クワトロ郎

人生の彩りをアレコレ描いたり、歌ったり、知恵しぼったり、
牛乳しぼったり、  ん?  てな具合で
オヤジギャグ三昧

哀しみはいつもここにある

2013-05-09 22:57:24 | 雑感

私は、お気付きの様に、私自身を含む人類全体を笑っている、哀しんでいる。
ところが、世には、自分自身をそこに置かずに、自分対人類という構図の態度を取る方々いらっしゃる。とても、不思議だ。上の絵に示すように、実は、自分も含まれているのに、その線が見えない、あるいは見ようとしない、という態度である。
しかも、自分は優れていて、人類は劣っている。自分は真実を理解しており、人類は無知の海をさ迷っている。自分は正しい選択が出来るのに、人類は誤った事ばかりしている。自分は自由を求めているのに、人類は自らを束縛している。自分には美が分かるのに、人類は何事もミソくそ一緒にしている。自分は人類を救う事が出来るのに、人類はそれを自分に求めてくれない。とかいう、たいそう微笑ましくシンプルな敵対構造的態度である。
そして、理屈をこねまわす割りには、最後には、「どうなんでしょう」という、疑問なのか、投げかけなのか、よく分からない、尻切れトンボで終わったりする。

真実をつかみきらない、いや、そもそもそれに手を伸ばそうともしないから、議論の持って行き場を失ってしまうのではないか。すねただけなのにチクリと世に物申す態度。薄っぺらいのにたいそう皮肉な態度。似非知識人風に過ぎないのに、世に迎合しない、実は全てを看破している、世にも稀な傑人という自覚。こういう自分を、他人にみせつけたい、見てほしい、そして、すごい、と言ってほしい、お願いだから言ってほしい。

等身大の実力でそうすればいいだけなのに。

こういう人って、どうなんでしょう?