心のドア

2009年06月01日 22時39分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

心のドアを閉めようと。

鍵を掛けたかったんだけど・・・。

自分で用事を作って、出かけなきゃいけないし。

鍵を掛ける暇もなく。

鍵しめるには、訪ねてくれる人も多くて。

心のドアは、ずっと開けていかなければ、いけない。

もう、ドアかぎ掛けて、しめてなんていられないんだな~。こもることは、不可能なんだな。

だって~、高松からは、このおせんべいは、おじいさんが1枚1枚手焼しているおせんべいで、私に食べて欲しいので送ったの~とか。涙でるような手紙がきたり。

わざわざ、浅草へ盛岡のYさん、私にお土産届けてくださったり。ありがとうございます!

朝から、アロマさんからも連絡くださる。

そうだよな~ずっと、この最近、この数年は、自分の心を開いて、付き合ってきたつもり。

だから、嫌なこともあっても、みんな助けてくれて、それに本当にいろんな人が助けにやってきてくださる。

今までの小さな自分ではいられない。

動いて、動いて、実現させていかなきゃいけないことがたくさん。

頼まれごとがあって、こんなアイディアあるけど、どうかなと言ったら、それはいい!グット愛ディディア!

また、思ったことが次々実現して行く。無関係に存在していたものが、点と点が結びついていく。

ほ~不思議!

大学の教授からの頼まれごともやらなきゃいけない。締め切りまで、あとわずか。

ドア開けて、掃除でもしとこうっと!花も飾りましょう!


見えているところは少しだけ

2009年06月01日 01時43分46秒 | 日記・エッセイ・コラム

人間、見えているのは、ほんのわずかなところ。

心の奥までは、見えない。

昨日の能も、演じている時間は、1時間。出演している時間は、もっと少ないかな。

でも、多くの時間、修行に費やされているわけだ。

能の場合、謡、仕舞のほかに、笛や太鼓なども一通り勉強されるそうだ。

いつも松葉寄席にきてくださる能の先生は、大学生の時から勉強されているとのことで、もう何十年もの間、すごいことだと思う。

長い時間をかけて、1歩づつ進んできた人には、本当に敬意を表する。お近づきになれたことも、嬉しいことで、いつも、私の会にも来てくださるのも嬉しい。

噺家も毎日の寄席だと15分くらいだけど、ものすごい長い時間をお稽古に費やしていると思う。

スポーツ選手も、みんなそう。

一流といわれる人は、もっとそうなんだろう。

見えていないから、わからない。

会っていたって、向き合って、本当の自分の言葉で話さないとわからない。

いつも都合のいい、耳にやさしい言葉が、その人の本当の言葉であるかどうかなんて、言葉だけじゃわからない。

心も見えないから。

顔が見えていたって、人間性までは、わからない。

見えないものを観る力って、何が必要なんだろう。

やはり、その人の生き方なんだろうか。

それを観ると信じられるか、どうかってわかってくる。これから先のことも、少しわかるような気がする。

いつも、ただ楽しいだけで過ごしていると、見えないものがある。

自分だけを考えていると、見えないものがある。

昨日、読んでいた本に感謝をした時に、相手のしてくれたことがよくみえるんだそうだ。

見えない思いに動かされている。

見えない大きな力に生かされて、感謝して生きている。

なんか、不思議。