SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1805 大聖寺城

石川県加賀市
041-1
大聖寺城
090
錦城山(古城山)にある平山城。鎌倉時代には既に城が存在していた様子。
戦国時代には一向一揆、朝倉、織田、豊臣系大名が在城した。
関ヶ原の戦い以後は前田家が統治し、寛永16年(1639)前田利常の三男・利治が7万石を分与され大聖寺藩を立てた。

って事で登城開始!
最初は
045
贋金造りの洞穴
明治元年、新政府から越後戦争の弾薬供給を命ぜられた大聖寺藩は、軍資金を調達するためにこの場所で贋金を製造。なんとか命令を実行しますが、後に露見し製造責任者の市橋波江に切腹を命じた。
064
戸次丸跡
織田勢が一向一揆を撃退した際に、最初に築いた曲輪。「戸次」の名称は曲輪を築いた織田家の武将・戸次(簗田)広正から。
068
馬洗い池
岩盤を掘削するなどして造られた人工池。飲料水を確保するために造られたと考えられている。
075
本丸
最高所に位置する曲輪。かつては天守相当の櫓が設けられていた。
074
本丸櫓台跡
東・南面に石垣が確認されており、その平面積の広さから丸岡城天守より一回り大きな天守相当の櫓が建っていたと推定されています。
079
山口玄蕃頭宗永公之碑
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで山口宗永は西軍についた為、東軍の前田利長に城は攻められ落城。宗永は自刃した。

次回も大聖寺から

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