唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河北

2006-09-24 09:10:23 | Weblog
劉總が幽州を朝廷に返還して去り

やがて新節度使として元宰相の張弘靖が入った。

弘靖は宣武・河東などを歴任し、うまく統治していた。

朝廷としては最高の人選をしたつもりであった。

しかし歴代の貴族である弘靖は輿に乗り入部した。

これは燕人達を驚愕させた。

河北では節度使は諸将の代表であり、主君ではなかった

そのため輿に乗る者などいなかったのだ。

しかも弘靖は慣習を破り、幕僚達に間接統治させた。

中央から来た幕僚は、教養のない燕人をバカにして怒りを買うことになった。

總は返還するとき反乱を心配し、朱克融など面倒な連中を京師に送り
神策軍に編入することを依頼していたのだが

時の無能な宰相崔植や杜元穎は無関心に放置していた。

やがて彼らは憤懣を抱えたまま帰郷することとなった。

そして幕僚韋雍と将校の馬がぶつかったことから事件は起こった。

雍は無礼だとして将校を杖で打った。

京師では普通の事であったが
河北では通常杖打ちは行われず、極めて強い侮辱となるのだった。

将兵は騒ぎ、克融らはこれを扇動した。

長慶元年軍乱が起き、半年で幽州は失われた。

連鎖反応で成徳・魏博も失われて、河北は昔に戻ることになった。

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