いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
文字が重なるのは。 ハンガーの摩擦抵抗は。ワイヤーはいつまで。
紙送りが詰まるのか、
もうすこし、letterの重なりのことを、調べよう。
http://www.archive.org/stream/howtobecomeexpe00barngoog#page/n20/mode/1up/search/letter
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/156.html
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/121.html
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/224.html
ハンガーがよごれていたら
ワイヤーは1990年でも、レミントンはワイヤー?
タイプ スピードの記事1895年は、、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.h-net.org/~business/bhcweb/publications/BEHprint/v018/p0119-p0128.pdf
紙送りが詰まるのか、
もうすこし、letterの重なりのことを、調べよう。
http://www.archive.org/stream/howtobecomeexpe00barngoog#page/n20/mode/1up/search/letter
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/156.html
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/121.html
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/224.html
ハンガーがよごれていたら
ワイヤーは1990年でも、レミントンはワイヤー?
タイプ スピードの記事1895年は、、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.h-net.org/~business/bhcweb/publications/BEHprint/v018/p0119-p0128.pdf
手動タイプバー・プリンシプル・タイプライターの打鍵速度の機構的制約緩和の歴史に関する記述
山田尚勇によれば、
速やかに解決されていった
http://blog.goo.ne.jp/raycy/s/%BB%B3%C5%C4%BE%B0%CD%A6
1882年、ロングレーは、シフト機構を優位と見ていた。
スペースキーは右親指操作、で、なるべく手を大きく移動させない。
覚えることも少なくてすむ。
(左手は、シフトキーに拘束される?)
ヨストは、シフト機構不利と見て複式鍵盤に打って出たわけである。
1887年PROUTY配列。左右対称、
ユニバーサルの呼び名は、いつだれが、
1889年ハモンドはパリ万博で、一定の成功を収めた。
1890年ユニバーサル配列へは、ハモンドも対応せざるを得なかった。
1893年ブリッケンスダーファー配列、最下段に母音?タッチタイプ向きであったといえようか。
1896年ごろ、タイプライターの打鍵律速は、シフト機構(とスペースキーがはなれていることってのもあるかな)
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS18970710.2.10
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100219#bookmark-19441431
逆に言えば、このころ、タイプライターといえばシフト機構ってな状態になっていたってことでは。
山田尚勇によれば1895年ごろには、打鍵速度への機械的制約はほとんどなくなっていた。
シフト機構に対する評価は、いつ定まったのか。
1901年ごろだっけか。ホーム・キー
ホーム・ロー、
山田尚勇によれば、
速やかに解決されていった
http://blog.goo.ne.jp/raycy/s/%BB%B3%C5%C4%BE%B0%CD%A6
1882年、ロングレーは、シフト機構を優位と見ていた。
スペースキーは右親指操作、で、なるべく手を大きく移動させない。
覚えることも少なくてすむ。
(左手は、シフトキーに拘束される?)
ヨストは、シフト機構不利と見て複式鍵盤に打って出たわけである。
1887年PROUTY配列。左右対称、
ユニバーサルの呼び名は、いつだれが、
1889年ハモンドはパリ万博で、一定の成功を収めた。
1890年ユニバーサル配列へは、ハモンドも対応せざるを得なかった。
1893年ブリッケンスダーファー配列、最下段に母音?タッチタイプ向きであったといえようか。
1896年ごろ、タイプライターの打鍵律速は、シフト機構(とスペースキーがはなれていることってのもあるかな)
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=TS18970710.2.10
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100219#bookmark-19441431
逆に言えば、このころ、タイプライターといえばシフト機構ってな状態になっていたってことでは。
山田尚勇によれば1895年ごろには、打鍵速度への機械的制約はほとんどなくなっていた。
タイプライタの機械的性能は、すでに19世紀末までにほとんど完成の域に達していた。事実、タイプライタが機械的に対応しうるぎりぎりの使用速度は測定装置を用いてすでに検証されており、それは「人間の手の指の出しうる速度より圧倒的に速い」ことがわかっていた( New York Sun 1895 )。http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100221#bookmark-19482527
New York Sun, 1895, Speed of typewriters, Scientific American 72,15,April 13, p.235.[引用]
シフト機構に対する評価は、いつ定まったのか。
1901年ごろだっけか。ホーム・キー
ホーム・ロー、
1920年頃のQWERTYによる配列戦国一応の平定は、販売先顧客が一般人に広がったことと、ホーム・ロー戦術
1920年頃配列戦国のQWERTY平定は、販売先顧客が一般人に広がったことと、ホーム・ロー戦術
ってな仮説に立っている。
より大きくは、環境与件下での入力エクセルギー・出力ネゲントロピー・最善化史観、にたっている。
1880年代、非シフト式の優位を確信して、カリグラフ№2を発売。
大文字打鍵には、シフト式か、非シフト式・ダブル鍵盤・大文字専用キー
複式のほうが、高級上等。シフト式のほうが、手抜きな機構ってな一般の評価もあった、との説。
デンスモアの、カリグラフのメカ・材質マレブル使用などに対する評価も、当初、高かった。
1880年代、索引・インデックス・プリンシプルタイプライティング・マシンとの競合期もあった。
ハモンドは、ユニバーーサル(QWERTY配列オプション機)を1891年ごろには出してきている。
ハモンドは、ユニヴァーサルへのアダプター?みたいなものも出しているようだ。イントラかんとか、、
譲ります欄に、ユニヴァーサル・ハモンドが売りに出ている。
レミントン、カリグラフら五社で、いわゆるタイプライター・トラストを構成。
求人欄に、カリグラフ・オペレーターがでている。
求人欄に、レミントン・オペレーター。
カリグラフは、ダブル・ユニヴァーサルを1898年に出したとのことである。
電動ブリッケンスダーファーの試作機が必要とした、先進技術。タイプホイールを軽量・アルミを採用しようとした。タイプホイール駆動を電動にしようとした。
これらがないと、当時、事務用としてはタイプ・バー式に劣っていたと、思われる。
アンダーウッド№5発売
タイプライター・トラスト解散
home keys
home row
home position
シングル・ユニヴァーサルの優位
1916年ごろ、ギルブレス、レミントン・タイプライター・チームに関与。
複式鍵盤機、最終製造は1910年代。(たしか山田尚勇)
複式が明らかに衰微するのは、1920年ごろ。(たしか山田尚勇)
1920年頃配列戦国のQWERTY平定は、販売先顧客が一般人に広がったことと、ホーム・ロー戦術
ってな仮説に立っている。
より大きくは、環境与件下での入力エクセルギー・出力ネゲントロピー・最善化史観、にたっている。
1880年代、非シフト式の優位を確信して、カリグラフ№2を発売。
大文字打鍵には、シフト式か、非シフト式・ダブル鍵盤・大文字専用キー
複式のほうが、高級上等。シフト式のほうが、手抜きな機構ってな一般の評価もあった、との説。
デンスモアの、カリグラフのメカ・材質マレブル使用などに対する評価も、当初、高かった。
1880年代、索引・インデックス・プリンシプルタイプライティング・マシンとの競合期もあった。
ハモンドは、ユニバーーサル(QWERTY配列オプション機)を1891年ごろには出してきている。
ハモンドは、ユニヴァーサルへのアダプター?みたいなものも出しているようだ。イントラかんとか、、
譲ります欄に、ユニヴァーサル・ハモンドが売りに出ている。
レミントン、カリグラフら五社で、いわゆるタイプライター・トラストを構成。
求人欄に、カリグラフ・オペレーターがでている。
求人欄に、レミントン・オペレーター。
カリグラフは、ダブル・ユニヴァーサルを1898年に出したとのことである。
電動ブリッケンスダーファーの試作機が必要とした、先進技術。タイプホイールを軽量・アルミを採用しようとした。タイプホイール駆動を電動にしようとした。
これらがないと、当時、事務用としてはタイプ・バー式に劣っていたと、思われる。
アンダーウッド№5発売
タイプライター・トラスト解散
home keys
home row
home position
シングル・ユニヴァーサルの優位
1916年ごろ、ギルブレス、レミントン・タイプライター・チームに関与。
複式鍵盤機、最終製造は1910年代。(たしか山田尚勇)
複式が明らかに衰微するのは、1920年ごろ。(たしか山田尚勇)
フィンガー・キー・テンションによるキーのスプリング・バックがタイプバーの戻りに効くようになったのはリンク駆動になってから
フィンガー・キー・テンションでのキーの戻り強さがタイプバー動作と連動するのはリンク駆動になってから
フィンガー・キー・テンションによるキーのバネ復帰がタイプバー戻りを加勢するのはリンク駆動以後のこと
以前にも思って書いといたのだが、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/023ea7031a19309264de043c8a73e9d8
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/d80fbba297450ab2079828b2e15aecbc
ワイヤー駆動時代には、タイプバーの戻り力に、キーレバーやキーの戻り力は、効かない。金属でできたひも状部材:ワイヤーはたるむことができる。したがって、タイプバーのレストポジションへの戻り・復帰は重力による、ってわけ。
棒状物でつながれた機構:リンク駆動になって初めて、キーの戻り力が、タイプバーの戻り力に加勢されることになる。
ショールズらの開発期、たとえば1872年の例の手紙http://www6.atpages.jp/~raycy/Y/Trunnion-CollideArms.htmを書いているころには、ワイヤーをわざとピンと張らずにわずかにたるませておく、という改善策すら提案している。
たぶん初号期系1874年機はワイヤー駆動であったろう。
リンク駆動となったのは1878年からではなかろうか。
1890年にはフィンガー・キー・テンション用のスプリングがあり、その調整が可能である。
1882年のロングレーのレッスンズ記述の読み方だか、いったん打鍵したキーからは直ちに指を離せとある、、これは、キーから指を離す⇔すなわちキーのスプリングバックを妨げないように、
そして既に多くの場合、レミントン№2以降機を使用しているのならば、タイプバーの戻りを加勢される。
レミントン遡及的№1ならば、少なくともタイプバーの戻りを邪魔はしない、、
この、リンク駆動以前の、ワイヤー駆動時代には、少なくともショールズらのプロトタイプ開発機時代には、ばね力による戻り力への加勢は、なかったのではないか。
それが、パーキンソンの言う、
山田尚勇の言う、程なく解決だったか「速かに解決されていった」http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/a3093f511e82730ebadcc11dcf3305d9、ではないのか、、
フィンガー・キー・テンションでのキーの戻り強さがタイプバー動作と連動するのはリンク駆動になってから
フィンガー・キー・テンションによるキーのバネ復帰がタイプバー戻りを加勢するのはリンク駆動以後のこと
以前にも思って書いといたのだが、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/023ea7031a19309264de043c8a73e9d8
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/d80fbba297450ab2079828b2e15aecbc
ワイヤー駆動時代には、タイプバーの戻り力に、キーレバーやキーの戻り力は、効かない。金属でできたひも状部材:ワイヤーはたるむことができる。したがって、タイプバーのレストポジションへの戻り・復帰は重力による、ってわけ。
棒状物でつながれた機構:リンク駆動になって初めて、キーの戻り力が、タイプバーの戻り力に加勢されることになる。
ショールズらの開発期、たとえば1872年の例の手紙http://www6.atpages.jp/~raycy/Y/Trunnion-CollideArms.htmを書いているころには、ワイヤーをわざとピンと張らずにわずかにたるませておく、という改善策すら提案している。
たぶん初号期系1874年機はワイヤー駆動であったろう。
リンク駆動となったのは1878年からではなかろうか。
1890年にはフィンガー・キー・テンション用のスプリングがあり、その調整が可能である。
1882年のロングレーのレッスンズ記述の読み方だか、いったん打鍵したキーからは直ちに指を離せとある、、これは、キーから指を離す⇔すなわちキーのスプリングバックを妨げないように、
そして既に多くの場合、レミントン№2以降機を使用しているのならば、タイプバーの戻りを加勢される。
レミントン遡及的№1ならば、少なくともタイプバーの戻りを邪魔はしない、、
この、リンク駆動以前の、ワイヤー駆動時代には、少なくともショールズらのプロトタイプ開発機時代には、ばね力による戻り力への加勢は、なかったのではないか。
それが、パーキンソンの言う、
"Since the keys had no springs on them, they fell back into place by gravity."ではないのか。
http://infohost.nmt.edu/~shipman/ergo/parkinson.html
http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/before-going-on-with-history-of-dr.html
山田尚勇の言う、程なく解決だったか「速かに解決されていった」http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/a3093f511e82730ebadcc11dcf3305d9、ではないのか、、
ディッカーソンのカリグラフ№2大文字鍵盤の調査結果は、1898年のダブル・ユニバーサルは反動作研究的?
ディッカーソンのカリグラフ大文字鍵盤解析に従えば1898年のダブル・ユニバーサルは反動作研究的?
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/48/2/48_115/_cit/-char/ja/
15) Dickerson, R. E. Did Sholes and Densmore Know What They Were Doing When They Designed Their Keyboard? ETCetera. No.6, 1989, p.6-9.(http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/440086「Richard E. Dickersonの文献[476]」)http://www.aquaporin4.com/etcetera/ETC.06.pdf
ディッカーソンは、カリグラフの大文字鍵盤配置を分析したが、仮説として、大文字の出現頻度説を採っているようである。
大文字の出現頻度表を載せてあり、大文字出現頻度順をカリグラフ鍵盤の大文字キーに添え書き例示している。
http://www.aquaporin4.com/etcetera/ETC.06.pdf
論文の本文自体をちゃんと読んでいないので、なんだが、
熟練やら暗記・身体自働動作化獲得過程をべつとすれば、
打鍵動作運動の総量大きさ多さの観点だけに立てば、ダブル・ユニバーサル(複式QWERTY)http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100216#bookmark-19361336のほうがカリグラフのオリジナルよりも、動作研究的に優るとは思えない。
高度に訓練された操作者ならば、カリグラフオリジナル版の配列のほうが、実際の打鍵速度はより好成績達成が可能なのではないか。
素人、非高度・訓練されていないユーザーの獲得狙いか?
ユーザーが、QWERTYさえ知っていれば、ダブル・ユニバーサル(QWERTY)の操作は、こまらない。
後方互換だか前方互換だか、、
悪貨が良貨を駆逐する?
QWERTYが悪貨かどうかはともかくとして、
カリグラフ配列が良貨ともいえないしなあ
でも、1898年のカリグラフの判断は、高度訓練者による最速使用ってなのはあきらめたんじゃなかろうか。
滅びのわだちに入った?ってか、非シフト式が既に滅びの轍に入っていたかもしれないし、、
もう一点カリグラフの変節の原因として…。タイプライティングの高速化要求水準が高まり、カリグラフ・オリジナルの配列では、タイプバー間の間隔が不足がちになり、よりタイプバーの(感覚?てへっかも…)、間隔がとりやすい、ダブル(なんらか配列の。たとえばユニバーサルQWERTY)な方向を選択せざるを得なくなった、
ところでディッカーソンさん、パサディナ、カリフォルニアだっけかって
このディッカーソンDNAさん?http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100215#bookmark-19351904メールしてみるかな
Are you this Dickerson?
Are you the Dickerson machine's Dickerson?
ディッカーソンのカリグラフ大文字鍵盤解析に従えば1898年のダブル・ユニバーサルは反動作研究的?
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/48/2/48_115/_cit/-char/ja/
15) Dickerson, R. E. Did Sholes and Densmore Know What They Were Doing When They Designed Their Keyboard? ETCetera. No.6, 1989, p.6-9.(http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/440086「Richard E. Dickersonの文献[476]」)http://www.aquaporin4.com/etcetera/ETC.06.pdf
ディッカーソンは、カリグラフの大文字鍵盤配置を分析したが、仮説として、大文字の出現頻度説を採っているようである。
大文字の出現頻度表を載せてあり、大文字出現頻度順をカリグラフ鍵盤の大文字キーに添え書き例示している。
http://www.aquaporin4.com/etcetera/ETC.06.pdf
論文の本文自体をちゃんと読んでいないので、なんだが、
熟練やら暗記・身体自働動作化獲得過程をべつとすれば、
打鍵動作運動の総量大きさ多さの観点だけに立てば、ダブル・ユニバーサル(複式QWERTY)http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100216#bookmark-19361336のほうがカリグラフのオリジナルよりも、動作研究的に優るとは思えない。
高度に訓練された操作者ならば、カリグラフオリジナル版の配列のほうが、実際の打鍵速度はより好成績達成が可能なのではないか。
素人、非高度・訓練されていないユーザーの獲得狙いか?
ユーザーが、QWERTYさえ知っていれば、ダブル・ユニバーサル(QWERTY)の操作は、こまらない。
後方互換だか前方互換だか、、
悪貨が良貨を駆逐する?
QWERTYが悪貨かどうかはともかくとして、
カリグラフ配列が良貨ともいえないしなあ
でも、1898年のカリグラフの判断は、高度訓練者による最速使用ってなのはあきらめたんじゃなかろうか。
滅びのわだちに入った?ってか、非シフト式が既に滅びの轍に入っていたかもしれないし、、
もう一点カリグラフの変節の原因として…。タイプライティングの高速化要求水準が高まり、カリグラフ・オリジナルの配列では、タイプバー間の間隔が不足がちになり、よりタイプバーの(感覚?てへっかも…)、間隔がとりやすい、ダブル(なんらか配列の。たとえばユニバーサルQWERTY)な方向を選択せざるを得なくなった、
ところでディッカーソンさん、パサディナ、カリフォルニアだっけかって
このディッカーソンDNAさん?http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100215#bookmark-19351904メールしてみるかな
Are you this Dickerson?
Are you the Dickerson machine's Dickerson?
- the Dickerson machine
- http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/222.html
http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ja&tl=en&u=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fraycy%2Fe%2Fb47ff1f80f40afd091f57eb36a592f76