自分の源流の一人を「クソ」呼ばわりすることが良いとも思わないし、言ってて気持ちのいいことではないが、それにしても、やっぱり、祖母のことをクソ婆だと思わざるを得ない。
『死体まわりのビジネス』に出てきた以下の箇所を読んで、「これはまさに、うちの婆さんのことだ」と呻った。
ただ、うちの祖母の場合、私を含め家族と同居しているので家全体がゴミ屋敷と化すことからは免れている。とは言え、祖母の寝起きしているところがゴミだらけじゃないかというと微妙なところ。まだ足腰が立つので腐臭を放つとかいうことはないが、正直、片づいてもいなければ、清潔とも言い難い。
ここでハッキリさせておきたいのが、家族が放置しているわけではないということ。「掃除を手伝うか」と訊けば、「自分でやるからいい」と言うし、無理に掃除しようとすれば烈火の如く怒りヒステリーを起こす。一事が万事この調子で、茶碗一つだって最近まで他人に洗わせようとしなかったくらいだ。
推察するに、上記引用に出てくるようなプライドが邪魔をして、人にものを頼み、頼るということができないのだろう。お陰で周りはいい迷惑を被っている。
さて、その祖母が本日、排泄物をぶちまけてくれた。寄る年波には勝てず居室に簡易トイレを置いて1日1回トイレに捨てに行っているのだが、よろけて廊下にぶちまけてくれたのだ。
これだけでも、かなり参った話なのだが、その上、誰の助けも呼ばずに一人で片づけようとして、少なからぬ量を廊下に染み込ませるということまでしてくれた。途中で異臭に気がついたので良かったが、気がつかなかったら飛んでもないことになっていたかもしれない。
まぁ、もうすぐお墓の中に入る人を詰っても仕方ないのだが、もう少しピンシャンしていた頃に、自分と同世代や若い人が身体不自由になったりすると小馬鹿にするようなことを散々ぱら言っていたから、今や自分がそうなったことを受け容れられないんだろうな。
簡易トイレにしたって、家族には何の相談もなしに黙って設置したし、トイレを改良しようという母親の提案に対しても「必要ねぇ、嫁が余計な口を出すな」みたいなことを言ったらしい。
祖母のそういった振る舞いを見るにつけ、聞くにつけ、その当座は頭に来るが、これを書いている今みたいに、時間が経って考えてみれば悲しくなる一方だ。
人間、生きていく上で何が一番大事かと訊かれれば、「お願いします」「ありがとうございました」を素直に言えることじゃないか、と今は思う。明日の朝は知らんが。
『死体まわりのビジネス』に出てきた以下の箇所を読んで、「これはまさに、うちの婆さんのことだ」と呻った。
「ゴミ屋敷の住人は、どうしてこんな生き方を選んだと思う?」
「選択肢があって、Aを選んだとかBを選んだとか、そういう単純なものじゃない。ただ共通している点は、彼らはプライドが高いということだろうな。そのプライドのために、こんなゴミ溜めのようなところで生きるはめになったのさ。彼らは年をとり、自分で自分の世話ができなくなってしまう。だけど、プライドが邪魔をしてそれを人に知られるのを嫌がるんだな。助けを求められないんだ。年老いた彼らは家を管理する能力を失ってしまった。だが、誰かに頼るのが嫌で、誰も呼ぶことができなかった。処理能力を失ってしまったという事実を知られたくない。そして、とうとう家の中は、人を招き入れることのできない状態になってしまった。いつの間にか彼らは完全に寝たきりになり、それでおしまいさ。ゴミ屋敷の仕事をした後、つくづく思うんだ。俺はあんなふうにはならないと。息子をいい人間に育てたいと思う」
「File 07 ゴミ屋敷 ゴミに埋もれたプライド」 pp. 96-97
ただ、うちの祖母の場合、私を含め家族と同居しているので家全体がゴミ屋敷と化すことからは免れている。とは言え、祖母の寝起きしているところがゴミだらけじゃないかというと微妙なところ。まだ足腰が立つので腐臭を放つとかいうことはないが、正直、片づいてもいなければ、清潔とも言い難い。
ここでハッキリさせておきたいのが、家族が放置しているわけではないということ。「掃除を手伝うか」と訊けば、「自分でやるからいい」と言うし、無理に掃除しようとすれば烈火の如く怒りヒステリーを起こす。一事が万事この調子で、茶碗一つだって最近まで他人に洗わせようとしなかったくらいだ。
推察するに、上記引用に出てくるようなプライドが邪魔をして、人にものを頼み、頼るということができないのだろう。お陰で周りはいい迷惑を被っている。
さて、その祖母が本日、排泄物をぶちまけてくれた。寄る年波には勝てず居室に簡易トイレを置いて1日1回トイレに捨てに行っているのだが、よろけて廊下にぶちまけてくれたのだ。
これだけでも、かなり参った話なのだが、その上、誰の助けも呼ばずに一人で片づけようとして、少なからぬ量を廊下に染み込ませるということまでしてくれた。途中で異臭に気がついたので良かったが、気がつかなかったら飛んでもないことになっていたかもしれない。
まぁ、もうすぐお墓の中に入る人を詰っても仕方ないのだが、もう少しピンシャンしていた頃に、自分と同世代や若い人が身体不自由になったりすると小馬鹿にするようなことを散々ぱら言っていたから、今や自分がそうなったことを受け容れられないんだろうな。
簡易トイレにしたって、家族には何の相談もなしに黙って設置したし、トイレを改良しようという母親の提案に対しても「必要ねぇ、嫁が余計な口を出すな」みたいなことを言ったらしい。
祖母のそういった振る舞いを見るにつけ、聞くにつけ、その当座は頭に来るが、これを書いている今みたいに、時間が経って考えてみれば悲しくなる一方だ。
人間、生きていく上で何が一番大事かと訊かれれば、「お願いします」「ありがとうございました」を素直に言えることじゃないか、と今は思う。明日の朝は知らんが。