アオクジラ-Bluepain-

日々徒然に思ったことを書き記します。ワッショイ!

井上雄彦-最後のマンガ展-

2008年07月01日 08時24分38秒 | 日記
9:30am
上野の森美術館の前にはすでに長蛇の列が続いていた。
平日であるにも拘らず入場までに2時間以上を費やす。
井上雄彦という1人のマンガ家の影響力が
そこには在り在りと示されていた。

「スラムダンク」という一大社会現象とも呼べる作品を生み出して尚
それを超えていく「バカボンド」「リアル」という2作品を
同時に連載するという事自体が偉業であるにも拘らず
その合間を縫っての美術展

そこで彼が示したいものは何であるのか-

それを想うと、否応なしに期待と緊張が膨らんだ。
列に並んでいる間に特集記事の載った雑誌など読んだから
それは一層膨らんでいく…そして、まんをじしての

-入場-

まず、真っ先に武蔵との対峙。
そして空を見上げて、山を見下ろす。
三枚の絵によって瞬く間にバガボンドの世界に踏み入る。
マンガという静止したはずの世界の中で
自らがカメラとなりそれらを映像として繋いでいく。
或いは、井上雄彦の意志によってそう動かされていく。
心どころか身体ごと。

美術館へ一歩入ったところから一対一の勝負つもりで
気持ちをピンと張る。
それぞれのペースで好きな順序で見てくださいと言われたけれど
その性質上、順を追うと決めて
更には、作品をなるべく正面で捉えられるまで
一度視線を切ることまでしてみたりした。
半ば自己満足であるけれども
少なくともそれくらい真摯に向き合いたい思いがあったし
そうするだけの感動をそれらは十分に与えてくれた。

幸い、最悪の事態も避けられた。
それは、終始涙で作品が見えなくなるという事。
それくらいの予感があったのだけれど
泣いたのは少しだけでした(笑)

一枚一枚見ている間中ずっと胸には熱いものが込み上げていて
それは、作品による感動と、作品に見る作者への感動の二つで。
途中、前を歩く女の子二人が「絵が上手い人って良いなぁ」と言った。
きっとその距離からそう感じられることはすごく幸せなことだと思う。
けれどもその距離を踏み込んだ人たちはきっと
とてもそんな一言では言い表せない複雑な思いに囚われるのだろう。
「絵が上手い」ということはどういうことなんだろう。
そこに立ちつづけている事はどういうことなんだろう。
それはたぶん想像を絶することのように思えて畏敬の念すら覚える。

そんな事とか思いながら見た一連の作品の中でも
泣けて仕方のないほど感動的だった作品(場面)が3つある。

一つ目は割りと冒頭の胤舜の件。
なんでもない台詞が二言。
言葉はそのプロセスによって質量や姿を変える。
それを具現化したような一枚だった。
「まだ生きていたか、良かった」
その言葉が内包しているものに胸がぐらっと揺さぶられる思いがした。

二つ目は、じいさま二人が現れる場面。
「武蔵、お前に会えて良かったよ」
彼らが放った言葉は、恐らく作者本人の
武蔵に対する想いではなかったか。
ここには更に胸を鷲づかみにされて仕方がなかった。

三つ目は最後の一枚。
これは素晴らしくさわやかな一枚で
砂浜を歩く二人が描かれていた。
作品の足元には実際に砂が敷いてあり
それを踏みしめながら歩くと
ちょうどその場面に存在する第三人目として
作品に入り込んだような感覚を味わえる。

そして、その絵の最後。
砂浜から出ると同時に、すっかり入り込んでいた世界から解放される。

一通りを見たら、改めて作品を見返しに戻ろうという想いは
その感動体験をふいしてしまう気がしてそのまま出口へ向かった。

今回の美術展ほど作品を観るということだけでなく
味わうという感覚を実感したのは過去にはない。
それはとても貴重で豊饒で衝撃的な体験だった。

そこには細部まで拘って表現の場を構築して
入場者数を制限までするという井上雄彦の
作品と読者への愛情と誠実さが溢れていた。

個人的な意見として惜しむらくは
中にはそれを読み取れない人達がいたこと。

それぞれがそれぞれの楽しみ方をすれば良いとも思う。
けれども、作品の意図を、作者の意図をもう少し汲み取って欲しかった。

一定の距離を保って成立する作品が中にはあった。
明らかにその距離を保つように白と黒で分かたれたフロアもあった。
その距離感を無視するということは
その人にとっては作品を見失うことであるし
ましてそれによって作品自体が成立しない状態にしてしまう。
そうやって一時的に台無しになった作品があって
すごくやるせない気分にもなった。

それだけが残念なことだった。

もう一つだけ悔しいことがある。
それは、この会場を訪れるのが遅れたことで
誰かに対してこの美術展の存在を伝えることが遅れたこと。
可能な限りの知人友人に見に行ってもらいたい。
そんなことを切実に思うそんな素晴らしい美術展だった。