友人と忘年会で、ジンギスカンを食べる。
寒空の下で何処へ行くか考えるのはきついので予め考えておくことというお達しを受けていたので、最近流行っているらしいジンギスカンがいいと思って提案したところ、アッサリと可決される。
さて、そのジンギスカンなのだが、どうやら最近流行っているジンギスカンは、ジンギスカンとは名ばかりの似而非ジンギスカンらしいという話も聞いていた。実際、早稲田通りを高田馬場から大学へ向かってグルッと見て回ったところ、「網焼きジンギスカン」なる立て看も出ていた。さすがにこれは、ジンギスカンに馴染みの薄い友人からも「焼き肉の肉が違うだけやん」と突っ込まれていた。
それはさておき、ジンギスカンと言えば北海道というイメージがあるだろうが、長野県にも信州新町というジンギスカンの本場がある。と言うか、私にとってジンギスカンと言えば信州新町流のジンギスカン(※)なのだ。
※肉は予めニンニク、生姜、ネギなどの薬味野菜とともに醤油や味噌をベースとしたタレに漬け込まれていて、それを焼いて食べる。肉から出る油やタレで、一緒に焼く野菜が味付けされて美味いことこの上なし。肉と野菜をご飯の上に乗っけてかっ込むべし。鍋風に肉と野菜を煮込む食べ方もあって、これはこれで美味い。
ジンギスカンと一口に言っても様々な調理方法があって、一概にどれが本当のジンギスカンとは言えないと思う。もちろん、北海道の人からすれば、信州新町風のジンギスカンは邪道なのかもしれないが、特段最近の流行に乗っかっている訳ではないので、まぁ、そのあたりは大目に見て欲しいというか、こちらはこちらで何十年も自分たちの流儀で食べてるんだから。
さて、今回行ったジンギスカンの店は、網焼きジンギスカンなる謎の食べ物を出す店ではなく、ごく普通にジンギスカン鍋を使った店であった。ここまでは合格なのだが、この店、ラムしか置いてない。
もちろん、ラムが柔らかくてクセがないのは重々承知しているが、ジンギスカンとして食べるにはラムは物足りないと私は思う。ジンギスカンと言えばマトンでしょ、ってのが私の偽らざる気持ち。ただし、マトンも適切に処理されていないと食べるに耐えないものになってしまうのだが。
どうも、世間一般に流布しているマトンのイメージは「臭い・固い」という点に集約されるようだ。実際、信州新町のマトンしか知らなかった私が上京した際に食べた丸大のジンギスカンは食べるに値しないものだった。なるほど、こりゃ評判悪くなるはずだよと思わざるを得ない酷いものだった。その後、雪印食品のジンギスカンを食べたところ、さすがに北海道の会社だけあって美味しかったのだが、東京ではなかなか手に入らず難儀したことを憶えている。
今回食べたジンギスカンは、店の人曰く「新鮮な肉を使っているので、半生で食べて欲しい」とのことだった。実際、半生で食べても柔らかくて美味しかったし、友人の評価も高かったのだが、マトンのジンギスカンを食べ慣れた人間からすると、歯ごたえが足りないし、肉の旨味も薄いような気がしたのだった。
もちろん、ラムのジンギスカンは美味しいのだが、マトンのジンギスカンは別の美味しさがあるよって言いたいだけなんだけどね。と言うか、美味しいマトンを食べたことがないってのは結構不幸なことだと思う。
寒空の下で何処へ行くか考えるのはきついので予め考えておくことというお達しを受けていたので、最近流行っているらしいジンギスカンがいいと思って提案したところ、アッサリと可決される。
さて、そのジンギスカンなのだが、どうやら最近流行っているジンギスカンは、ジンギスカンとは名ばかりの似而非ジンギスカンらしいという話も聞いていた。実際、早稲田通りを高田馬場から大学へ向かってグルッと見て回ったところ、「網焼きジンギスカン」なる立て看も出ていた。さすがにこれは、ジンギスカンに馴染みの薄い友人からも「焼き肉の肉が違うだけやん」と突っ込まれていた。
それはさておき、ジンギスカンと言えば北海道というイメージがあるだろうが、長野県にも信州新町というジンギスカンの本場がある。と言うか、私にとってジンギスカンと言えば信州新町流のジンギスカン(※)なのだ。
※肉は予めニンニク、生姜、ネギなどの薬味野菜とともに醤油や味噌をベースとしたタレに漬け込まれていて、それを焼いて食べる。肉から出る油やタレで、一緒に焼く野菜が味付けされて美味いことこの上なし。肉と野菜をご飯の上に乗っけてかっ込むべし。鍋風に肉と野菜を煮込む食べ方もあって、これはこれで美味い。
ジンギスカンと一口に言っても様々な調理方法があって、一概にどれが本当のジンギスカンとは言えないと思う。もちろん、北海道の人からすれば、信州新町風のジンギスカンは邪道なのかもしれないが、特段最近の流行に乗っかっている訳ではないので、まぁ、そのあたりは大目に見て欲しいというか、こちらはこちらで何十年も自分たちの流儀で食べてるんだから。
さて、今回行ったジンギスカンの店は、網焼きジンギスカンなる謎の食べ物を出す店ではなく、ごく普通にジンギスカン鍋を使った店であった。ここまでは合格なのだが、この店、ラムしか置いてない。
もちろん、ラムが柔らかくてクセがないのは重々承知しているが、ジンギスカンとして食べるにはラムは物足りないと私は思う。ジンギスカンと言えばマトンでしょ、ってのが私の偽らざる気持ち。ただし、マトンも適切に処理されていないと食べるに耐えないものになってしまうのだが。
どうも、世間一般に流布しているマトンのイメージは「臭い・固い」という点に集約されるようだ。実際、信州新町のマトンしか知らなかった私が上京した際に食べた丸大のジンギスカンは食べるに値しないものだった。なるほど、こりゃ評判悪くなるはずだよと思わざるを得ない酷いものだった。その後、雪印食品のジンギスカンを食べたところ、さすがに北海道の会社だけあって美味しかったのだが、東京ではなかなか手に入らず難儀したことを憶えている。
今回食べたジンギスカンは、店の人曰く「新鮮な肉を使っているので、半生で食べて欲しい」とのことだった。実際、半生で食べても柔らかくて美味しかったし、友人の評価も高かったのだが、マトンのジンギスカンを食べ慣れた人間からすると、歯ごたえが足りないし、肉の旨味も薄いような気がしたのだった。
もちろん、ラムのジンギスカンは美味しいのだが、マトンのジンギスカンは別の美味しさがあるよって言いたいだけなんだけどね。と言うか、美味しいマトンを食べたことがないってのは結構不幸なことだと思う。