先日、友人とメールをしていていると、
「ふざけながら見守る的スタンス(笑)」
というメールが。
感動を覚えました。ははは。
私の中では性暴力っていうものがまず第一にあって、
それに対しては常に真摯に向き合っていたいし、そうあるようにしているんだけども、
個人的な性質として、某大学教授が私のことを「お調子者」認定していたように(笑)、
楽しいこと やりたいと心から思えること 感動すること、
笑えること おもろいこと 心からまじめになれる遊び
に、心を動かされている。
それは、私がこの「性暴力被害者支援」という仕事(ライフワーク)を通して、
絶対に無しには語れないものだなと思っている。
ふざけるということ=不真面目、ではなくて。
基本根が真面目なので(自分で言うか。笑)、どこまで行っても考えてるのは暴力の無い世界についてだったりするわけで、
その過程を、真面目に考えれば考えるほど、
ふざけたいのだ。
悪い意味じゃなくて。
私に出来る表現の仕方が、そうだというだけなんだと思う。
そしてだからこそ伝わる層も、確実にあると思っている。
以前別の友人が「あんたはアホでデフォルトなんだから、そのアホを隠そうとするな。アホはあんたに神様が与えてくれた素晴らしい才能なのだ」
と、酷いような優しいようなよくわからない事を言ってくれたことがあった。
無理して真面目に、他の人に追いつこうとしても、
それはエゴオナニーでしかないと。
エゴな上にオナニーだ。
セックスに昇格することもない。
いや、セックスとオナニーは別物だろうけど。
如何せん、何にしても、それでは気持ちよくないだろうなと思う。
結局、行き詰まってしまう。
いいや、自分のやりたいことやれば。と思えるのは、
こうしてふざけた私をふざけながら、それでも暖かく見守ってくれている人がいるからなんだろうと思う。
かといってもちろんふざけてばかりでもなく、
性暴力被害に対する啓発という部分では常に両面からのアクセスが必要だと思っている。
両方共に、私はすごく好きだ。
性暴力について語れる場所があるならどこにでも行きたい。やれることはなんでもやりたい。
それが自分の思う、被害者の孤立を防ぎ、適切な支援を届け(拡散し)、いつの日か性暴力をなくしていけるような取り組みになるのであれば。
そんな嬉しいことはない。
だからといって、自分を隠すことはない。
人間のデフォルトなんて、ないのだし。
それぞれの心に正直に、しっかりと自分にやれること、やりたいことを見据えて、進んでいけばいいのだと思う。
人生にはいろんな場所に、ちょっと生き直せるポイントっていうのがあって、
少なくとも、生きてる限り、
変化を続けるのが人間だ。
誰かの言う「正しさ」に自分を規定せずに、
もっと素直でありたいと思う。
その為に耳を澄ませて、心を研ぎ澄ませて、
しっかりと考え感じながら、
今日も前を向いて歩こう、と、思う。
「ふざけながら見守る的スタンス(笑)」
というメールが。
感動を覚えました。ははは。
私の中では性暴力っていうものがまず第一にあって、
それに対しては常に真摯に向き合っていたいし、そうあるようにしているんだけども、
個人的な性質として、某大学教授が私のことを「お調子者」認定していたように(笑)、
楽しいこと やりたいと心から思えること 感動すること、
笑えること おもろいこと 心からまじめになれる遊び
に、心を動かされている。
それは、私がこの「性暴力被害者支援」という仕事(ライフワーク)を通して、
絶対に無しには語れないものだなと思っている。
ふざけるということ=不真面目、ではなくて。
基本根が真面目なので(自分で言うか。笑)、どこまで行っても考えてるのは暴力の無い世界についてだったりするわけで、
その過程を、真面目に考えれば考えるほど、
ふざけたいのだ。
悪い意味じゃなくて。
私に出来る表現の仕方が、そうだというだけなんだと思う。
そしてだからこそ伝わる層も、確実にあると思っている。
以前別の友人が「あんたはアホでデフォルトなんだから、そのアホを隠そうとするな。アホはあんたに神様が与えてくれた素晴らしい才能なのだ」
と、酷いような優しいようなよくわからない事を言ってくれたことがあった。
無理して真面目に、他の人に追いつこうとしても、
それはエゴオナニーでしかないと。
エゴな上にオナニーだ。
セックスに昇格することもない。
いや、セックスとオナニーは別物だろうけど。
如何せん、何にしても、それでは気持ちよくないだろうなと思う。
結局、行き詰まってしまう。
いいや、自分のやりたいことやれば。と思えるのは、
こうしてふざけた私をふざけながら、それでも暖かく見守ってくれている人がいるからなんだろうと思う。
かといってもちろんふざけてばかりでもなく、
性暴力被害に対する啓発という部分では常に両面からのアクセスが必要だと思っている。
両方共に、私はすごく好きだ。
性暴力について語れる場所があるならどこにでも行きたい。やれることはなんでもやりたい。
それが自分の思う、被害者の孤立を防ぎ、適切な支援を届け(拡散し)、いつの日か性暴力をなくしていけるような取り組みになるのであれば。
そんな嬉しいことはない。
だからといって、自分を隠すことはない。
人間のデフォルトなんて、ないのだし。
それぞれの心に正直に、しっかりと自分にやれること、やりたいことを見据えて、進んでいけばいいのだと思う。
人生にはいろんな場所に、ちょっと生き直せるポイントっていうのがあって、
少なくとも、生きてる限り、
変化を続けるのが人間だ。
誰かの言う「正しさ」に自分を規定せずに、
もっと素直でありたいと思う。
その為に耳を澄ませて、心を研ぎ澄ませて、
しっかりと考え感じながら、
今日も前を向いて歩こう、と、思う。