唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

開元十四~十六年  西暦726~728年

2020-07-24 10:00:37 | Weblog
開元十四年  西暦726年
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二月,邕州獠梁大海反,遣内侍楊思勖發兵討誅。
思勖は宦官であるが、武略があり残虐で、京観[討ち取った敵をつみあげるなどして塚を作り、戦勝の記念碑にする]や、人肉食を好んだ。主に南蛮や獠の討伐で活躍しました。

四月、御史大夫崔隱甫に収賄を弾劾され張說が失脚しました。

玄宗は武惠妃を皇后にしようとしたが、官僚達は反対して皇后待遇ということにおちつきました。

開元十五年  西暦727年
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正月辛丑河西、隴右節度使王君奐及吐蕃戰于青海,敗之。
吐蕃は唐朝を対等として交渉しようとしていたため、不満な玄宗は対吐蕃戦の勝利を喜びました。

九月丙子,吐蕃寇瓜州,閏月庚子,寇安西。
吐蕃が反撃してきました。唐朝は13万の兵を動員して防衛に当たらせました。

五月癸西,上悉以諸子慶王潭等領州牧、刺史、都督、節度大使、大都護、經略使,實不出外。
親王諸王の牧・都督・刺史を遥領[名目だけ]とし、常に京師の住居に留めて赴任させないようにしました。以降親王と子孫達は飼い殺しになり、宦官の支配下に入ります。王府の官員も名称だけの名誉官となりました。唐朝の滅亡時に皇族の存在感がないのはこのためです。

開元十六年  西暦728年
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正月乙卯,瀧州首領陳行范反,伏誅
再び楊思勖の登場です。六万人ほど殺し皮を剥ぎました。

七月,張志亮、蕭嵩克吐蕃大莫門城。八月辛卯,及吐蕃戰于祁連城,敗之。
十一月癸巳,蕭嵩為兵部尚書、同中書門下平章事。
対吐蕃防衛で功績をあげた蕭嵩が宰相となりました。

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