アオクジラ-Bluepain-

日々徒然に思ったことを書き記します。ワッショイ!

映画レビュー今更

2007年05月29日 01時51分59秒 | 映画
◆さよならColor
原田知世が好きなのですでに贔屓目ですが(笑)
同名のハナレグミの曲から作品が派生した
というような事を聞いた気がします。
良い作品だと思うんだけど
どこかに非凡というか異質というか
そういう印象的なシーンが欲しかった。
一部役者の個性が強すぎる感があったのと
ゲスト出演らしい三人のシーンは
必ずしも必要ではない気がしました。

◆ホテルルワンダ
実話をもとに作られた映画ですが
いつものように、それが実話かどうかは
一切関係なく観ました。
主人公が決してスーパーマンでなくて
お人よしで決して気が強いわけでもない1人の父親。という
人物像だったのが良かったです。
何をするにも必死で綱渡りな感じに説得力があった。
大して変わりもしない二つの種族が
狂気によって一方を殺戮していくという絵は
なんとも悲しいものでした。
食料品を買いに行った帰り道、川沿いでの出来事は
全貌が明らかになる前におよそ想像はつくのだけれど
凄惨で訴えてくるものがありました。
全世界が涙したらしいですが
そういう売り方すると折角の作品の
品性を貶めてるような気がしてなりません。
この作品に限らず常套手段であらゆる作品に使われますが。


◆リンダリンダリンダ
ヒロトの実弟が教師役で出演してました。
兄があんな存在だとどんなこと思うんだろう?
という作品と関係ない事を考えた。
作品自体は青春活劇。
韓国人留学生がボーカルをやってたりしますが
特に人種問題とかには触れてません。

◆ワンピース カラクリ島のメカ巨兵
前回見たオマツリ男爵が面白かったので
期待したんですが期待はずれでした。
全体的に地味でキャラクターの絡みも弱い。
その上、チョッパーの声がいつもと違うし。
島の秘密だけで引っ張るのには無理がありました。

◆ワンピース デッドエンドの冒険
先に見たほうが期待はずれで身構えましたが
こっちはそれなりにシナリオも練られていて○
もっとそれぞれが活躍して欲しいなと思いました。
サンジだけ妙に目立っていました。
おかげでコミックのバラティエ編を読み返して
まんまとぐっときた(笑)

◆疾走
SABU祭りと称して「DRIVE」も借りたんだけど
前に見たことに気づいて激しく落ち込む。
「疾走」は原作が原作だけに気構えて見たんだけど
非常にさわやかな作りになっていて
且つ、原作を台無しにするのでもなくて
上手く撮ったなぁとSABUに感心しきりでした。
あとエリ役の韓英恵がイメージにぴったりで良かった。
そのせいもあってシュウジ役の手越祐也はもう一歩。
個人的なイメージでは柳楽裕弥が合ってる気がした。
さわやかと言ってもラストは哀しいです。

◆ミュンヘン
スピールバーグ渾身の大作。
なんでしょうがなんといっても長い。
実話をもとにしているしリアリティのために
必要なシーンなのかもしれないけれど
どうしても集中が切れてしまうだるさがありました。
その割にはラストへ結ぶためのインパクトがなくて
なんかぬけきらない感じでした。
ボクは映画にエンターテインメント性を求めてしまうので。
基本的にこういう作品に対する見方を間違えてますね。


◆エリ・エリ・レマ・サバクタニ
ピンと来る人にはピンと来る変わったタイトル。
作品がそれになぞらえているかは定かではないですが
ちょっと観客置いて行きすぎな作品だと思いました。
たった幾つかの事を提示するために
色んなものに頼りまくっている気がして疲れました。
パッケージ裏の作品紹介を見る限りでは
面白そうだと思ったんですが。期待と違った。

バベル

2007年05月24日 01時31分51秒 | 映画
モロッコ、メキシコ、日本を舞台に展開する
「コミュニケーションの困難さ」をテーマにした作品。

映画の上映が終わったあと
「難しかった」という声がいたるところで聞こえて
この映画と観客の間にも横たわるそれに
皮肉めいたものを感じました。

理解して欲しいという独り善がりな願望
理解することの放棄、或いは拒絶
文化の壁、言葉の壁、
あらゆる場面でもどかしさが付きまとい
それらのほとんどが望まない方向へ向かいます。

そこへ窮地に陥った時の人の愚かさが上乗せされる。
それぞれがそれぞれの望みのためだけの
理解を望みその結果それぞれが引き裂かれる。

罪を犯した少年の助かりたいという望み
妻を失いそうな男の助けたいという望み
自らの危険に不安を覚える人々の望み
誰にも理解されない痛みを抱えた少女の望み

そのどれもが一方的でもどかしい。

リチャードが「愛してる」と言うまでに
必要なあまりに多すぎる出来事や
ユセフが「助けて」と手を上げるまでに
必要なあまりに大きな犠牲や
チエコが「手紙」を渡すまでに
傷つけてきた自分自身や

コミュニケーションには代償や痛みが伴う
というそれぞれのエピソード

印象的だったのは
ストリートでメッセージソングを歌う若者の歌の
何一つチエコには届かないというシーン。

監督はどれくらい意図的にあのシーンを撮ったのだろう。

それから、冒頭の
「努力しろよ」
「努力してないと思ってるの?」
というリチャード夫妻の会話が
ありふれた日常でおこる
コミュニケーションの摩擦として描かれてて良かった。


全編通して救いのほとんどない作品の中ですが
何箇所かさりげなく救いがあって
それは言葉など必要としない
「手を繋ぐ」というコミュニケーション。

冒頭、バスに乗るリチャード夫妻が無意識に繋ぐ手。
そして同じように手を繋ぐシーンで結ばれるラスト。

言葉で繋がるには困難な心を
文字通り手を繋ぐだけで繋ぐことも出来る。
それが示されて作品が終わったことに
少し胸を撫で下ろしました。



余談、この作品が三つの物語で繋がれている理由。

それは救いで終わるシーンの少し手前。
とある刑事がとある居酒屋で焼酎を飲んでいるところで
テレビに映されるほんの小さなニュース。

とある国で起こったとある事件。
それがどんなものであったかなど
ボク達はどれほども理解してはいない。


イエモンの「JAM」が瞬間的に
脳裏をよぎりました。
深読みのし過ぎかも知れませんが。

深読みついでに
この作品の示すコミュニケーションへの姿勢は
決して知り得ないこと、知ろうとしないことを
全否定するものではなくて
それによって保たれているバランスも
多分にあるというある種、ある部分では
肯定にもとれました。

全ての痛みを請け負っていたら
人は生きていかれない。
それはそれで事実だと感じました。

行為と後遺症

2007年05月23日 02時06分36秒 | 日記
離れたと思っていたブラックホールは
振り返ってみればまだすぐそこにあって
無尽蔵の重力で貧弱な意識体など
意図すらせずに飲み込んでしまおうとする

振り切ったところでどうなるものでもないそれを
今はしばらく振り切るためにせっせと空をかく

2007年05月18日 15時48分56秒 | テキスト
ラムネは汗をかいて
それを嬉しそうに猫が舐める
三度目の目覚ましを止めて
暑そうにベッドから足を投げ出す

窓の向こう
青すぎる空とヒコーキ雲


明日は雨がくる


長靴と傘とランチボックス
虹を探す旅の支度
不機嫌な月は雲に隠れて
雨粒がリズムを刻みだす

生憎の空
絶好の空模様

誘われるようにカタツムリは
空に手を伸ばし
畦道はかえるの歌で満たされる

この雨が上がれば
どこかで虹が出る


待ち合わせは虹の麓

result

2007年05月17日 02時02分43秒 | 日記
今日もどこかで人が生まれて
今日もどこかで人が死ぬ

それがどのようなプロセスを辿ろうとも
一番単純な次元まで引き摺り下ろせば
なんということはない

少年は何を想い母の首を携えたか
人はそこにどんな意味を求めるか

そんなものは大した事ではない

暇を持て余して校庭の雑草を毟ることと
どれ程も違いはない

大人の言い分

2007年05月15日 02時44分41秒 | 日記
カッコ悪い大人が
さもわかった風に言ってのける。

構わないよ。

オレは子供です。
オマエラが恐れて止まない子供です。

オマエラが必死になって欲した
他愛もないそれらのために
捨てた多くのものを未だ捨てられない子供です。

欲しいもの手に入れて
大人になったオマエラは
それで何故、
子供の戯言が気になって仕方ないのか。

その答えを教えちゃくれないか?

親切と悪食

2007年05月08日 02時06分17秒 | 日記
全てが伝わってしまうという弊害
或いは限界

わかりやすさというものが内包する
表面的なうすっぺらさ

ただ待っていれば勝手に届くそれではなくて

必死に手繰り寄せ紐解いてわかる
一見、不親切とも取れるそれ

そこにはプロセスが形成していく
奥行きや深みがある

それが例え表面上同じものであったとしても
その差異は歴然としたものがあるんだって

言ったところでわかんないヤツには
暖簾に腕押し

平気な顔で食いモンは腹に入れば同じだと抜かすワケだ

恐れ入る

エキスポ事故

2007年05月08日 01時32分35秒 | 日記
まぁ書くこともねぇし時事ネタでも

エキスポ事故

よりにもよってGWに起こるという奇跡
事故が起こること自体奇跡だが
そのタイミングたるやまさに奇跡だよ

起こり様もないことが起こる事を奇跡と呼ぶのなら
それはまごうことなき奇跡なわけだ

今回に関しては管理側に明らかな怠慢があったわけだけれども
基本的には起こりうる事であるからして
起こって今更「まさか」とか「信じられない」とかはナシだよ

全ての事柄には可能性が付き纏うのだから
その可能性を覚悟した上でそれに触れねばならない

何事も自己責任といわれては元も子もないというのももっともだけども
結局、最終決定は自らがするのだから
当人にも必ず責任は発生すると思うのだよ


まぁ、こんな事を言うと
他人事だからそういう事を言えるだとか
自分の身になって考えてみろとか噛み付くめんどくさい人がいるけれど
それ自体、テメェの理屈の押し付けなわけでどうなの?って
思ったことがあったようななかったような


事故があった途端に客足が遠のくという光景に
なんともいえない滑稽さを見る

喉もと過ぎれて暑さ忘れて
またいつか火傷してハッとして
いつまでもいつまでも堂々巡り

どうということもない

ポジション

2007年05月04日 00時35分39秒 | 日記
それぞれのそれぞれのポジションがあって

望んだ場所につければそれは幸いなんだけど

オレの望んだポジションなんてものに
つけていたのはいつが最後だったか…

ここ何年かの間は
さっぱり望んだポジションにつけてない

別に必死にそこを獲得したいとも思わないし
空いているポジションを起用に埋めるということが
嫌いではないのでそうやってきているけども

結論、そういうポジションなのか

何より違和感なのは
ボケなのにツッコミが板についてるってことだよ!

…そこなのか肝心なのは…