SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2404 茶道資料館 裏千家今日庵の茶室 寒雲亭ものがたり

京都

茶道資料館

裏千家今日庵の茶室 寒雲亭ものがたり
期間:4 月18 日(木)~ 7 月 7 日(日)

消息 千宗旦筆
正月晦日付、仙叟宛。内容は「利休画像を江戸に下した。その際に加賀殿と面談するように」とあり、加賀殿つまり後に仙叟宗室が仕官することになる加賀藩主・前田利常と会うように伝えている。仙叟が前田家に仕えるのは慶安5年(1652)の事で、この手紙は慶安3年(1650)頃と考えられている。
また、「四畳半本尺(茶室)」と露地の作事の状況を伝えているが、これは後の又隠の事か?
茶道望月集 風後庵又夢著
藤村庸軒の孫弟子である風後庵により享保8年(1723)成立した茶書。
これによれば「利休作の蓋置を宗旦が所持していたが、前田利常に譲りその代金で『古法宗易好みの通りに本式四畳半座敷』をたてた」とある。この座敷は先行研究によれば又隠の前身にあたるものと考えられているのは、『古法宗易好み』つまり利休好の四畳半であったからだろう。これに宗旦は自らの作意を加え新たなる四畳半の座敷=又隠を作り上げている。
ちなみに又隠を建てる際にも宗旦は狩野探幽筆の三福を手放している。
寒雲亭襖「手違い」 伝・狩野探幽筆
寒雲亭は宗旦の好みで造られ今日庵・又隠と同じく早くから裏千家にあった書院造の茶室。
この茶室の襖には絵師の狩野探幽が宗旦の留守中に勝手に上がり込み、一気呵成に寒雲亭の襖に八仙人を描き上げようとしたものの、宗旦の帰宅に驚き慌てた探幽は左手を右手と描き違えたとする逸話がある。
竹茶杓 銘 春冬 狩野探幽作
平腰、一本樋で櫂先やや長い茶杓。探幽作の茶杓は5本ほど現存するそうでそのひとつ。
共筒には「春冬 寛文三宮内卿法師 宗右選之」とあり寛文3年(1663)に宗右(探幽の茶名)が作った事が分かる。ちなみに銘の「春冬」とは秋がない=飽きないの事。
水戸徳川家伝来。
古瀬戸尻張茶入 銘 岩根
赤茶碗 裏千家六代・六閑斎泰叟作

利休百五十回忌の折に伊予松山藩六代藩主・松平定喬より裏千家八代・一燈宗室が拝領した茶道具。
共に利休二百回忌茶会にて本席の又隠にて使用されている。
伊予松山藩と裏千家の関りは、裏千家五代・常叟宗室が仕えた事に始まり幕末まで続くことになる。
裏千家の茶室「咄々斎」の落掛もまた伊予松山藩主より拝領したものが使われている。

他には宗旦が東福門院より拝領した鶴ノ玉子蒔絵香合、ノンコウ作の黒樂茶碗「今日庵文字入」や仁清作で狩野探幽所持の色絵菊文茶碗などを拝見しました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事