不条理み○きー

当面、きまぐれ一言法師です

「流れ行く先は・・・」

2005年04月29日 23時55分03秒 | Life

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」
 俳聖 松尾芭蕉が、「おくのほそ道」にそうしたためてから300年余が過ぎたが、この「客」は足を止める気配がない。
 いや、とめられると、それはそれで困るのだが。

 なんて、えらく文学的に(?)書き始めてみたが、たいした話ではない。
 事は、先日、予告どおり「放電」した折の事にさかのぼる。

 不意に休みを取ったものの、特にやる事も無く、生来の「出たがり」なので家にジッとしている事も出来ず、ぶらっと我が家の周りをぶらついてみたのである。

 今の家は、気づけば生家の次に長く過ごした場所になっている。
 しかし、昼は仕事に出ているので、この家で過ごすのはほとんど夜、よって、あまり周辺の細かい事には、気付いていない事がしばしばである。

 その日も、不意に、一本の木が目に留まる。
 
 『あー、上の子が小さい頃、得意げにこの木に登っていたっけ。』

 そう思いつつ近づいてみて、驚いた。
 子供が登って座っていた木の枝別れした部分が、いつの間にか私の目線より高くなっている。

 木の種類がよく解らないが、そんなに高くならない木のようで、全体の高さは倍になっているとは思えないのだが、幹も太くなり、小さい子が一人で登るには無理な高さである。

 私は唖然としたのだが、冷静に考えると既に「一昔」前の話であり、木だって、その位成長してしかるべき時が過ぎているのだ。
 いや、私だって、その分、出っ張ったり伸びたり何たらピーピーピーが、三桁だったりしているのである。
 結局、常に過ぎている時間に「知らぬフリ」をしているだけなんだと、つくづく思ったのである。

 基本的に、変化のないところに安住しているのは楽チンである。
 しかし、今の世の中、仕事も、モノも、さらには人の心さえめまぐるしく変わってしまう。
 芭蕉以来の「過客」は、その速度を増しているようだ。

 たまたま、先日、そんな風に感じたおかげで、今は、ホンのちょっと背伸びして、辺りを見回して、その変化を感じて進んで行きたいと感じている今日この頃である。

 何も、変化が悪い物ばかりとは限らないのだ。
 変化から生まれる、新しい世界の方が居心地がいい事だってあるのだから。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ないしょのはなし (Lefty)
2005-04-30 06:36:45
↑って書いたらヌシさんにけっとばされそうですが…。

>ピーピーピーが、三桁

ん?仲間?
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あはは (ぷよぱぱ)
2005-05-01 01:48:36
★Leftyさん

 多分・・・です。^^;

 いや、こういう書き方でも、わかる人は解るかなぁって・・・。

 思惑に引っかかってくれて、ありがとうございます。
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