイルドさはアピール出来るでしょうが)
ピート様が着るとがぜん艶やかになりますよね~~~(*^_^*)


私はこの『My heart~』の曲の初めからノリノリになれるビート感と、『YOUTHQUKE』の中の『Cake and eat it』もそうでしたけど、韻を踏んだ詩を滑らかな滑舌で畳みかけるよーに歌うピートの弾丸ヴォーカルがめっちゃゾクゾクして大好きなんですが、
アルバムではもーちょいゆっくりした曲の運びで、きっと途中からテンポを変えたんでしょうね。
そのアップテンポバージョンの初披露ライヴ(?)のよーな映像が残ってて、

それを見た時、
今まで漠然と思ってただけなのに、ハッと確信してしまったことが一つあるんですよ!!



それは、

ピートは元々そんなにダンスが上手じゃないってこと!!!

ガ~~~~ン



き、気付きたくなかった・・・


思えば『You spin~』や『Lover comback~』のPVやTVライヴ映像見た時も何となーーーく感じてはいたんですが、


い、いや!

つーか、あれはあ

もうすっかり仕草はおネエなのに、無理やり男くさく踊ろうとしてわざと足を大股開きしてみたり、ケツをパンパンやったからアラが目立っただけであって、
ホントはもちっとマシにリズムを取れるお人だと思うんですよね


だから、決して天然でヘタクソなわけでは・・・

あうう~



だって、『Come home (with my baby)』のPVなんかは(きっとものすごーーーく練習したんでしょう)めっちゃカッコよく踊れてるんですから!!!!

(ちなみにライヴでは男臭く見せてた踊りがPVでは一転おネェらしい仕草に戻ってます)



ま~、

にしてもあれは失笑モンでした(ごめ~~ん、ピート様



でも、ここで名誉回復のために少しつけ加えると、
ピート様の踊りは確かにそんなに上手くはないんだけど、なんてゆーか、独特の色気があって見る人を惹きつける何かがありますよね。

『Brand new lover』もその一つで、これなんか珍しく貴公子サマみたいなまともな服着ててすっげー華奢なのに、
(も、わたしゃーこれだけでなんかミョーに興奮しちゃいます
アフリカーンなお面がいっぱい飾ってある馬場の中、腰をクネクネしちゃったり、足で地面を叩きつけるようにステップを踏んだり、フラメンコのように手を頭上で叩いたり、動作としては全然目新しくも何ともないけど、
そこにぶつけられる彼の“火”のようなエネルギーの放出に思わず目を奪われそこから目が離せなくなるんですよ。

この美しくて熱い生き物は何!?

って。


だからねー、映像は困ります。

動いてるピート様は殺人的なオーラ放ってますから


も、それだけで並のダンサーよりはずっとアピールしてますよね。


しかも、大した意味はないんだろーけど、『My heart goes~』にしても『Brand new~』にしても、馬やバイクにただ跨ってるだけってーのがまたミョーにエロかったりするし(*^_^*;)


とにかくこの時期からのPVは明らかにピート様、フェロモンむんむんで(でもどっちの!?)
今までは歌詞の中だけで表現するにとどまっていた“SEX”というをモチーフを、あえて自ら確信的に視覚化していきます。

それでぶっ飛んだのが、これ。

『I'll save you all my kisses』

遠い記憶をたどれば、何故かこれだけは鮮明に覚えてる、
当時リアルタイムで観ても赤面ものだったこのPVの中のピート様はライダージャケットにスパッツ姿。


・・・だけでは物足らず、なんと股間にキラキラ光る貞操帯を身につけておられました(爆)!!


あ~れ~~~~(>O<)

しかも自らを檻の中の獲物よろしく金網の向こうでクネクネ挑発的に体をくゆらせ、そこに獣のよーな逞しい男性軍がやってきて、網の上からシャツを引き裂き、咆えながら虎視眈眈と狙ってるとゆー――、



そーゆー絵に見えたのは私だけ!?!?


いやいや、そーではあるまい。

あのピート様はまさしく、彼らにとっての“美しき勝利の獲物”であった。


で、更にそこでピート様がやったパフォーマンスで天地がひっくり返ったのが、かの有名なベルトダンス!!!



・・・も、このダンスの気恥ずかしさとゆーかいたたまれなさは映像を見ていただければ一番ダイレクトに伝わる筈(^_^;)
(のちにこれはより発展し、ピートが脇に従えた2人の男性ダンサーに受け継がれ、ライヴでのちょっとお下劣パフォーマンスへと変貌してゆきますのアハハハ~~←こ、壊れてる


ま、でも、
正にこーゆーところがピートらしいっちゃあらしいんですけれども、

では、果たしてこのPVで彼の意向はどこまで取り入れられていたのか?

DVDのライナー・ノーツの中で彼は今までのPV作成にあたって、「“ヒット”を出すことに夢中で“ディテール”にはこだわっていなかった」と言っていますが、
その“ディテール”とは一体なんのことだったのか。

更に、本国からそっぽを向かれた“表現”とは!?


それを解き明かすには、次のもう一つのPVを観ることが必要でしょう。

(あ、それからこれは余談ですが、このPVからしばらく、彼の瞳の色が変わります。
ダークブラウンアイズだったのがブルーアイズに。
おそらくカラコンでしょうが、この時代に既にこーゆーことしてたなんて、ピートってばやっぱり先駆的ですよね~~。
この瞳の色だけで顔の華やかさがだいぶ違いますもん


彼が先述の「アルバムや僕の“ユーモアのセンス”をアピールしたい」と思うようになったのは『Somethig in my house』あたりから。


なるほど、これ、歌詞だけ読むとロマンティック・ホラーみたいですごく切なくて、ピートが「映像を通じて自分を“表現”してみたい」と思うようになったのもうなずけます。

今までのPVとは一線画してお金かけてるし、映像も作り込んであって見応えあり!
な出来栄えで、

特にピート様の凄絶で冷淡なほどの美しさといったら、もう!!


それはさながら、ロマンティックならぬゴシック・ホラーの中から抜け出てきたような、
悪魔に魅入られた美貌の貴族かはたまたその悪魔そのもののような、
華麗で猟奇的で我儘で、悩ましくも狂気じみた夜ごとの祭典に興じる半人半魔。

この世ならぬ幻想の世界に一歩でも足を踏み入れたなら、決して出られることなくその美貌の主人に生涯使えるのみ・・・。

ああ~~~、

それ、いいなぁ~~~(>▽<)!!
(って、私、今回何べんこーやって身もだえしてんだろ


まぁ、そんくらい、このPVのピート様は鬼気迫る美しさと怒りに満ちたストレスを発散してるわけなんですが、
今観るとその画面に釘付けになるほどの美しさに見とれはしても、別に放送コードに引っ掛かるよーな大それたことはしていないよーな!?!?
(テーブルの上に足を乗っけてバタバタ駄々こねてるとこか??
それとも一度お口に入れた食べ物を吹いてるとこか???)

と思ったら、なんとPVの冒頭でバナナの皮をむいてるとこや画面に向かってウインクしてるとこがイカンかったらしい!
(ちなみにピートのウインクは絶品)



なぜじゃ~~~(>ф<)!!


そんなコト言ったらベルトダンスや貞操帯の方が遥かにイカンだろが~~~~!!!



いや、多分、やっぱりそっちもイカンかったんでしょう。
(アレが彼のアイディアかどうかは別にして・・・う~ん、でもそうだと思う

ピート曰く、「僕たちのビデオ・クリップはテレビであまり放送されなかったらしい。むしろ、殆ど放送されなかった作品もある」そうですから



ここまで来ればわかると思います。

つまり、彼の表現したい“ユーモア=性的表現”は、
かの国、それこそピートのような人物を産んだイギリスの“良識”にとっては、もっとも相応しくないものであったということが――。
(って言っても、上記二つのPV以外は全然ふつーのビデオなんですけどねー)

ディテール(細部)にこだわることをしてこなかったというのは、「この表現で大丈夫か?世間のご機嫌を損ねないか?」ということに常に細心の注意を払ってこなかったということ。

そこに失敗したため、ピートはそれ以降本国では“ジョーク”の対象でしかなくなってしまった。

ただでさえ、彼のような見た目的に曖昧な性を持った人間はかの国では生きにくいというのに・・・。
(ヴェルレーヌがランボーとの発砲事件の後やられた肛門検査をピートも13歳の時に受けている、そんな国ですからね~)


そーゆー扱いに嫌気がさしたピートは、もう、この頃だいぶモチベーションが落ちてたみたいです。

次にリリースされたPV『Hooked on love』では今までのPV映像を繋ぎ合わせ、おそらくサイレントムービー時代のチープなファンタジックホラーみたいな映像を挿入しただけの明らかに手抜き!?と思われても仕方がない作りをしていて、

「あー、やっ気ねぇ~~( 一一)」

って言うピートの声が今にも聞こえてきそう(苦笑)


曲は好きなだけにねー、すごく残念


まぁ、半分ふざけながら作ったビデオの方が受けて、自分が表現しようとアイディアを盛り込んだ方のビデオがそっぽ向かれりゃあ、誰だってやる気なくしますわな(^_^;)




ところが、

そんな本国イギリスでは下り坂にあったDOAを、まるで熱病にでも罹ったかのように熱狂的かつ狂信的に迎えた国がありました。


その国の名はJAPAN。


曖昧なもの、いびつなものを愛する極東の島国でした・・・。

ピート・バーンズ考 1982~1985 続き

2009-05-28 23:37:25 | ピート・バーンズ
『YOUTHQUAKE』は1985年、DOAの2枚目のアルバムとしてリリースされました。

                

写真、小さくってスイマセン


もう、このアルバムに関しては私のよーな素人があれこれ言わずとも、世間の評価を見れば一目瞭然。
エレクトロニック感あふれる明快でオシャレなサウンドに、ワイルドで重厚感たっぷりのピートの声が見事にマッチして作り上げたユーロビートの金字塔。

DOAの初ヒットアルバムにして彼らの代表作になった作品です。

でも、ピートに言わせれば最初のシングルカット『You spin me round』のPVを作った時は、まさかこれがヒットするなんて誰も思わなかったそう。
(なので、半分ふざけながら作ったんだとか。
その肩の抜き加減が返って良かったんでしょうね。このPV、ピートのビジュアルもさることながら、とても印象深い画(え)が沢山ありますもん)

この中からカットされた曲は以下の通り。

①You spin me round(like a record)
②In too deep
③Lover comeback to me
④My heart goes bang

曲はもうみんなお馴染みですが、このアルバムはシングルカットされなかった曲もそれぞれ個性的だし、ピートのちょっとクセのある声質が最大限生かされてる感じがして一度聴いたら忘れられない曲ばかりで、
私個人的にはDOAのアルバムの中では一番聴きごたえがあって好きです。

曲の洗練度と完成度では3枚目の『Mad,Bad,and Dangerous To Know』が一番でしょうけどね。


そして、ここを境にピートのビジュアルが一変します。

あの、例のアイパッチです。

             


髪もその前まではワンレンの茶髪だったのを黒に染め直し、全方位型のソバージュヘアに。
これがまた似合ってましたね~~

ワルそうで、一筋縄ではいかなさそうな反逆児っぽいニオイがぷんぷんして、すごいインパクト!

大体、アイパッチしても片目だけで尚強く惹きつけられるあの目は一体何なんでしょ!?

(でも、ここでちょっと疑問なのが、ピートの元々の髪の色は何色だったのか!?とゆーこと。
黒い印象のが強いピートですけど、脇毛の色や髪の生え際の色なんか見るとちょっと茶色っぽいので、おそらくダークブラウン辺りの色だったのかなーと。

――って、どーでもいいことですネ
シツレイしました~~~


服装もそれまでとはがらっと変わって、
マオカラーのオリエンタル風ロングジャケに同じ素材のワイドパンツ姿が定番に。

私、正直この頃のファッションは好みです。
それまでけっこー肌の露出の高い服ばっか着てただけに、ものによっちゃあすごくストイックな制服的な色気があって。
(特にTVライヴでオール白のこのデザインに黒いストールのようなものをたすき掛けにして歌ってる時のピート様、いいですねぇ~~
邪悪さと清潔さが混同していてみょーに色っぽかった

その頃のピンナップ集がこちら。

Pete Burns Pictures 1985

このスタイルはピートには珍しく『Lover comeback~』までの2年間続きます。
(もちろん他のスタイルもありましたけどね)


PVとして面白いのはやっぱり『You spin me round』でしょう。

ミラーボール片手に載せて、考え込んでいるよーな印象的なポーズから入り、
腰をゆる~くくねらせながら踊っていたかと思うと、突然タイ舞踊の踊り子の手がピートの背後から現れ千手観音ポーズを取ったり、メンバーが大きな旗振り回してたり、全身テープでぐるぐる巻きにされたりと、
何だかとてもフェティッシュ感漂う作りで(笑)

で、この時期はTVライヴの映像も結構残ってるんですけど、あれらはPVが出来る前のプロモーションで出てた頃のかなぁ。
全体的に踊りの型がまだ決まってなくて発展途上なピートの腰振り姿がちょっとザンネンではあるんですが、その代り彼の歌い方がぶっきらぼうとゆーか、すごーーく攻撃的でゾクゾクしちゃいます(>▽<)

気押されるっていうんですか?

彼の圧倒的なパワーの前にもう、ひれ伏すしかない!!って感じ。


まさにライオンの咆哮みたいな。

(あ、ちなみに彼の星座は私と同じ獅子座なんですよね~~
――って、またもやどうでもいいですが


うん、

彼って、

孤高の百獣の王そのものなのかも。


天上天下唯我独尊、One and Only。


それがピート・バーンズその人です。


で、私はそーゆー融通の利かないヤツが大好きなのだ~~~~~!!!



・・・いかん、

私まで咆えてしまった(^_^;)



話をPVに戻します。

『In too deep』はDOAの中では比較的作り込んであるビデオですね。

色セロファンのきらびやかさがちょっとチープな海中が設定で、
大きな貝が開き“ヴィーナス誕生”よろしくピート様が女の子座りしたまま出て来るのですが、
人魚がいたりブランコに乗ってたりそんなファンタジックな淡い色合いの中においても、やっぱり彼の個性はきょーれつ過ぎ(笑)

比べると『Lover comeback to me』はPVとしてはあまり面白味がないですねー。

音楽自体は畳みかけるような高揚感がどんどんクレッシェンドしてくから、これがディスコでかかった日にゃあ狂喜乱舞だっただろーなーと想像はつきますが。

ま、ピート様のどアップにひたすら見入るのが正しい鑑賞法でしょう



で、これらのPVを一通り観ていただければわかるように、
おそらくこの辺りで最初の整形をしたんではないか?と思われます。

小鼻の男性的な感じをすっきりさせ、顔をしかめると浮き上がってたおでこのシワを取り去る。

歯列矯正も合わせてやってた筈ですから、もう、これだけで随分顔立ちが変わりましたよね。
何より表情が明らかに生き生きとしてきて、より魅力的になりましたもん。



ここまでが、整形第一段階。

男性性を若干残した稀代のセックスシンボルは、この後自己の欲望のままに更なる変貌を遂げてゆくのです~~~。

ピート・バーンズ考 1982~1985

2009-05-27 23:32:20 | ピート・バーンズ
あれから毎日ずっーーーとピート様のDVDを観ていたら、
当時のアルバムに収録されている他の曲もまた聴きたくなってきてしまったので、amazonでCDを4枚買ってしまった。

なんつー衝動買い


いや~~、だってね、

大輔くんの演技もたいがいそうなんだけど、DOAのあのサウンドとピート様のあの声は中毒になるんですよ~~~。
(ちなみにピート様の普段の声も早口のバリトンでクセになります


――ということで、

前回のエントリーでは、ピート・バーンズのおおよそのプロフィールと、
Dead Or Aliveがブレイクしたその当時の私の時代背景を書きました。

そこで、今回はそれを踏まえて彼の活動した時期をおおよそ4つの時代に分け、
その時代ごとのリリース曲のコンセプトと感想、ピートの顔とファッションの変貌ぶりを暴いていきたいと思います(笑)

って言っても前にも書きましたが、あくまで私の主観と思い入れのみの文なので
例のごとく興味のない方はスルーしてくださいね~(^_^)



ピートがDead Or Alive(以下DOA)としてメジャー・デビューしたのは、1983年。

その前身はアルバムのライナー・ノーツや音楽サイトの記事によって書いてあることがビミョーに違うんですが、19歳の頃にはいくつかのバンドを転々としていて、その中の一つが『ミステリー・ガールズ』というバンドだったらしいです。
他にも『Nightmares in Wax』なる怪しい!?(笑)名前のバンドも経ているそうですが、この時のメンバーはピートが当時勤めていたレコード店の仕事仲間と同じく当時通っていたクラブの常連。
途中メンバー交代があったようで、最終的には同じリバプール育ち、同じ学校に通っていた、マイク(ドラムス)とティム(サックス、キーボード)とピートがジョイントし、後に彼の長年の恋人となるスティーブ(パーカッション)が参加します。

そして、インディーズから計3枚の(4枚と書いてあるところもあり)シングルを出し、この時バンド名をピート自ら変更。

DOAとしてのスタートがここから始まります。

でも、バンドの方向性としては当時まだパンクから派生して流行していたゴス系バンドとしての色合いの方が強く、この頃から既にユニセックスなメイクとファッションで目立っていたそう。


ただ、その目立ち方が・・・

YOUTUBEではおそらく『ミステリー・ガールズ』の頃のであろう動画も何曲かUPされていて、かなーり興味深く観たんですけど、
これ、彼の一番綺麗な時期しか見たことがない人にはちとショッキングかも知れません。
とゆーか、にわかには信じがたかった。
(ピート様、よくこのPVをDVDに収めたなぁ。そうでなかったら、未だに私は“これはピートぢゃない!!!”って否定してたと思う

『Flowers』という曲なんですがね。
(あえてUPはしないので、興味がある方は検索してみて!
多分別人だと思うでしょう

私も最初これを見た時は、初めの方だけ見てストップかけてしまった。



だって、そこに映っていたのは、ほら、ディズニー映画の『ノートルダムのせむし男』に出て来るあの有名なカジモド???(苦笑)
にそっくりな容貌とズタ袋のよーな地味~~な衣装を着て歌っているピート様の原型があったんですから





――う~~~~ん。


あれは・・・、よーするに・・・

ひとえにヘアスタイルとメイクと歯並びの悪さが諸悪の根源だったように思います。

ゴス系バンドだったから当然なんでしょうが、
この時のピートはおめめの周りをアイシャドウでパンダのごとく真っ黒に塗りたくっておりまして、おまけにこれまた真っ黒の縮れて使い古したモップのよーな髪を頭のてっぺんからつぶして乗せたよーなおかっぱスタイル

それに、これがなんと言っても致命的だった!


ピート様、歯並びすっげー悪かったんですねーーー。

向かって左前歯が右前歯より長めだし、顎が狭いからか両犬歯が大きくてガタガタな印象なんですよ。
(唇自体の形はいいのに~~)
本来欧米諸国は歯並びの綺麗さにこだわるから、ちゃんとしたとこの家なら歯にお金かけるのは当然のこと。
けれど、ピートが当時20歳前後(?)くらいであの状態まで来てしまったのは、まぁ、彼の家庭環境と早くに家出したことを考えれば仕方無かったのかも知れません。


でも、それにしても、あれはシャレにならんよ~~!!!

ゴス系だからって、あれじゃ、マジでホラー



そして、その人の声質と音の聞こえ方というのは、顎周辺の骨格と歯並びがかなり影響するんでしょうね。
この時のピートの声は野太いところはおんなじなんですけど、口の開きが悪いせいかややくぐもって聞こえます。
(思うにデビュー当初からしばらく、写真上で見るピートの表情がいつも口をつぐんだ仏頂面ばかりだったのはその性格もさることながら、人前で歯並びの悪さを見せたくなかったからかも)


・・・だからねー。

正直な話、元々の顔立ちは整っていたのかも知れないけど、
自伝やいろんな音楽サイトに書いてあったよーに、当時からユニセックスな風貌だっただの男に声をかけられただの読んでも、アレ見たらホントにそーだったのか!?
と、にわかには信じられなくなっちゃって(苦笑)



あ、でも!

目だけは変わってないかなぁ。

あの、人を射抜くような鋭い眼光と目の形の綺麗さ

ピートもそこだけはお気に入りだったんじゃないでしょうか。
今でも目はいじってないですもんね。


そして、この時代の彼のファッションや前述の容貌を一瞥出来るのがこれ。

Pete Burns Picture 1982-1984


素人さんの作成したスライドショーで、曲は『That's the Way(I like it)』

この方は1982~1984までを一区切りにして、他にも1985年バージョンと1986~1989バージョンを作っていますが、私的には1985年までを最初の一区切りとしたい。

何故なら、ピートが初めて整形したと公言しているのがこの年、'85年であり、
ここを境に彼の容貌や面相、ファッションが一度一息ついてるから。


以下、1986~1987、1988~1990、1991~

ってゆーのが、私の中の区分けかな。


とゆーことで、

ひとまず仮に、上記最初の時代をDOAの黎明期とでも命名しましょうか。

サブタイトルは“男性性の残り香”
(と言いつつ、性的には既にリンと出会った頃から正反対の方向に向かってたらしいですが

そして、DOAとしての初アルバムが『SOPHISTICATED BOOM BOOM』
邦題『美醜の館』(なんじゃそりゃ)


                  

このアルバムにはゴス系の曲はあまり含まれておらず、カテゴリーとしてはダンス・ミュージックになってます。

シングルカットされた曲でPVが残ってるのは、カット順に
①Misty circles
②I'd do anything
③That's the way(I like it)

PV的に面白かったのが、3番の『That's the way(I like it)』ですね。

曲自体は有名なKC&ザ・サンシャイン・バンドとゆーバンドのカバー曲で、知っている人も多い筈。
(多分スポーツクラブが舞台であろう)浴室の中で見事に鍛え上げられた肉体を披露する女性ボディビルダー陣の中に混じって、メイクしたあまりにも華奢な男性ヴォーカリスト=ピートが彼女らの間をぬうように徘徊し、自らもベンチプレスを持ち上げるとゆー、ちょっとシニカルでユーモアたっぷりのビデオでしたが、これはリンのアイディアが入ってるんだとか。

へぇ~~ですよね。

でもピートは、DVDの自ら書いたライナー・ノーツの中で今までのPVについて「『I'd do anything』以外は僕というアーチストが一体“誰”で“何”なのかをうまく描写していない」とのたまっていますけど、そーでもないよーな!?
現にこのPVを改めて観て、当時から(女性も含めた)性的マイノリティに対して擁護的な発言をしていた彼なので、この作りはさもありなんと思ってしまいましたから。

むしろ『I'd do~』の方が私的にはピートがただ歌っているだけなので、“誰”で“何”なのかわかりにくい(汗)


まー、彼の感性はふつーの人とは相容れない部分があるので、私ごときパンピーにはわかろう筈もありませんがねー(苦笑)

(余談ですが、最初から最後までころころ見かけが変わるピートに比べて、もしかしたら彼と並ばずDuran Duran辺りにいたら、自身も美形ミュージシャンとしてけっこー人気が出ていたかも知れないスティーブの、これまた最初から最後まで変わらないあの無表情っぷりに思いっ切り笑えてしまったのはこのPVです。
いや~~、スティーブって、昔からああだったのネ


そして、彼の最大の魅力の一つであるヴォーカルは、この時期はまだ男性的な低音を利かせた、ちょっと荒削りで泥臭いのが特徴的。

声質的にはディペッシュ・モードのデヴィッド・ガーンにも似てるけど、ピートの方がパンチが利いてるとゆーか、攻撃的、野性的かつパワフルかなー。

あと、何と言っても目力の強さ!!


これに尽きると思う。


時代が下るにつれてその目つきは段々女性らしく妖艶になってくるんだけども、
この時期は見せつけてやろう、目立ってやろうっていう上昇志向の表れか、ギラギラしてて猟奇的でまるで触れるもの全てに喰らいつきそうなぐらいとんがってて怖いくらい。
きっと、一度見たら絶対忘れられないだろうなーって思うほど、そんな強烈な目をしてます。

そして、ファッションに関して特筆すべきは『Misty circles』の中のピート様で、
この時の彼のファッションがどこかで見たことあると思ったらなんと、Culture Clubのボーイ・ジョージ!

               

この、彼のファッションの代名詞とも言える、大きなチューリップ型??(とでもゆーのだろーか)こーゆー帽子を常にかぶって、リボンを編み込んだドレッドヘアを揺らし、無国籍風なロングシャツにダボパンスタイルでがっつりメイク、
わたしゃーずっとボーイの専売特許だと思ってたんですが、
なんとこのPVの中ではピートもほぼ同じよーーな格好をしているのです!


これってパクリなんじゃ・・・。

そう思っても仕方がないくらいのかぶりっぷり
(ただし、肌の露出度は最初からピートの方が高い)

で、こっから先はあくまで憶測なんですが、一つの仮説を上げるとすると、
ピートが『You spin me round』で一躍UKポップス界のスターになってから、彼は常にマスコミにボーイと比べられるのをすごく嫌がっていました。

それって、多分、当時から自己のセクシャリティについて赤裸々に語っていたピートに比べてボーイはつい最近まで自分がゲイだってことを隠してたっいうエピソードからも推測出来るように、彼の信念とか信条からくるボーイとの違いをはっきりさせたかったってのもあると思うんですけど(私はこの頃リアルタイムではそんなピートに好感を持っていた)
もう一つ、この時期既に『君は完璧さ』などのヒットを飛ばしてその奇抜なスタイルと共に知名度を固めつつあったCulture Clubの後追いって感じで似たようなファッションに身を包んでいた自分が許せなかったってゆーのもあるのかなーーと。

ま、あくまで推測ですけどネ。

そうじゃなくても、彼の言動はいつも誤解と確執を生んでしまうほどストレートでナナメ上をいってましたから。


でも、上の動画を観ただけでもおおよそのスタイルはわかるとは思いますが、
この頃のピート様は(初動時のバンドにはありがちながらも)はっきり言ってまだ自己のイメージが確立してないのか、ビジュアル的にすごーーーく迷走してるんです。

上であれだけこじつけた(笑)ボーイ風のカッコをしてたのも実は『Misty~』の時だけ、
後は初期の頃のライヴ映像でゴスロリ風!?!?とも取れるフリルつきの白いAラインの短いワンピを着てたり、
(しかしこれは激しく似合ってなかったなーー
『That's the way』の時はまたがらっと髪型から変えてワンレンライオンヘアーにジャンプスーツのようなものや迷彩服やサングラスにランパン姿と、ここら辺りはちょっと男性寄り、
かと思えばふつーのスーツスタイルだったりして、まーー、とめどなく変化していきます。

メイクも常にしてるんだけど、これもゴス系メイクからいかにもの'80年代風メイクにアイラインだけちょっときつめな感じを経て、口紅だけ白っぽいものを塗ったりといろいろイロイロ。

ちなみにこの時期まではまだ歯並び悪いです(^_^;)
(でも、『That's the~』のPVでは前歯が綺麗に整ってたような気もするし、多分一本づつ矯正してってたんでしょう。『You spin~』の頃は見事に直ってました)

85年に整形したとゆーおでこのしわも『I'd do~』ではしっかり映っていて、
何だか少しづつ違和感あった自分の顔に手を入れ出してきてるのがこの時期ですねー。

対外的にはやっとクラブで盛り上がってたのがTVで取り上げられるようになり、アメリカツアーをし出した頃だから、本人的にも方向性が定まってなかったんでしょうなぁ。


とにかく、混沌(^_^;)


でも、彼自身はそんな自分の外見よりも、いいレコードを作って認識されたかったらしいので、案外固定したイメージはいらなかったのかも知れませんね。



知れば知るほど奥が深いピート様。


さて、次はいよいよ彼を一躍スターダムにのし上げた『You spin me round』の入ったアルバム、『Youthquake』について語ります。

ピート・バーンズ考 ~80年代を疾駆したエネルギーとエロティシズムの原点と行方~

2009-05-21 15:57:36 | ピート・バーンズ
Dead Or Alive――80年代中盤から後半にかけてのあの日本のバブル時代に、
洋楽シーンとディスコシーンを享受していた者なら誰でも知っているであろうこのUKバンドは、ほぼ一人の類いまれなカリスマ的パフォーマンスとパーソナリティーによってその名を轟かせていました。


その人の名は、ピート・バーンズ。

               

黒髪を逆立てたロングヘアーにアイパッチ。眼光鋭く、いかにもの反逆児的な口元。
これが、Dead Or Aliveを一躍スターダムにのし上げた当時の大ヒットシングル、『You spin me round』を生み出した頃の、彼の一般的に広く認知されてるビジュアルではないかと思います。

ネットサーフィンしていて見つけた彼の自叙伝を翻訳してくれていたブログを何件か読んだところによると、
(そう、ピート様は自身の半生を書いた本『Freak Unique』なるものを出版しているのですが、
ザンネンながらこれ、まだ日本語訳のものがなく英語難民な私にはすごーーーく興味があるものの手が出せないでいる
なので、そのブログ主の方々にはここで記事の内容を一部抜粋させていただくこと、お許し下さいませm(__)m)


ピートは1959年8月5日、イギリスはリバプールの近村で生まれた。

ドイツ人の母とユダヤ人の父の間に生まれた彼だが、
家族は英国印の子供が欲しくてヨーロッパから移住、しかし、元々お嬢様育ちだった母はその異国の地での生活になかなかなじめず長くアルコール依存症の精神疾患を患っていたそうな。
兄弟は11歳も年の離れた兄が一人。
その兄の影響で60年代の音楽にとても詳しくなった。
でも、実際に彼を虜にしたのはアメリカの女優や歌手だったらしい。
(ここら辺に彼の整形マニアへと向かわせたルーツがあるように思いますが、詳しい考察はまた後ほど)

生活環境は母親がそんなでしたから、かなり悪く、
父も働き者ではあったものの愛する妻の現実が受け入れられられなくて半ば放棄、当時はユダヤ人に対する迫害もまだきつかったらしいです。
なので、専らピートがいつも依存症から来る母の奇行を気にしながら彼女の世話をして暮らしていたそう。

そして、やはりと言おうか何と言おうか、彼は学校にはなじめずの登校拒否児。

10代の頃から髪を染め、眉毛を剃って奇抜なファッションに身をつつみ、同級生の男から声をかけられることもあったが、13歳の頃に村で有名な30代のハードゲイの男と知り合い、それがきっかけでゲイクラブに出入りするようになった。


――と、

この後自叙伝はそのハードゲイの男にレイプされたこととか、学校をやめて働き出したロンドンの美容院でこののち25年間も連れ添うことになる運命の女性、リンと出会ったことなどの話へ展開していくものの、
ま、彼のプロフィールについてはこの辺で一旦おいときます。


で、今回のエントリーで私が何を書きたいかとゆーと、
ピート・バーンズの容貌とバンドとしての変遷、そして日本と私個人との繋がり。

これを曲のリリース順に時代別にひも解いていきたいと思っているのですが、


あ~、何でしょうねぇ・・・。


自分でも今、なんでここまで彼についてこんなに知りたい書きたい欲求と衝動に駆られているのかちとナゾなんですよ

きっかけは、ジョニちゃんの新EX『Poker Face』。
それによってピート様含む80年代の私のルーツが呼びさまされ、
で、例の世界仰天ニュースに繋がるわけなんですが・・・。


多分共通項は”自分探し”



――ということで、

それを解き進めていくには、まずここで、私の当時のことをお話しなければなりますまい。

ここまで読んでこられて興味を持たれた方には、少し退屈ではあるかもですが、
しばらくお付き合いを。




1980年代――、

この時代は日本にとっても私にとっても、ちょっと特別な時代であったように思います。


上記『You spin~』がシングルカットされた1984年、私はちょうど高校生で何を隠そういっちゃん多感なお年頃でございました。
ゆるい友達仲間と常時5人ほどでつるんでおりましたが、特に共通項で盛り上がった友達が2人おりまして、話題は専ら音楽と漫画が中心。
それも、UKポップスと白泉社の漫画とくればもう、わかる人にはわかる筈

漫画はあの当時、白泉社がそれまで人気のあった別マやフレンドと言った少女漫画の王道から一線画した少年を主人公とする物語を多く輩出していて、
その王道路線にからっきしなじめなかった私に新しい世界を見せてくれた超バイブルでした。

山岸涼子の『日出処の天子』や、成田美奈子の『エイリアンストリート』、森川久美の『南京路に花吹雪』、青池保子の『エロイカより愛をこめて』、『パタリロ』、『マルチェロ物語(ストーリア)』などなど・・・。


そして、そのキーワードと言っていいのが、“美少年”!!!


そう、

その当時の私達はほぼこの一点のみを追求して盛り上がっておったのです(~_~;)!!

だから、当然音楽では既にその頃グラム・ロックで揺るぎない地位を確立した感があったD・ボウイにJapanのデヴィシルことデヴィッド・シィルヴィアンが大好きだった早熟のオンナ友達の影響を見事被り、そこから派生したDuran Duran、Culture Clubなどのニューロマ路線が私を含むその3人の友達の間でまたたく間に広まりました。

以降、メジャーどころではA-haにワム!、トンプソン・ツインズ、カジャグーグー、ペットショップ・ボーイズ、U2など(U2は美少年のカテからは外れてたんですけど、何せボノの声と楽曲がとにかく良かった!!)
マイナーなところでは、ユーリズミックス(これはヴォーカルは女性。アニー・レノックスのベリーショートで男装して歌うクールサウンドにシビれたぁ~~
――って、ここら辺やっぱり倒錯が激しいですなー
なんせあの当時のUKはこんなんばっかでしたからね)
あとは、ポリス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、エコバニ、スタイル・カウンシル、ディペッシュ・モード、ザ・スミス、ティアーズ・フォー・フィアーズなどなど。

あー、あと超マイナーなキュアー(これ、知ってる人いるかしらん!?)なんかも友達の影響で聞いたなぁ。

ロバート・スミス、今にして思えばビジュアル的にも声的にもピート様のかなりナナメ上をいってたよーな気がするわ


で、そこに時々ボンジョビとか、ヴァン・ヘイレンとかマドンナとかアメリカものも入っては来てたんですが、
基本はなんせビジュアル的に勝るUKバンド。


まー、あの頃は、日本の文化史的にも、某県の超ド田舎育ちの私的にもファッションと音楽、映画の最先端はほとんどロンドン発かハリウッド発でしたからね。

それもむべなるかなって感じかなー。

専門誌だって今みたいにネットが普及する遥か以前のお話だから、既に廃刊の憂き目に合っているものもあるものの、音楽では『ミュージックライフ』か『ロッキンf』、映画なら『ロードショー』か『スクリーン』がそれぞれ当時の2大雑誌で、
も、そんぐらいしか情報を得るものがなかったです。


それをむさぼり読んでいたのが、あの頃の私達の世代ですなーーー(-。-)y-゜゜゜

と、遠い眼をしてしばし懐かしむ(笑)



Dead Or Aliveはそんな数多あるUKバンドの一つだったわけで、
しかし、ここであえて誤解を恐れず言ってしまうと、

実は私、その当時はピート・バーンズよりボーイ・ジョージの方が好きだった(爆)

                 
                  
写真、デカくてスイマセン
(このエントリーの主人公よりデカくなってしまったわ


でも、キレイでしょ??

彼も、この頃が文字通り一番光り輝いておりました。



年齢はピートの方がボーイ・ジョージより2歳ぐらい上なんですけどね、
キャリアで言えば日本でも爆発的ヒットとなった『カーマ・カメレオン』がリリースされたのが1983年。
その前の1982年に既に『君は完璧さ』で全英1位・全米2位を獲得していて、その後リリースされた『Time』も連続ヒットしていたから、知名度としてはボーイ・ジョージ率いるCulture Clubのがはるかに上、
(おまけに1984年にはグラミー賞の最優秀新人賞まで受賞してます)
じゃあ、一体その頃のピート様は何をしておったかというと、もちろんDead Or Alive(以下DOA)として活動してたんだけど、
まだ、最初のアルバムを発表したばかりで、その中の『Misty circles』が注目を集め始めたばかりだったよう。

それでも、そのパンチのある歌声とかなり目をひくスタイルでけっこー話題にはなっておったらしいですが。

ただねー、

その頃のピートのそれこそ外見が、私好みではなかったわけですよ。


当時のピート様

               

ま、これはまだ美しい方ですネ。

でも、当時雑誌で出て来たばかりのピートのおさしんとゆーと、このワンレンのライオンヘアーに、メイクはしているもののどちらかといえばその容貌は野性的なオトコ臭がしてたし、
ファッションもサングラスに迷彩服着てたり、白のランニング(のようなふわっとしたよーわからんカットソー)にこらまた白パンツ一丁(!)で白いスニーカーのようなものを履いてたりと、インパクトは相当あったものの、
どーーーーも私の好きだった耽美系とはかけはなれておったんでしょうなぁ。

なので、ボーイのあの妥協のないばっちりフルメイクと、無国籍風なカーマお衣装姿を初見した時、
それこそ私は漫画の中の世界のいわゆる厩戸王子やシャールやマルチェロのような“女とみまがうばかりの美少年”(いや正しくは美青年か!?)に目が釘付けになってしまったのです(苦笑)

もちろん、彼の音楽も好きだったけど。


そんなだったから、高校時代はボーイ・ジョージ一直線。

バカですよね~~。
今にして思えばその後DOAの音楽も聴きまくっていたにも関わらず、その後一番ピート様が魅惑の変貌をとげるバブリー絶頂期に私は高校後卒業・就職と人生の岐路を歩きだしていたため、肝心のリアルピート様のお姿を見て来なかったんですよ。


あー、もったいない(~_~;)

ちなみにその絶頂期のピート様

                

才能の片鱗は感じてたのにねー。


あの低音で重厚感のある歌声。

細身の体から発せられるとは思えないほどのパワーあふれるピートの声量は、のちのユーロビートと称されるシンセを駆使したハイエナジーサウンドと合わさると、えもいわれぬ高揚感と突き抜けるような興奮、“踊る”ことへの根源的な欲求を呼び覚まして、一度聴くと何度も何度も繰り返し聴きたくなってくる。

終わりのないグルーブ感。


そして、もう一つ、彼の周りで常に物議をかもしてきた、ジェンダーへのこだわり。


あの頃はまだ、それが何物なのかわからないまま過ごしてきてしまったけど、

今は、こうしてネットでいろいろな情報や動画を再検証しながら、当時の彼の姿を探ることが出来ますもんね。



――ということで、

ちょっと長くなってしまったので、ここからの続きは次回に回します。


いよいよピートの美貌とDOAの変遷を追っていきますよ~~