クワトロ郎

人生の彩りをアレコレ描いたり、歌ったり、知恵しぼったり、
牛乳しぼったり、  ん?  てな具合で
オヤジギャグ三昧

”体罰”とかいう言葉に、全ての悪を押し付けて、自らは口をぬぐう

2013-02-10 19:11:53 | 真実
”体罰”はマイナスである。マイナスの領域にあるもは、マイナスを消し去るだけではゼロにしかならない。プラスにはなれない。

さて、日本人、マイナスなんかほっておいて、プラスをどうするのか、考えたらどうか。

前にも書いたかも知れないが、アメリカにあって、日本に無いものを3つ記してみよう。ここに、あるのは”学ぶ”という”プラス”を得る唯一の方法である。

1.幼い子供が何か悪さをすると、親が、面と向かって、理屈でその悪さの理由と、何が正しいのか、何故正しいのか、個人としてどうすべきなのか、を説明し、本人にどうすべきかを自分の言葉でしゃべらせて、必要なら謝らせる。そしておいて、ほめてやる。この間、一切、親の手はでない。これを、物心付くころから、ずっとやるのが親の務めらしい。学校に上がり、先生が質問をすると、児童全員の手が上がり、答えなり、自分の考えなり、思いなりを発言しようとする。

2.コインランドリーで、大学生と思しき若者が、洗い物を待っている間、分厚く大きな本を読み、ノートにしきりとメモを取っている。大学の図書館に夜行くと、大勢の学生で一杯である。静かに、熱心に本を読んでいる。ペンを持つ手が動いている。ページをめくる音がかすかに聞こえる。

3.大学の単位は社会人になっても取れる。公開されている。勤め先も奨励している。地方の自治体もそれをいろいろな施策で優遇している。驚くほどの多くの働く人が、中年、高年になっても聴講している。単位がそろえば大学卒の資格が得られる。家庭の事情、金銭面、いろいろな事情で20歳前後で大学に行くことが出来なかった人々も、それが少しずつ出来るときには、それを支える仕組みがあるのである。あとは、本人のやる気だけである。やる気をすくい取る仕組みがあるのである。仕組みだって、最初からあるわけではなく、人が作ったのである。

何が言いたいかと言うと、”学ぶ”ことの実践は学校だけに留まらず、生まれた時から死ぬ時まで続くということを、人々が全員認識してるということである。

お前はアメリカ礼賛ばかりしている、という指摘は甘んじて受けよう。今はプラスの話をしている。マイナスの事象はどこにだってある。だから、マイナスでいいんだ、という議論を好む向きには、この私の話は意味はないであろう。このブログを読んでもしょうがないので、他所を読まれることをお勧めする。

よいプラスの面があるのであれば、それを褒めよう。ほらね、マイナスを指摘して、それで満足してしまう。それこそ、”いじめ”であり、”体罰”であり、”学ぶ”ことの放棄である。

そのマイナスはしたり顔で”体罰”を糾弾する人の中に厳然と存在するのである。

あなたは口をぬぐっていないか?