Twitterに強姦罪についてのあれこれを沢山書いたのでブログにもまとめておきます。
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強姦罪改正議論は大詰め。世論はそう盛り上がっていないけれども。110年ぶりの改正、ということを考えてみてほしい。110年前の法律と、なぜ、そう変更点のない改正なんだろうな。
強姦罪が、強制性交等罪に変更されるという話だ。
日本はレイプに性交という定義付けをする国になる。私たちはレイプはセックスではないということをずっと言ってきた。暴力だと。でも、法律が言ってしまう。最悪なこと。なんとかやめてほしい。
レイプに手指器具挿入が入らないのもやはりおかしい。
目隠しをして挿入されたら?無感覚症状あったら?相手がいう「性器が器具か」のみで罪名が変わり量刑も変わると?
ふざけるな、と言いたい。
なぜ、こんな単純なことを話すのに、こうも理解が広がらないのだろう。
昔は法律は専門家が作るものだと思っていた。法律は素人が作るのだと今は思う。
レイプに性交概念など持ち出したら、それこそ110年前、女性を家の財産と捉え、財産の損失についての罪である強姦罪と、大差なさすぎる。
あくまでも性的侵害であり、性の健康を阻害する暴力としてレイプはあるのであって、セックスをこじらせたわけじゃない。
性とは何か、性器とは、セックスとは、今回法律を作るにあたり性に関する専門家はいなかったし、議論もなかった。
このままでいいとは思えない。
やはり、強制性交等罪、という名称は、ない。
もちろん、強姦罪、という名称に問題があるのは分かってる。
性犯罪の保護法益は、個人法益としての性的自由ないし性的自己決定権であると言われる。
この点の本来的な意味合いについて再考いただきたい。
じゃあ何がいいんだ、とよく聞かれますが、
性的暴行罪、もしくは性的侵害罪、そして性的侵襲罪、
いくらでも、被害者にスティグマを負わせない名称はあるでしょう。
(「等」が入るのは、膣挿入のみだったものを肛門や口への挿入も加える形で改正するためです。ここでいう「強制性交等」の定義は、膣・口・肛門に陰茎を挿入される・させられる行為のみを指します。等としないと、他の法律での性交の定義との齟齬がでるので、法的には記載する必要があるのでしょう。)
あくまでも、この法律の主体になるのは改正案の中でも「陰茎の有無」です。
日本の性暴力はどこまで行っても、性器主義から抜け出せないのでしょうか。
この、挿入の主体についての意見を出している団体は多くはありません。ロビイング等をしても「そういう意見は聞いてない」等と議員さんたちも言います。この性器第一主義に疑いすら持たない状態こそが、日本のジェンダーバランスの悪さ、そして性差による差別偏見を生み出してはいないでしょうか。
性暴力は、必ずしも性器のみによって起こるものではありません。しかし、審議の中では性器であることが「より精神的ダメージを与えるもの」とされました。精神的ダメージ、ということはあくまでも主観的なものです。精神的にダメージを受けたか否かで、犯罪の量刑が変わるのはおかしいことです。
性暴力サバイバーの全てがレイプをされて死にたくなったり魂が殺されたような感情になったり自傷行為を繰り返すわけではありません。しかし、起きたことは、起きたことです。精神的なことがらを法律で規定することが出来るでしょうか。そんなことは、してはいけないことです。
性暴力被害の暗数は全体の9割程と言われています。事実、こうした活動をしていると「私も/僕も被害にあったことがあるんだよね」という話を日々聞きます。相談、という形ではなく。
人生において、生活に大きな支障はきたさなくても、そこには被害があり、当事者は被害であったと理解しています。
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強姦罪改正議論は大詰め。世論はそう盛り上がっていないけれども。110年ぶりの改正、ということを考えてみてほしい。110年前の法律と、なぜ、そう変更点のない改正なんだろうな。
強姦罪が、強制性交等罪に変更されるという話だ。
日本はレイプに性交という定義付けをする国になる。私たちはレイプはセックスではないということをずっと言ってきた。暴力だと。でも、法律が言ってしまう。最悪なこと。なんとかやめてほしい。
レイプに手指器具挿入が入らないのもやはりおかしい。
目隠しをして挿入されたら?無感覚症状あったら?相手がいう「性器が器具か」のみで罪名が変わり量刑も変わると?
ふざけるな、と言いたい。
なぜ、こんな単純なことを話すのに、こうも理解が広がらないのだろう。
昔は法律は専門家が作るものだと思っていた。法律は素人が作るのだと今は思う。
レイプに性交概念など持ち出したら、それこそ110年前、女性を家の財産と捉え、財産の損失についての罪である強姦罪と、大差なさすぎる。
あくまでも性的侵害であり、性の健康を阻害する暴力としてレイプはあるのであって、セックスをこじらせたわけじゃない。
性とは何か、性器とは、セックスとは、今回法律を作るにあたり性に関する専門家はいなかったし、議論もなかった。
このままでいいとは思えない。
やはり、強制性交等罪、という名称は、ない。
もちろん、強姦罪、という名称に問題があるのは分かってる。
性犯罪の保護法益は、個人法益としての性的自由ないし性的自己決定権であると言われる。
この点の本来的な意味合いについて再考いただきたい。
じゃあ何がいいんだ、とよく聞かれますが、
性的暴行罪、もしくは性的侵害罪、そして性的侵襲罪、
いくらでも、被害者にスティグマを負わせない名称はあるでしょう。
(「等」が入るのは、膣挿入のみだったものを肛門や口への挿入も加える形で改正するためです。ここでいう「強制性交等」の定義は、膣・口・肛門に陰茎を挿入される・させられる行為のみを指します。等としないと、他の法律での性交の定義との齟齬がでるので、法的には記載する必要があるのでしょう。)
あくまでも、この法律の主体になるのは改正案の中でも「陰茎の有無」です。
日本の性暴力はどこまで行っても、性器主義から抜け出せないのでしょうか。
この、挿入の主体についての意見を出している団体は多くはありません。ロビイング等をしても「そういう意見は聞いてない」等と議員さんたちも言います。この性器第一主義に疑いすら持たない状態こそが、日本のジェンダーバランスの悪さ、そして性差による差別偏見を生み出してはいないでしょうか。
性暴力は、必ずしも性器のみによって起こるものではありません。しかし、審議の中では性器であることが「より精神的ダメージを与えるもの」とされました。精神的ダメージ、ということはあくまでも主観的なものです。精神的にダメージを受けたか否かで、犯罪の量刑が変わるのはおかしいことです。
性暴力サバイバーの全てがレイプをされて死にたくなったり魂が殺されたような感情になったり自傷行為を繰り返すわけではありません。しかし、起きたことは、起きたことです。精神的なことがらを法律で規定することが出来るでしょうか。そんなことは、してはいけないことです。
性暴力被害の暗数は全体の9割程と言われています。事実、こうした活動をしていると「私も/僕も被害にあったことがあるんだよね」という話を日々聞きます。相談、という形ではなく。
人生において、生活に大きな支障はきたさなくても、そこには被害があり、当事者は被害であったと理解しています。