RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

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「木を見て森を見ない」けど木も大事だし森も大事だし(調査とか統計とかについて)

2016-05-30 19:16:57 | スタッフ日記
ツイッターで被害者の全体像を相談事業のみをもって語るのをやめるべきだ、というようなことを書いたのが地味にRTされつづけていたので、少し丁寧に書いてみます。

性被害についての統計等を見ていくと、日本での統計というのはとても少ない、という現状はあまりこの10年ちょっと見てきた中でもそう変わりません。
現状ある調査等を大枠で分別すると、
1、警察白書等を基にした公的な調査報告(親告罪ならではの暗数の高さが特徴)
2、大学等に所属する研究者による学校単位、施設単位等の調査報告(個別性が高く、年代や所属が限定されることが特徴)
3、相談支援団体等の相談事業を基とした調査報告(“相談をしてきた人”という属性のみに限定されることが特徴)
という3種類に分けられるかなと思います。
 
広く一般に対しての聞き取りという意味では、2の研究としての調査が一番「全体像」を見るには適しているだろうと思います。しかし、特徴として書いたように、少ないながらも実施されているこれらの調査の多くが、学校でのアンケート形式のものが多く、年代としてはかなり限られてしまうのが残念だな、と思っています。
 
3の相談機関での統計等については、必ずしもサバイバーが相談機関に相談するのではない、ということを考えると、どうしても「電話相談」という特殊な状況下での相談というものにコミット出来る状態の人を対象とするという、「全体像」の把握には不向きな状態があるなと思います。
 
RC-NETとしてもこれまで、電話やメール、スカイプ、面談での相談をしてきた中で、この相談を利用する人たちの傾向というのが少なからずあるな、ということを思ってきました。それが何である、ということを今明言できる訳でもないのですが、それぞれの特異性があります。また、こうした相談事業としてではなく、2014年からCommunity cafe & bar Osora ni Niji wo Kake Mashitaを運営してきた中で、
「相談」という括りではないけれども、環境が整いさえすればサバイバーとしての自分を開示する、というタイプの方にも多く出会ってきました。レイプサバイバー=相談者、というわけではなく、自分自身にも被害経験はあるけれども、それを相談したいというよりも、「あったこと」として、経験をふとした瞬間にシェアしてくれる、というようなことです。思うに、この層の人たちが、性暴力サバイバーの多くを占めているのだろうな、と、私自身は思っています。
絶対否定したいのは、「その人たちはそう大変な思いをしていない」なんていうことを言いたいのではありません。沢山の傷つきを抱え、生き辛さを抱えたこともあったかもしれない、それら経験した上で、ただそういう人たちは私たちの社会に沢山いる、という話です。
 
I'm living with Rape Survive.
なわけです。
どこにでもいるし、みんな一緒に生きている。
 
トラウマ症状の出方、というのは様々な環境要因、個人的要因が絡み合って起こるものだろうと思います。なので、その出方は人それぞれ、症状があるから酷い被害だった、無いから軽い、という話でもなく、それぞれの人にそれぞれのサバイブ方法があるのだと思います。
 
RC-NETでも、一応、概要としてはどのような相談があったか、ということを記録に残しています(メール相談等記録に残るものについては、2年に一度、ご本人から体験談として残す旨無い場合は消却しています)。しかし、その統計等はあくまでも「RC-NETにはこういう相談があります」ということでしかなく、
性被害とは、というものを語ることに利用出来るものではない、と思っています。
 
ただし、全体を知ることのために個を知ることは大切なことです。
相談機関が相談統計を出すことの必要性の一つは、その個別の事柄について対応が出来ていない社会を変えるためです。
例えば、DVを例にとっても、たったか10~20年前には、この暴力の多くが可視化されず、家族という単位による秘密、仕方の無いこと、とされていました。様々な団体によって個別の事柄が可視化されていき、「あるもの」とされました。これは暴力だ、と。
 
これらの中で、もちろん「個」のストーリーは大切である、という前提を私は持っています。
 
そして、個の後には全体について、です。
 
DV被害について取り組む人たちの講座を受講した際に、興味深い言葉を聞いたことがあります。
「個人を立たせない」ということについてです。
メディア等で被害についてを話す時に、絶対に言われるのが「当事者の人から取材させてもらえますか」と言われます。
RC-NETではジェンダー・セクシュアリティを問わず相談を受けるということをずっと明言してきました。なので、相応の数の相談数があります。そのデータだけではダメで、あくまでも社会に伝える際には「当事者」が求められます。
私はずっと思ってきました。
「なんの支援もないのに、何かあったら助けられるわけでもないのに、何故、顔を出せと言われるんだろうか。」
言われてみれば、DVサバイバーというのは、レイプサバイバーよりも、個人として活動をする人が少ないな、と思います。
 
性暴力被害についての活動は、日本では多くが個人の頑張りによって支えられてきたな、と思います。
この10年を思い返すだけで、顔を出し、名前を出し、「私はレイプサバイバーである」ということを言った人たちが何人もいます。その人たちの勇気に触発され、当事者たちは自助活動を始めたり、自己開示をしたりもしました。
 
ただ、どれだけ個別のストーリーを伝えても、性暴力は身近なものにならない…という気がしています。
「DVかも?」と思えても、「レイプかも?」とならない。
役所や警察などの講座とかに言っても、半分はその個人の方の経験談を聞く感じになってしまって、それに共感したり大変なことだと思った、などの感想はあっても、「被害とは何か」という全体像を理解していく人が少ないとも、少し感じるところがあります。
 
社会的な認識の薄さ、人が感じるタブー感、
それは、どこまで行っても、「性」への認識の薄さ、タブー感と直結している気がします。
 
木を見て森を見ない状態がずっと続いている。
 
諸外国でよく使われてる「女性の4人に一人、男性の6人に一人がなんらかの性被害にあっている」というデータがありますが、
日本での調査はあまり、それらに該当するものが多くはありません。
暗数があるから、と暗数計算をして全体像を算出したりすることはあるのですが、
改めて、「性暴力サバイバー」というものの実態を、知りたいと思う事があります。
 
みんな、どこで生きてる?
みんな、どうやって生きてる?
 
警察などでは、よく「最近性犯罪が増えている」ということが言われたりします。
それは、少しずつ、社会的な啓発が進み、被害を親告する人が増えた、ということであり、必ずしも増加とは言えないでしょう。
 
性暴力被害にあうということはどういうことなのか。
 
その答えは、もちろん被害にあった本人にしか分からないことです。
しかし、それは一人一人のサバイバーたちの真実であって、全体ではありません。全体の一部。
 
その全体の一部を私たちはずっと拾い集めながらいるんですが、
そろそろ、より全体像を探るための調査というのをしないといけない、と思うわけです。
 
 
そんなことをわざわざ長々と書いた理由の一つとしては、
最近、自分のところに来た相談のみを資料としてそれを全体像かのように伝えていく、という語りがすごく多いんじゃないか、と感じていて、
個への対応のために、というよりすぐに法律を変えようとか新設しようという話になっちゃったりして、
いや、もっと、その前に、具体的な調査をしませんか、と、思ったりしているということです。
 
国内調査…、どうやったらいいんだろう。
まずはネット調査とかでもいいなと思うのですが、(まぁ、ずっと言ってるだけになっちゃってるんですがorz)、
サバイバーの声を、もっと集められたらなぁと思っています。

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