いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

ジンギスカンと言えばマトンでしょ

2005年12月23日 | 雑記
友人と忘年会で、ジンギスカンを食べる。

寒空の下で何処へ行くか考えるのはきついので予め考えておくことというお達しを受けていたので、最近流行っているらしいジンギスカンがいいと思って提案したところ、アッサリと可決される。

さて、そのジンギスカンなのだが、どうやら最近流行っているジンギスカンは、ジンギスカンとは名ばかりの似而非ジンギスカンらしいという話も聞いていた。実際、早稲田通りを高田馬場から大学へ向かってグルッと見て回ったところ、「網焼きジンギスカン」なる立て看も出ていた。さすがにこれは、ジンギスカンに馴染みの薄い友人からも「焼き肉の肉が違うだけやん」と突っ込まれていた。

それはさておき、ジンギスカンと言えば北海道というイメージがあるだろうが、長野県にも信州新町というジンギスカンの本場がある。と言うか、私にとってジンギスカンと言えば信州新町流のジンギスカン(※)なのだ。
※肉は予めニンニク、生姜、ネギなどの薬味野菜とともに醤油や味噌をベースとしたタレに漬け込まれていて、それを焼いて食べる。肉から出る油やタレで、一緒に焼く野菜が味付けされて美味いことこの上なし。肉と野菜をご飯の上に乗っけてかっ込むべし。鍋風に肉と野菜を煮込む食べ方もあって、これはこれで美味い。

ジンギスカンと一口に言っても様々な調理方法があって、一概にどれが本当のジンギスカンとは言えないと思う。もちろん、北海道の人からすれば、信州新町風のジンギスカンは邪道なのかもしれないが、特段最近の流行に乗っかっている訳ではないので、まぁ、そのあたりは大目に見て欲しいというか、こちらはこちらで何十年も自分たちの流儀で食べてるんだから。

さて、今回行ったジンギスカンの店は、網焼きジンギスカンなる謎の食べ物を出す店ではなく、ごく普通にジンギスカン鍋を使った店であった。ここまでは合格なのだが、この店、ラムしか置いてない。

もちろん、ラムが柔らかくてクセがないのは重々承知しているが、ジンギスカンとして食べるにはラムは物足りないと私は思う。ジンギスカンと言えばマトンでしょ、ってのが私の偽らざる気持ち。ただし、マトンも適切に処理されていないと食べるに耐えないものになってしまうのだが。

どうも、世間一般に流布しているマトンのイメージは「臭い・固い」という点に集約されるようだ。実際、信州新町のマトンしか知らなかった私が上京した際に食べた丸大のジンギスカンは食べるに値しないものだった。なるほど、こりゃ評判悪くなるはずだよと思わざるを得ない酷いものだった。その後、雪印食品のジンギスカンを食べたところ、さすがに北海道の会社だけあって美味しかったのだが、東京ではなかなか手に入らず難儀したことを憶えている。

今回食べたジンギスカンは、店の人曰く「新鮮な肉を使っているので、半生で食べて欲しい」とのことだった。実際、半生で食べても柔らかくて美味しかったし、友人の評価も高かったのだが、マトンのジンギスカンを食べ慣れた人間からすると、歯ごたえが足りないし、肉の旨味も薄いような気がしたのだった。

もちろん、ラムのジンギスカンは美味しいのだが、マトンのジンギスカンは別の美味しさがあるよって言いたいだけなんだけどね。と言うか、美味しいマトンを食べたことがないってのは結構不幸なことだと思う。

梨本宮家と渋谷

2005年12月23日 | 外出
たばこと塩の博物館で特別展「梨本宮家と渋谷」が開催されているので見に行く。

渋谷に宮下公園という公園があるが、一帯の旧町名は宮下町で、町名の由来は梨本宮家の邸宅(※)が近くあったからだそうだ。
※敷地面積が6万坪で、建坪が700坪だったと思うが正確なところは失念。

今回の特別展は「梨本宮家と渋谷」となっているが、正直、渋谷はあまり前面出でていなくて、梨本宮家、特に、梨本宮伊都子に関する展示が中心であった。

梨本宮伊都子(鍋島伊都子)は幕末に活躍した佐賀藩主鍋島閑叟の孫で、名前の由来はイタリアの都ローマで生まれたため。1900年(明治33年)に梨本宮守正(※)に嫁し皇族となっている。後に二人の女児を得ているが、長女が朝鮮最後の皇太子妃となる方子(李方子)だ。戦後は臣籍降下・皇籍離脱して梨本伊都子として渋谷に住み昭和51年に95歳(数え)で亡くなっている。
※皇族で唯一戦犯となった。

色々展示されていたが、私が個人的に興味をそそられたのが五衣小袿いつつごろもこうちぎボンボニエール各種。前者は、大正天皇の即位に際して実際に着用されたものだそうで、布がかなり厚手で重たそうなのが印象に残った。あとで、『三代の天皇と私』を読んでみたところ、十二単は12kgくらいあるし、布地も全て裏があるのでゴワゴワしていて、着心地の良いものではないそうだ。

ボンボニエールは、意匠を凝らした小型の菓子入れ。金平糖などを入れて宮中の宴席などで配ったそうだ。色々なものがあったが、個人的に気になったのが魚雷だか潜水艦だかをかたどったもの。二重スクリューまで丁寧に再現された非常に凝ったもので、ちょっと欲しくなった。

その他、梨本宮伊都子の生きた時代の映像として関東大震災の惨状を写したニュース映画らしいものを見ることもできた。写っている人たちの多くがカンカン帽にステテコ姿みたいな感じで、「あぁ、震災は9月1日に発生しているから、暑かったんだ」てなことが分かった。

『三代の天皇と私』は、梨本宮伊都子本人による自伝で、『梨本宮伊都子妃の日記』は、残された膨大な日記を他の人が編纂したものらしいが、未読なので詳細は不明。