唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

築城

2006-09-05 18:23:46 | Weblog
宗皇帝にとって吐蕃は悩みのタネである。

何度も侵略され、盟を結ぼうとすると違約する。

京師が危なかったこともあり、關内地方は荒らし回られている。

数年前鹽州城を造ってからはすこし安心できるようになった。

貞元十三年正月、邠寧節度使楊朝晟が入朝してきた

「方渠・木波など三城を造れば枕を高くしておれるのだが」
と帝が諮問すると。

「じゃあさっそく造りましょう」と朝晟はこともなげに答えた。

「大軍を動員せねばならんのだよ」と帝は驚いて言った。

「邠寧の軍だけで十分ですよ」

「まあ資材のほうはお願いいたしますし、褒美のほうもね」
とあくまで朝晟は軽い。

「鹽州城の時は七万を動員したのだが」

「あれはやり方がまずかったのです」

「七万もの大軍を動員すれば吐蕃の連中にばれてしまいます」

「そうすれば奴らも準備万端で待っています」

「いますぐに邠寧軍だけを動かせば三月もあれば城ばできます」

「吐蕃が大軍を動員するのにはもっとかかります」

「城の周辺は大軍がおれる場所ではないので、数日守れば敵は帰りますよ」

「そううまくいくのか?」帝は半信半疑であった。

二月朝晟は軍を三分して三城を築き始めた。

三月城は完成して守兵を残し撤退した。

四月吐蕃の大軍が来襲したが完成した城を前に茫然とするだけであった。

国境は三百里も遠ざかり、京師は安泰となった。